第二章

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 教室の入り口付近では通行の妨げになるので俺たちはどちらが言うということもなく自然な流れで廊下の窓側に移動した。 「どうしたんだ? 何か用か」  廊下に出た俺は開口一番にそう言った。 「用というほどのことではないんだけどさ。少し、挨拶をと思ってね」 「それはわざわざご足労を」  俺はわざとらしくかしこまった物言いで会釈をする。  どうせなら一緒にいた三つ編みの女子にも来訪してもらいたかったのだが。  今日は一緒ではないみたいだ。 「君、小鳥遊って名前だったんだな。昨日聞きそびれていたからどうやって呼んでもらうかちょっと困ったよ」  相変わらず爽やかな笑顔をするやつだ。  そして今日も変わらずイケメンだ。  今日も爽やか明日も爽やか。まったくうらやましいことである。 「確かに言いそびれてたよな。お互いに」 「ははっ、そうだな。俺も名前言ってなかったよな。俺は棚橋。棚橋陸たなはしりくっていうんだ。よろしく」 「小鳥遊泰正だ。一応、言っておくとあいつとは別に親戚でもなんでもないからな」  ここで言うあいつとはもちろん小鳥遊由海のことを指す。 「そうなのか? あまり見ない名字だから何か関係あるのかと思ってたけど。全然無関係な赤の他人なのか」  なぜか棚橋はわざわざ他人であることを強調する語句を連続して用いてきた。 「ああ、全くの他人だ。そうそうない名字なのに同じ学校で加えて同じマンションとかもうどれだけ天文学的数字だよって話だよな、本当に」  無味乾燥とした、間を埋めるだけの互いの腹を探り合うような薄っぺらな会話。  この、まるで何かの面接を受けているような落ち着かない気分はなんだろう。お互い笑顔なのにちっとも心安らがない。  ひょっとして俺は緊張しているのか?  そこまで人見知りであった自覚はないのだが。  棚橋はどう感じているのだろう。  棚橋からほとばしる自信と余裕に満ちたリア充オーラ。  ああ、こいつはまるで動じていないな。他人に対して萎縮するようなことが少ない人種だ。  だからよそのクラスの転校生である俺にも臆せずコミュニケーションを取ってこれる。  正直俺はこういう、そつがない上に距離感を感じさせずに接してくるタイプのやつは苦手だ。  ただ棚橋は嫌味なやつではないようなので邪険にはできず、どうしたものか。 「それでさ。君に一つ訊きたいんだけど、小鳥遊さんは学校に来れそうかな?」  恐らくこれが俺に会いにきた本当の理由か。 「昨日も言ったけど、すぐ退院できるらしいし大丈夫だろ」 「そうか……。それならいいんだけど……」  歯切れ悪く棚橋は言う。  どうにも納得いかないような表情だ。  一体何がそこまで彼の不安を掻きたてるのか。  というか、なぜこいつが小鳥遊由海の体調についてそこまで気に掛けるのだろう。ひょっとして小鳥遊由海に気があるのだろうか。  いや、まさかこのイケメンがそんなわけないか。俺の視線から何かを察したのか棚橋は、 「俺は学級委員だからね。心配をするのは当然のことだよ。クラスメートにはできるだけ元気でいて欲しいし。やっぱり仲間は全員揃っていた方がいいだろ?」  さも当然のように言い切られるとそんな気もしてくる。不思議だね。  しかしこの学校の学級委員はクラスの生徒の健康管理にまで気を配らなくてはならないのか。  随分と仕事内容が多岐にわたるんだなー。  まあ恐らく棚橋が独断で自身へ課している役割なのだろうが。  もしすべての学級委員に義務化されているというなら俺は絶対に学級委員だけはやりたくない。  そうでなくてもやらないだろうしなれないだろうが。 「そこまで心配しなくても大丈夫だろ。ただ不摂生が祟っただけだし。今後改善するかは本人次第だが、今回は少なくともさして重症じゃない」  見当違いなことを俺は言っただろうか。棚橋は頬を人差し指で掻きながらもどかしげに言う。 「いや、俺が心配しているのはそこじゃなくてさ」 「そこじゃなくて?」  俺が意図を掴めず復唱すると棚橋はハッとした顔つきになる。 「君はひょっとして知ら……」 「ん?」 「いや、なんでもないよ」  棚橋は取り繕うようにそう言った。  む、隠し事か?  そういう言い方をされるとちょっと気になってしまう。  しかし話すべきでないと思われているのなら深入りしないほうがよいのだろう。俺は鮮やかに聞き流すことにした。  聞かなかったふり、見なかったふり、気付かなかったふり。そういうふりをするのは得意だ。 「それより小鳥遊さんにもし会う機会があったら言っておいてくれ。皆待っているって。だから大丈夫だって」 「お、おう。言っておく」  会う機会があればな。あるのかな。ないだろうなぁ。  二つ返事で承った割に俺は漠然とそんないい加減なことを考える。  機会がなければ当然伝えることはできない。  だがどうせ棚橋も社交辞令的な感じで言っただけだろうし最悪それでもいいかな、なんて俺は思っていた。  棚橋の言葉の重みも知らずに。無責任にもそう思っていたのだ。  転入してから一週間ほどが経った。  やはりというべきだが予想していた通り俺は小鳥遊由海と一度も出会うことはなく、棚橋の伝言は預かったままとなっていた。  退院した彼女が学校に来ているのかさえ知らない。来ているのなら伝える必要のない伝言だが。  でも多分、あいつは来ていないような気がする。  とっくに退院はしているはずなので何事もなければ登校していると考えるのが普通なのだけれど。けれど……。  登下校もまったく被らないし、校内でも一度もやつを見かけたことはない。  そうなのである。  ひょっとしてあいつ、学校に行かない系の人? と、学校での小鳥遊由海を何一つ知らない俺にも察しがついてしまうくらい小鳥遊由海と出くわさないのだ。  何か深まった事情があるのかもしれない。  棚橋の過保護にも思える態度と俺に言いかけてやめた俺の知らないこと。  実物の小鳥遊由海を見て抱いた人物像。  それらのピースから導き出すといろいろと予想できる。  ただ、仮に何かがあったところでそれは俺にはどうすることもできないことであり、ぶっちゃけた話、関係ないのである。  彼女には彼女の人生があり、俺には俺の人生がある。  それらは切り離されたもので交わることのない平行線だ。  だから小鳥遊由海がどういう事情を抱えていようとも、俺は俺で世間の濁流に飲まれつつ日々日常を過ごしていくだけ。  自分のことすら覚束ないというのに他人の生き様についてあれこれ気を揉むなど笑止千万だ。  冷たい? 違うぜ。そういうもんなんだ。  他人との繋がりってのは。これが普通さ。  他人の生き様に深く干渉しすぎるのは余計な軋轢やしがらみを過多に生み出すだけだ。  ほど良い、つかず離れずの付き合いが風通しのよい良好な関係を築く。  淡交万歳。  人間関係はシンプルなスタイルで行くのが一番なのだ。  たたでさえ現代人はその日その日を生きていくだけで苦労が絶えないのだから。背負わなくていいストレスは排他するに限る。  日々精進、一球入魂。  俺のポリシーだ。たまに揺らぐけど。  そんなわけでポリシーにできるだけ忠実に毎日を細々生きている俺は今現在、三限目の体育の授業を受けるため校庭にいた。  体育は一組と三組が合同で行われる。  今月の種目はサッカー。  体育のサッカーとはスポーツの得意な連中はゴール付近で和気あいあいとボールを蹴り合い、下手糞どもは隅っこでこぼれ球が転がって来るのを待つだけという、社会の縮図をさりげなく体現したイヤらしい競技である。  いやぁ、簡単に見えて奥が深い種目だね。  捻くれた物言いになるのは致し方ない。  なぜなら俺は下手糞に属する側だから。  ……それは置いておくとして。  比較的余裕を持って行動したこともあり校庭はまだ人はまばらで、同じように早く着いた連中は早々とサッカーボールを蹴り回していたり談笑していたりと各々が勝手気ままに残りの休み時間を過ごしていた。  俺もその例に漏れず、若田部たちと校庭の一角で雑談を交わしながら授業の開始を待っていた。  結局俺はソフト部に入部することはなかったのだが、それでも若田部たちは変わらず親しげに接してくれた。  気のいい連中である。  俺は何の気なしに授業まで待ちきれず早漏にもゴール周辺でPK戦を始めて騒いでいる集団を見やる。  あいつらは多分、ボールとお友達になっている側だなと思いながら。  すると偶然、その中の一人と目が合った。  棚橋だった。  棚橋は俺の姿を確認するとにこやかに手を振ってきた。  無視するのもあれなので俺も小さく手を振り返す。 「お前、棚橋と仲良かったのか?」 「いつの間にリア充とコネクションを作ってたんだい?」  光景を見ていた若田部たちが騒ぎ出した。  やかましいな。  どうやら棚橋と繋がりがあることはちょっとしたステイタスになるらしい。ああ、いるよな。そういうカリスマっていうかスター性のある人種。  棚橋はイケメンで人当たりもよさそうだから人気者として扱われるのは妥当だろう。  前にイツキが俺と棚橋が知り合いであるのかと訊ねてきたのはそういう事情も含んでのことだったのかね。  ほんの少々会話をしただけだし、どう考えても俺と棚橋はそんなに親しくない。せいぜい顔見知り程度だ。  普段はほとんど関わりがないが、すれ違ったりしたときに挨拶だけを交わす仲。  これは俗に言う、よっ友というやつだな。  第三者から見ると親しいと解釈される張りぼての関係。それがよっ友。  中学時代、俺にもそれに当てはまる間柄のやつが幾人かいた。  転校するまでお互いに「よっ!」と声をかけあっていたあいつ。なんて名前だったのかな……。  余談だが、他のやつに聞いた話だと中学時代のそのよっ友はどうも双子だったらしい。  俺が挨拶を交わしていたのは一体その双子のどちらだったのか。  ひょっとしたら両方だったのかもしれない。  もう知る機会はないだろうし迷宮入りは確定しているが、その当時知らなくてもまったく困らなかったのは事実で。  何が言いたいのかというと、つまりよっ友とはそんな程度の浅いものなのである。だから、 「別に仲良くはねえよ」  こう答えても決して不義にはあたらないのだ。 「おいみんな、騙されるなよ。小鳥遊は平凡そうなツラをしているがヤバいやつなんだぜ!」  正直な弁明をしたというのに、若田部は意味不明なことを大仰な口調で言い出した。 「こいつは転校初日の昼休み。オレがソフト部のミーティングで昼食に誘えなくて悪いことしたなぁと心を痛めていたその間。なんと女子といちゃいちゃ一緒に弁当食ってたらしい」  どうやらイツキとのことを言っているらしい。 「あれは一緒っていうか隣に座ってただけだっつーの」  あれからまもなく席替えでイツキとは隣の席ではなくなってしまったが、今もやつは俺の後ろにいる。  いや、背後霊的な意味じゃなくて。  座席の話な。  窓際の後ろから二番目と三番目にそれぞれイツキと俺は座している。  ちなみに今は若田部たちと一緒に弁当を突くのがデフォルトになっているが、席順の恩恵を受け未だクールな黒髪美人との交流は続いていた。  つんけんした雰囲気に反してイツキは会話を投げかければ普通に応対してくるし意外と話も合った。  ただ、たまに発してくる冗談か本気か判別しにくい毒舌ジョークに関しては辟易することも多々あったが。  それでも美少女との会話は男子高校生の青春的にポイントが高い。 「しっしっ。寄るな。言い訳すんな。リア充がうつる」  俺の内心を読み取ったわけではないだろうが若田部は面白おかしく茶化してくる。 「リア充がうつるかよ」 「おっ、上から目線きましたー」  おどける若田部。うるせえと俺は小突く。リア充じゃねえよ。  そんな他愛もない掛け合いの中、 「僕はうつしてほしいなぁ……」  ソフト部の数少ない補欠部員、椎野(しいの)が真顔でそう言った。 「…………」 「…………」  俺と若田部はいたたまれない気持ちになって閉口するしかなかった。
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