第二章

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 何はともあれ。  俺は新しい環境にも徐々に馴染んできていて、御覧の通りくだらない冗談を言い合える程度に打ち解けた友人もできていた。俺の学校生活はそれなりに良好であった。  放課後。  ソフト部に向かう若田部や椎野たちと別れた俺は特に予定もないのでそのまま家に帰ることにした。  途中、コンビニエンスストアで缶コーヒーと夜食のカップ麺を購入した以外はほぼ直帰だ。  ビニール袋を手に携え自宅へ続く街道をのたのた歩いていると、俺の住むマンションの入り口付近に本来ならばこの場所を訪れる理由がないはずの人物が建物を見上げて佇んでいるのが見えた。 「小鳥遊君か。今帰りかい?」  棚橋陸である。  彼は俺の存在に気が付くと朗らかな笑みとともに声をかけてきた。姿を目撃されても動揺しない点から、やましい理由での来訪ではないようだ。  何をしに来たのだ。俺に用、はあるわけない。 「隣のやつに会いに来たのか?」  それくらいしかないだろうなと思いながら訊ねる。 「まあね。小鳥遊さんは今家にいるのかな」  そんなものを俺が知っているわけがない。 「学校に来てなかったんならいるんじゃないか」  俺は相手に最終的な判断を委ねるような婉曲的言い回しでそれに答える。 「そうか……」  その反応はどちらなのだろう。  小鳥遊由海が引きこもりなのかどうか判別するためにカマをかけてみたのだが。  まあ今日休んでいたからといってそれが恒常的であるとは言い切れないけど。この男、ボロを出さんな。と思いきや。 「じゃあ、俺の代わりに彼女の部屋のインターフォンを鳴らしてくれないかな」  あっさりと小鳥遊由海が欠席していたことを肯定する趣旨の発言をした。  拍子抜けである。いや、だがそれはそうと。 「なんで俺が……」  用があるなら自分で呼び出せよ。 「俺だと出てくれないかもしれないんだ。というか、夏休み中に何度か訪ねたんだけど門前払いされてしまってね」 「…………」  その言葉に衝撃を受けた俺は少し身構える。  もしやストーカーなのか、こいつ。滅茶苦茶やましい理由じゃないか。  堂々としているのは開き直っているからなのか? だとしたら色んな意味で恐ろしい男だ。  まったく、こんなハンサム顔ぶら下げて……。  悪いことは言わん、そんなみっともない真似やめとけよ。ファンが泣くぜ?   お前なら他にいい女子が見つかるだろう? 俺は心の中で棚橋を諌めるべきかどうか考えつつ。 「……出ないってことは避けられてるんじゃねえの」  遠回しに拒否の姿勢を棚橋に伝える。 「そうなのかもしれない」  素直に認める棚橋。否定しないのか。潔さに思わず感心してしまう。 「だけど、俺はこのまま『はいそうですか』と帰るわけにはいかない」  全然潔くなかった! 「そう言われてもな……」 「そこをなんとか。頼むよ」  引き下がらないイケメン。思いのほかしつこい。 「だからって嫌がる女子を騙す片棒を担ぐ真似をするのはちょっとな……。相応の理由があるなら話は別だが」  関わると厄介な人間関係の摩擦に巻き込まれかねないし。及び腰になるのは当然だろう。  まさか本当に棚橋が小鳥遊由海に邪な感情を抱いて付き纏っているわけではないだろうが……。  マジもんのストーカーなら絶対に承諾しないという意思を固めながら俺はそう言った。 「そうだな……。君には言うべきか。協力してもらう以上、知ってもらわないといけないよな」  棚橋は腹を決めたように息を吐く。 「実のところ俺はすでに君は全て知っているのだと思っていたんだけど。病室で君らが仲よさそうに話していたのを見ていたから」  病室で? 仲が良い? どこを見てそう思ったのだろうか。見当違いも甚だしいぜ。 「だけど知ってるわけなかったんだよな。君と小鳥遊さんは偶然名字が同じというだけで、あの日初めて会った他人だったんだから」 「まあな」  否定する箇所は一つもない。俺は肩をすくめて相槌を打つ。 「……彼女は一学期の途中から、とある理由があって教室に顔を見せなくなった」 「とある理由?」 「端的に言うといじめだ。まあ、あれはそんな言葉で表現できないと俺は思っているけど」  常にキラキラした雰囲気を振り撒いている棚橋の目つきが一転、険しいものとなる。 「その日、いつも通りに登校した彼女の靴箱には四肢を切断された猫の死体が詰め込まれていたんだ」 「はっ……?」  それは俺の想像の斜め上を行く回答であった。  切断? 死体? 映画やニュースなどでは耳にすることは多々ある。だがおおよそ現実では聞きなれない言葉だ。  俺が二の句が継げない状態でいる中、棚橋はさらに続ける。 「その件で明らかになったのは彼女がそれ以前にも悪質な嫌がらせを度々受けていたということ。  酷い中傷の書かれた手紙を机やロッカーに入れられたり、教科書を破かれたり隠されたり……。  どうにも騒がれるのを嫌がった小鳥遊さんはそのことを誰にも相談をしていなかったみたいで、誰も彼女がそんな目にあっているなんて把握していなかったんだ。  ……彼女と学校で一番話していたのはきっと俺だったのに。俺は何も気付いてやれなかった」  自身の無力さへの憤りを再燃させているのか、棚橋は下唇をぐっと噛む。 「それまでは何事もないように振る舞って堪えていたみたいだったけれど、限界だったんだろうな。  ぷっつりと糸が切れてしまったようにその事件から小鳥遊さんはまったく学校に来なくなってしまった。  期末試験は別室で受けてどうにかなったらしいけど、二学期はまだ一度も登校していない。このまま欠席が続くようだと留年もしくは退学もありえる」  想定外の重い話にヘイトを溜め込みつつ俺は棚橋の目を見て訊ねる。 「いじめてたやつはどうなったんだよ。そのレベルでやらかしたなら停学じゃすまないだろ」  加害者がやったことはもはや法に触れる領域だ。  然るべき処分が下されているに違いない。  加害者が消えれば後は被害者自身の問題だ。時間を置いて気持ちの整理をつければいい。  大事になった騒動の渦中の人物だ。  腫物として空気のように扱われることはあるだろうが、もう誰も大っぴらに手出しはできないはず。  そのまま通い続けるか転校するのか。  その他にも選択肢は多々あれど。決めるのは個人の選択である。第三者がしつこく介入することではないと俺は思う。 「問題はそこなんだよ。誰が彼女に嫌がらせをしていたのかがまったくわからない」  人知れず行われていた悪行。誰も犯人に心当たりがないという。 「小鳥遊さんには目立った交友関係もないから恨みを持たれるようなきっかけも特に見つからないし……」  だから終わりがない。  終わったとは限らない。学校へ行けばまた何かされるかもしれないという可能性が残っている。 「犯人がわかっていれば彼女も安心して登校できるのに……」  犯人の身割れと安心して登校できるかは別問題な気もするが。棚橋にその考えはないようだ。 「小鳥遊さんは怯えているんだ。周りの皆が自分を排除しようとしているんじゃないかって。姿の見えない悪意。誰が敵なのかわからない恐怖。それらに彼女は今も苦しんでいる」 「…………」  初めて出会った時の小鳥遊由海の見る者すべてを敵視するような態度。  あの人間に慣れていない野生動物のような過剰な警戒のバックボーンを知った俺は小鳥遊由海に対しての認識を少し改める。 「彼女にしてみれば学校の生徒は全員容疑者。敵にしか見えないのかもしれない。小鳥遊君は知らないだろうけど、彼女はもともとそんなに人付き合いの得意なほうじゃなかったし……」 「それはなんとなくわかるけどな」  初見でお察しできるレベルだ。 「つーかお前、何がクラスの皆も待っているだ。そんなことがあってよく俺にあんな伝言を託せたもんだな。あいつにとっちゃ死刑台に赴くのと同義じゃないか」 「俺はクラスメートが犯人じゃないと信じている。あいつらは皆、いいやつだよ」  棚橋はどこから湧いてくるのか不思議な確信を俺へ説いてきた。  ……そいつは小鳥遊由海にはまったく関係ない理屈じゃねえか。  大体、みんながいいやつに見えるのはそれがお前だからだよ。皆、お前にいいやつだと見てもらえるように接しているからそう感じるだけだ。  よっぽど言ってやろうかと思ったが、ここで棚橋と議論を展開し気力を割くメリットは俺にない。  俺は腑に落ちない感情を喉奥に押し止め気持ちをリセットする。 「どうしてお前が世話を焼いてやる必要があるんだ。学級委員だからか」 「……そうだよ」  マジかよ。責任感溢れる委員長だな。胡散臭いけど。 「わかったよ。あいつの部屋に繋いでみる。でも出なかったらそれまでだし、あいつが嫌がったらそれで終わりだ。いいな」 「構わない」  棚橋が頷いた。  俺は小鳥遊由海の部屋番号をポチポチと入力しながら静かに鼻を鳴らす。  棚橋の主張に納得したわけではないが一応彼なりに真剣に考えてのことなのだ。無下にするのも心苦しい。  話したからといって何が変えられるとも思わないが。  第一、このイケメン太郎棚橋が訪ねても無視するというのに小鳥遊由海が俺を相手に応対するだろうか。  このマンションはインターフォンにカメラが搭載されているので誰が訪ねてきたのかが確認できる仕様になっている。  俺の顔が映し出されたところで居留守を使われるのがオチだろう。そういう腹積もりだったのだが。 『……どう、したの?』  呼び出しのコールが鳴って数秒後。インターフォンの向こうからあまり喋り慣れていない感じの声が聞こえてきた。 「よ、よう。久しぶりだな?」  まさか応じると予期していなかったので俺はぎこちない口調となる。 『なんで下のインターフォンなの? 直接玄関に来ればいいのに』 「お前に会いたいってやつが来てるんだ」 『……誰?』 「棚橋だ」 『…………』  無音の間が生まれる。インターフォンの向こう側でどうするべきか思案しているのだろう。 『棚橋君、だけ?』 「そうだ」 『うん』  これは会ってもいいという意思表示なのだろうか。 「代わるぞ」 『うん』  どうやらそうだったらしい。  俺は棚橋にインターフォンの正面の場所を譲る。 「小鳥遊さん、久しぶりだね」  カメラのレンズを通した向こうにいるクラスメートに棚橋は柔らかな口調で語りかけた。 『……うん』  たどたどしくも返事が返ってくる。 「やっぱりまだ、学校には来れないかな」 『ごめん、なさい。怖い……から』  つっかえつっかえの話し方。 『棚橋君』  けれども。 「なんだい?」 『わたしにもう関わらないで』 「…………」  けれども、口にするのはえらく直球な言葉で。小鳥遊由海という少女は口下手だけど自我が弱いわけじゃないんだよなぁ。 「俺が何かしたかな。もし気に障るようなことをしてたなら改めるよ」  棚橋が狼狽した気配も見せずに平静とした面持ちで返した。  すげえな、コミュニケーション能力の高いリア充は対応力も違うぜ。俺は素直に感心した。 『棚橋君は悪くない』 「なら、どうして?」 『ごめん。言いたくない。……もういい?』 「待ってくれ。最後に一つだけ聞いて欲しい」 『…………』 「俺たちが、君を酷い目にあわせたやつを絶対に見つけてみせる。今度は見過ごさない。君が安心して学校に来れるようにする。だから……」  ブツッと通信が途絶える音。  それは棚橋に対しての拒絶か己の過去への決別か。  ……俺には両方に思えた。 「……その時はもう一度、学校に来て欲しいんだ」  棚橋はもうどこにも繋がっていないスピーカーに言葉を吹き込んだ。決死の覚悟が滲んだ決意の表明は届くことなくロビーに響く。  ……ところでその俺たちっていうのはどの人たちのことをさしているのでしょうかね。  対話を終了させた棚橋がこちらを向く。  彼にはもう、迷いの姿勢はなかった。直視をするのが眩しすぎるくらいのやる気と熱意に満ちた両眼が俺を見つめる。 「小鳥遊君。明日から小鳥遊さんのために一緒に犯人捜しを頑張ろう」 「…………」  まあそうくると思ってましたよ。  ぶっちゃけた話、隣に住んでいるというだけの関わりしかない他人が不登校であろうとなかろうとどうでもいいのだが。  しかしここで断って棚橋に愛想のない冷徹な人間であると認識されては困る。  こいつが俺の悪口を伝播させるとは考えにくいが、悪評ほどいつの間にか広まっていくもの。  火のないところには噂は立たず。  わざわざ火種をこさえるリスクを負うのは賢いとは言えない。  特に転校したばかりで俺の具体的な印象が定まっていない今、そういう風評被害は俺の立場を著しく貶めるのだ。  協力を拒否すれば面倒事に巻き込まれることはなくなるがそれ以上のデメリットがのしかかる可能性が大いにある。  つまり声をかけられた時点で俺の負け。拒否権などというものは最初から存在しないのだ。だから。 「よろしく頼むよ」 「……おう」  棚橋の念押しに俺は消沈しながら了承する。  日和見? 違うぜ。  こういうのは処世術っていうんだ。  こうして俺は否応なしに、いや、なし崩し的に。  小鳥遊由海を不登校へ追い込んだ犯人を見つけ出す探偵ごっこに協力することとなってしまった。  いやはや。俺はどうするべきなのだろう。  どうするべきだったのだろう。  まあそれがわかるほど器用な人間なら俺はこんな面倒な事には巻き込まれちゃいなかっただろうがな。
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