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第三章
翌日の昼休み。
弁当を食い終わった俺は棚橋にその旨を伝えるメールを送信した。
出来るだけ早めに昼食を食べ終えてくれ、迎えに行くからと。
昨日、棚橋からはそう指示を受けていた。
犯人を捜すにあたってまず訪れたいところがあるのだという。どこに行くかは聞いていない。
今日から始まる推理劇。だが俺はすでに俺たちは何の成果も挙げられないだろうと予測していた。
学校側だって何もしなかったわけではないだろう。
それなりの調査は行ったはずだ。それでも首謀者は不明のまま。
情報量に限りのある一高校生の力で膨大な数に上る全校生徒の中からほんの一握りの悪意を見つけ出すことはより不可能に近い。
自己満足の域を出ず、行き詰る最期が容易く想像できる。
これは正義感のアピールみたいなものだ。
何もできない小僧の悪あがき。
だから棚橋の気が済むまでやって、後は時間の経過に審判を委ねるというのが落としどころというやつだろう。
メールを送って三分と待たず、棚橋は教室の入り口に顔を見せた。
早いな。
まあ同じフロアで教室を一つ挟んだだけの近距離にいるのだから普通か。
お迎えが来場したので俺は自席を立ち、若田部たちの輪から退座して棚橋の元へ向かおうとする。
「…………」
背後から強い視線を感じた俺は振り返った。
今日も一人静かに食事をとっていたイツキが文庫本から目を離し、椅子に座った状態で俺を凝視していた。
「……何か俺の顔についてるか?」
「いいえ。歯には青のりがついてるけど」
澄まし顔で恥ずかしい指摘をされた。
マジかよ。
くっ、やきそばには青のりが必須とはいえ弁当には控えるべきだったか。ちょっと後悔。
そして勉強になった。
「小鳥遊君、棚橋君と何か共謀しようとしているの?」
「物騒な言い方しないでくれよ。ちょっと不毛な慈善活動をするだけさ」
「坂東先生の育毛費用の援助金でも集めるの?」
「お前はそれを不毛というのか」
学年主任の坂東先生に謝れ! まだどうにかなるかもしれないだろ!
「じゃあ悪党退治とか?」
確かに悪は減らないもんな。
やるだけ無駄という点では正鵠を得ている。
「ま、似たようなもんだ」
「小鳥遊君、どことなく煙に巻こうとしてるわね」
鋭い御仁だ。
その瞳は宇宙の全てを見通しているのではとこちらに予感させる。
「いや、隠そうとしてるわけじゃないんだが」
ペラペラと話していいものなのか。
個人情報に関わることだし。
そもそもなぜイツキは俺たちの動向に詮索を入れてくるのだ?
わからん。棚橋にご執心なのか。
それとも俺に興味があるのか。
後者だったらちょっと嬉しい。
フラグか? フラグなのか?
あなたのことは何でも知りたいのってか?
都合よくその他の可能性を無視する辺り、俺もまだまだ青いと言わざるを得ない。
「……おい、棚橋が待ち呆けてるぜ」
若田部のその声にハッとして振り返ると他クラスというアウェーな環境で所在無げに佇んでいる棚橋が目に映った。
いかん、すっかりやつの存在を忘れていた。
ナイスアシストだ、若田部。本人にそのつもりはないだろうがよい助け船となった。
「すまん、また後でな」
俺はイツキにそう断りを入れ、そそくさと逃げ出すようにその場を後にする。
やましいことはしていないのにおかしな話だ。
「悪い、待たせたな」
教室から出た俺は軽い謝罪を口にする。いや、本当、存在を忘れちまってすいませんね。
「君は彼女とはよく話すのかい」
さりげなく俺の言葉を聞き流した棚橋がちらりとイツキに流し目を送る。
また絶妙な問いをしてくるな。
なぜそんな答えにくい質問をするのだ。
それってかなりNGな質問じゃね?
「まあ、そこそこだな」
少なくとも小鳥遊由海よりかは親交があると思う。
かといって特別懇意であるかというと自信を持ってそうと答えることはできない。せいぜい教室でとりとめない会話をするくらいだし。
だからそこそこ。
便利な言葉だ、そこそこ。煮え切らない日本人にもってこいの言葉である。というかイツキと棚橋は知り合いだったのか。
いちいち確かめたりはしないが、わざわざ訊ねてくるのだからそういうことなのだろう。
「それでどこへ行くんだ?」
自然に歩き出した棚橋にさりげなく訊いてみる。
「とりあえず、ついてきてくれ」
前を歩く棚橋は背中を向けたままそう返してきた。
「お、おう……」
どうして黙秘を貫くのか。
階段を上って渡り廊下を歩き、人の気配も少ない校舎の端へと俺たちは進む。
本当、どこへ連れて行くつもりだよ……。こっちのほうには特別教室くらいしかないはずだぞ。
人気のないところへ連れ込み、一体何をするというのか。不可解な情報の隠匿が俺に要らぬ不信感を抱かせる。
道すがら、俺と棚橋は無言だった。
もともと特に気の合う仲間同士というわけでもないし小鳥遊由海関連以外で俺たちに共通の話題はない。
静寂は安寧ではなく地味な苦痛をもたらす。気まずさを覚えるのが嫌で俺は無心を心がけた。
やがて棚橋はある部屋の扉の前で立ち止まる。ドアの上には『生徒会室』と書かれたプレートがかけられていた。
「ここは生徒会室だ」
「見りゃわかるよ」
「それもそうだね」
ニコリと微笑む棚橋。ひょっとして馬鹿にされているのだろうか。
「行きたいところっていうのはここなのか」
「ああ」
棚橋が肯定する。
「今から会うのは生徒会長の乙坂緒留さんという先輩だ。気難しい人だから失礼のないよう気を付けてくれ」
「だったら先に心の準備をさせてもらいたかったね」
「すまない。先に言ったら来てくれなくなると思ったんだ」
どういう理屈だ。
「協力するって約束しただろ。逃げるかよ」
嫌々とはいえ、引き受けておいて無責任に放り投げることは俺の良心に呵責をもたらす。
自分の好きなように生きたければ後ろめたい負い目はなるべく作らないようにする。
それが俺の持論だ。
棚橋はすまない、と再度謝罪の言葉を口にする。謝罪を必要としていたわけでなかった俺は話を先に進めることにする。
「それで、どうしてその人に会う必要があるんだ?」
「彼女は理事の娘なんだ。俺たちが入手できない学校側が把握している非公開の情報を流してもらおうと思ってね」
俺が事前に危惧していた情報力の欠落を棚橋も同様に考えていたらしい。
それを織り込み済みで犯人を捜し出そうとしていたのはこういうツテに心当たりがあったからなのか。
「だがそんなホイホイ機密を漏らしてくれるかね。そもそも、その会長に細かな情報が下りてきているのか? 娘っていってもただの生徒だろ?」
「あの人は学校経営に興味があるようだから、将来を見据えて後学のため自分の手元に今回の事件の資料を密かに回してもらっている可能性が高い。
緒留さんはまだ学生とは言え、そこらの大人より狡猾でしたたかだ。それくらいのことは簡単にやってのける。
俺の見立てが正しければそれなりに有益な情報を持っているはずだ」
有益ならばすでに学校が犯人を特定していると思うのだが……。揚げ足を取るような発言なので口にするのは自粛した。
「随分とその会長のことを知っているような口ぶりだな」
「……まあ、幼い頃からの知り合いだからね。あの人のことは十分に把握しているよ」
幼馴染みというやつか。
いまひとつピンとこないな。
俺には縁のない繋がりの形だからか。
「さてと。じゃあ入るよ」
いつも通りを心がけようとしているのだろうが棚橋の表情は若干強張っていた。明らかに身構えている。
棚橋でも萎縮するほどなのか。
生徒会長乙坂緒留。
一体何者なのだろう。
ノックを三回。棚橋はドアをガラリと開けた。
「おお……」
俺は思わず感嘆の声を漏らす。
中学校の生徒会室は用具室の延長のようなものであったが、それとは比べるものにならないほど豪勢な内装が目の前に広がっていた。
広さは一般の教室とほぼ同じくらい。
部屋の中央にはガラス製のテーブルがあり、上座に一人掛けソファーが二つ、下座には長いソファーが設置されていて応接室を彷彿とさせる。
うわ、ウォーターサーバーまで完備してあるし。
もうここで暮らせるな。
高校の生徒会室というものに俺は初めて入ったが、どこもこんなに充実しているものなのだろうか。
設備の豊富さにひとしきり目を奪われた後、俺は部屋の最奥にあるそれなりにイイお値段がしそうな重厚な木机に視線を移す。
「お、これは珍しい客人が来たな」
革張りの椅子に腰かけ、分厚いハードカバーを手にしていた女子生徒が俺たちの入室に顔を上げた。
この人が生徒会長で理事の娘、乙坂緒留か。
先輩なのだから当然だが襟元には三年生の学年色である赤色のリボンをつけられていた。
真っ直ぐに揃えられた前髪の下にある切れ長の目。凛々しくも美しい顔つき。
可愛いではなくとにかく美しいと表現するのがふさわしいその容姿。
窓から射し込む光が後光のように降り注ぎ、彼女のぬばたまの長い黒髪を艶やかに輝かせていた。
つーか、この人なんかどっかで見たような気がする。どこだ? 思い出せん。うーん、気のせいか。
ところで、入室時の反応からどうやら事前に生徒会長に話を通していたわけではないらしい。
そうなると見ず知らずの俺が出る幕はないな。
交渉は棚橋に任せるとしよう。
もとよりそのつもりだったけど。
俺は見に回る。
「久しぶりだね、緒留さん」
棚橋がまずは朗らかに挨拶をする。
「久しぶりも何も校内でちょくちょくすれ違っているだろう。陸、ただ君が無視するだけで」
生徒会長は棚橋の挨拶にちくりととげのある言い方で返した。
……あれ?
「すれ違っていたのか。それは気付かなかったな」
おい全然実情を知らん俺でも白々しいと感じるぞ、その言い訳! 隣で聞いている俺は棚橋の下手糞すぎる嘘に冷や汗をかきそうになる。
「弟のように思っていた存在から冷たくされる私の気持ちもおもんばかって欲しいものだな」
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