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第四章
翌日のことである。
昼休み、昼食を食べ終えた俺は雑談に花を咲かせている若田部たちの輪からひっそりと抜け、とある場所を目指していた。
俺が買わずに続刊を読むことが出来ると踏んだ場所。
それはまあ、予想はつくと思うがズバリ学校の図書館である。
転校してからはまだ一度も訪れたことはなかったが場所だけは聞いていたのでなんとか辿り着くことが出来た。
まさか個人的な理由で利用する日が来るとは思っていなかったが、覚えておいてよかった。
ドアを静かに開き静寂な雰囲気が漂う図書室独特の雰囲気に踏み込む。
音を立てぬように扉を閉め、部屋に入ると俺もすぐさま室内の空気を形成する一部へ溶け混じる。
座席は思っていたよりも利用者で埋まっていて、ガラガラだった前の高校とのギャップに少々驚く。
学校が違えばこういうところでも特色が出るものなんだな……。中学校の時なんかはどこでも総じて閑古鳥が鳴いていたものだったが。
義務教育でないぶん、高校は学校ごとに似通った学力または性質の生徒が集まりやすい。
その結果として細かなところで個性が反映されるのかもしれない。
まあそんな感想はどうでもいいか。
それより俺の目当ての物はどこにあるのかね。
恐らくライトノベルは専用のコーナーが設けられて一般書籍とは区別して陳列されているはずだ。
棚と棚の間を彷徨いながら俺は目的のブツを探し求める。
棚の合間をうねうね歩き回っていると、やがて人気のない奥まった隅のところにそれらしき本が並べられている棚を発見することができた。
そしてそこには俺の少ない知り合いの中でもおよそその場に最も似つかわしくない人物が先客としていた。
「棚橋……」
「ああ、小鳥遊君か」
片手にライトノベルを抱えながらもまるで動揺する様子もなく堂々としている。
棚橋のようなタイプはラノベのような、いわゆるオタクカルチャーの類に対して偏見のようなものを持っていると認識していたのだが。どうやらそれこそが偏見であったようだ。
俺もまだまだ、視野が狭い。
「こんなところで会うとはね。君が来るなんて驚いたよ」
棚橋は朗らかに言う。
「お前は図書室によく来るのか?」
俺は何を話せばいいかわからなかったのでとりあえずそう訊いた。
「まあ、たまにね」
「ふうん。つーか棚橋もそういう本、読むんだな」
棚橋の手にある一冊のライトノベルを見ながら俺は言った。
「意外かい?」
「少しな」
本当はかなりであるが。
「実はこれ、小鳥遊さんの影響なんだ」
よく見るとそれは昨日、俺があいつから借り受けたタイトルの最新刊のようだった。
「ここで小鳥遊さんが楽しそうに読んでいてね。話しているうちにいろいろとおすすめを布教されてさ」
熱心に布教活動をしておられたようだ。あいつはファンの鑑だな。
「すっかり毒されちまったというわけか」
俺は茶化すように言ったのだが。
「そういうことだね」
あっさりと受け流されてしまった。さすがイケメン。スルースキルも人並み以上か。
「お前みたいなやつはラノベなんかを見てるのを隠そうとすると思ってたんだけどな」
そんな気配は棚橋には微塵もない。そもそも隠す気があるのなら学校の図書館なんかでは借りないだろうし。
「まあ、俺の友達でこういうのを好意的に見てるやつはいないね。だけど、好きなものは好きでいいと思うよ。それを周りに押し付けるのはよくないだろうけど、決して恥じることではないと俺は思うから」
棚橋の中にはしっかりと自分で定めた物の価値観が存在しているらしい。それは周囲に左右されることはなく、絶対的に揺るがない。
俺はこれまで棚橋はただ周りに同調しながら作った画一な価値観だけで行動していると思っていた。
だが違った。
棚橋は確固たる自分の考えを持っている。それでいながら周囲にも気遣いが出来るのだ。
何だよ、そのハイブリッド超人は。
最強すぎるだろ……。
俺は棚橋の多機能さに舌を巻く。
世渡りが上手いやつは人生の荒波を難なく避けて通れそうで、何となくずるい。
「そうそう、ちょうど君に伝えに行こうと思っていたことがあったんだ」
俺が棚橋に勝手な妬み心を抱いていると棚橋は思い出したように口を開いて言った。
俺に言うことがあっただと?
うわ、聞き込みの進捗を訊ねられたらどうしよう。
貼り紙で済ませたことを教えたらどんな反応をされるだろうか。しかも連絡はないし。
はい、進捗ダメですぅ……。と、俺はドキマギしていたのだが、それは棚橋の次の一言で無問題となった。
「見つかったんだよ。例の猫の飼い主が」
「……は、マジか」
正直、絶対に見つからないだろうと思っていたのだが。
よくも捜し出したものだ。
さすがというべきなのか。
ただ、少々上手く事が運び過ぎているような気もする。どこかでしっぺ返しがこないか不安だ。
「うちのクラスの八重樫やえがしさんがそうだったんだ。君も小鳥遊さんの病室で会ったことがあるだろ」
病室で会っている?
ひょっとして、あの眼鏡の女子か?
へえ、案外身近にいたものだな。神がかり的すぎる偶然。
世間は思ったよりも狭い。
「だから今日の放課後に八重樫さんの家の周辺を三人で調査しようと思っているんだけど、大丈夫かな」
棚橋は俺に予定の有無を問うてきた。
無論、俺は何も予定などない。
だが、調査というのは何をするつもりなんだ?
そこはかとなく疑問であるが、別にいいか。
そこらへんは棚橋に一任しよう。
「構わないが、三人?」
「ああ、八重樫さんも手伝ってくれるらしい。彼女の猫だったんだ。何かしたくなるのは当然だと思う」
「まあ、そうだな」
飼い主としてペットの仇を許せるわけはないだろう。
俺は速やかに納得した。
「じゃあ、放課後に正門の前に集合でいいかな」
「いいぞ」
深く考えることもなく、二つ返事で了承した。
「…………」
「…………」
一通り約束を済ませると俺と棚橋はお互い黙り込んだ。
事務的な用件がなくなれば俺と棚橋には取り交わすやり取りは失われる。
俺たちにはそれ以外に何も通じ合うものがないからだ。
気まずい沈黙。
こういう微妙な間が生まれる時点で恐らく俺と棚橋は人間的にあまり合わないのだろうなとふと感じる。
きっと小鳥遊由海のことがなければ俺とこいつは話すことはなかっただろう。俺からコンタクトを取ることはありえないし、棚橋も殊更関わってくることはなかったと思う。
小鳥遊由海という第三者を媒介に本来交わることのなかった俺たちが今こうやって向き合っている。
そもそもなぜ俺を巻き込んだのかというのは疑問ではあるが。
まったくもって、どうして気楽に会話が進められる友人の中から相棒を見繕わなかったのか。
まあ棚橋にも事情があるのだろうが……。
だったらこういう気まずさをどうにかする役割はそっちが受け持ってほしいものだ。
そんな俺の脳内を覗き込んだわけではないだろうが。
「実は、小鳥遊さんと初めて話したのはここなんだよね」
沈黙を切り裂くように、棚橋は何の脈絡もなくいきなりそう言ってきた。
「へえ……」
俺は曖昧な返し方でそれに応える。棚橋が何を思ってそんなことを切り出したのかわからなかったからだ。
「それまではクラスは一緒だったけど、小鳥遊さんのことはよく知らなかったんだ。大して話したこともなかったし」
聞いてもいないのに棚橋は小鳥遊由海について、かつて自身が抱いていた印象を語る。
「教室ではいつも無表情でつまらなそうに小説を読んでいるだけ。誰かがたまに話しかけても素っ気なく返す。愛想のない変な子だと思っていたよ」
変であるのは紛れもない事実なので、どう好意的に見ても覆ることはないだろうが……。
それを言うのはNGな気がしたので自重した。
「だけど俺は見たんだ。常に仏頂面をぶら下げていた彼女が楽しそうに笑っているのを。普段は世界全てをつまらなそうに見ていた彼女が、この図書室では明るく笑っていた」
まだそう昔のことではないだろうに、棚橋は遠い過去を懐かしむように語る。
「意外だった。あんな目映い顔をするんだなって思った。この場所で本を読んでいる彼女は自然体に見えて、いつもとは別人のように生き生きしていた」
「…………」
「最初はただの好奇心に近かったと思う。それまでの、教室での印象とは異なる彼女を見て、俺はもっと小鳥遊さんのいろんな表情を見てみたいなって思った。他にはどんな顔をするんだろうって興味が湧いた」
棚橋の口調に熱が帯びてきた。
恐らく、今まで誰にも語らずに胸の内に秘めてきた想いなのだろう。
それを今、俺という他者に発信しているのだ。
「その笑顔を見た日から俺は少しずつ彼女が気になるようになっていった。教室にいるときの不愛想な彼女。図書室に一人でいるときの彼女。
どれが本当の彼女なのだろう。その時々で目まぐるしく変わる表情の奥で一体どんなことを考えているのだろう。
想像し、知りたくなった。そうやって俺は、小鳥遊さんを自然と目で追うようになっていった」
…………。
棚橋の独白を聞き、それまでありえないことだろうと勝手に捨て置いていた仮説が信憑性を帯び始める。
「まるで恋焦がれているみたいな言い方だな」
少しばかりの揺さぶりをかけようと俺は軽いジャブを入れてみる。
別にどうしても聞き出したいわけではないが手間に付き合わされるのだ。
実情を共有させてもらってもいいのではないかと思う。
まあ、またはぐらかされるのだろうなと半ばダメ元ではあったが。
ところが。
「そうだね。……俺はきっと、小鳥遊さんのことが好きなんだと思う」
「は……?」
思いにもよらない棚橋のカミングアウトを受けた俺は固まる。いや、そうならざるを得ないだろ。
探りを入れようとしたら見事なカウンターパンチを食らってしまい、それどころかアッパーカットでとどめすらさされたというオチであった。
「これも、君にとっては意外だったかな」
ニヤリと悪戯っぽく笑う棚橋。
「……いや、それは納得って感じだ」
せめても抵抗とばかりに俺はそう答える。
棚橋は学級委員だからとかなんとか言っていやがったが、明らかに入れ込み具合が普通じゃなかったしな。
だから白状されれば合点はいかないこともない。
ただそれを棚橋があっさりとここで俺に打ち明けたことが慮外な出来事だった。今まではぐらかしてきた棚橋がなぜここへきて真意を話す気になったのはなぜだろう。
棚橋の心境が読めなさすぎて思考が追いつくことをなかなか許してくれない。
「まあ、君が察するのも当然かもしれないな。ただ学級委員だっていうだけで入院してすぐさまお見舞いに行ったり、登校できるようにその原因を取り除こうと犯人捜しをしたり。あからさま過ぎた」
「まあ学級委員はそんなことまでしないわな」
当初から思っていたことだが、活動の範疇外にも程がある。
フィクション世界の学級委員じゃあるまいし。
実際、学級委員が目立ってする仕事なんてものはせいぜいホームルームのまとめ役くらいだろう。
お見舞いくらいは行くかもしれんがあの時はそこまで重症でもなかったし、やっぱりおかしい。
「君は、単純な理由だと思うかい?」
棚橋は俺の目を見ながら静かにそう訊いてくる。
……それは好きなったきっかけのことか?
それとも犯人を探そうとする動機についてか?
「……そんなもんだろ。恋愛感情なんてもんは」
迷った末、俺はどちらの答えにもなりうる言葉を選んで吐き出した。
それを聞いた棚橋はふっと笑みをこぼす。
それは肯定されたことへ対する安堵から来るものか、それともありきたりな言葉しか言えない俺へ対する嘲笑なのか。
いや、深読みはやめよう。
そう思うくらい棚橋の雰囲気には嫌味がなさすぎた。
「俺は昼休みや予定が空いている放課後に度々、図書室へ足を運ぶようにした。小鳥遊さんと話がしたかったからね。彼女は休み時間に教室にいることは少なかったし、いても険しい表情で本を読んでいるか机に突っ伏して寝ているかだったから。話すなら図書室しかなかったんだ」
どうやら棚橋は随分と積極的に接近を試み、小鳥遊由海にアプローチをかけていたらしかった。
斜に構えて世の中を見ながら怠惰に過ごす俺とは比べ物にならないくらい前向きで向上心のある気概を持った生き方だ。
さすが自信に満ち溢れたイケメンである。
行動力が違う。
ただ、小鳥遊由海がそんなに親しくはないと言っていたのは黙っておくべきだろうな。
言わないことは嘘ではない。
黙秘することは権利である。
褒められたことではないけどな。
まあ、この場合は優しさだから。ケースバイケース。
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