ラストノート1

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 目が覚めると、耳を劈く着信音が視界よりも先に、聴覚を刺激してきた。慌てて飛び起きると、 「マネージャーさんからだよ」  俺のケータイを手にした葵がいた。 「おはよ」  そう言いながらゆったりと微笑むと、俺にケータイを手渡し立ち上がり、 「朝ごはん作るね」  と、玄関のそばにある一口コンロと小さなシンクしかない台所にペタペタと歩いていく。俺はその小さな後ろ姿を見送ってから電話に出る。 「あ、起きてた。良かった良かった、八時に迎えに行くからね」  彼はそう言うと、あっけない程の清々しさで電話を切った。俺はケータイを手放すと、ふっと視線を巡らせ、ローテーブルを見た。飲みかけの珈琲が入ったマグカップ以外何もない。  あれは、夢だったのだろうか。  俺は頭を掻いて立ち上がると、葵のいるキッチンに向かい、背後からその薄く小さな身体を抱きしめた。強く力を籠めたら簡単に折れてしまいそうな体躯。頬に髪を擦りあてると、昨日感じた甘い香りが漂ってくる。 「火使うから危ないよ?」  子供を叱るかのように優しい声音で窘められる。俺はそれを曖昧な返事で避わすと、ゆっくりと腕に力を込めて、細い腰を抱きしめた。  離したくない。 「どうしたの? 疲れた? あんなところで寝ないで布団に入ってくれば良かったのに」 「起こすと思って……」  そう言うと葵はくるりと俺へと振り返り、大きな瞳で見上げてくる。俺より少し小さい手が、俺の髪を乱暴に撫でた。 「起こして欲しかったな」  そう言って背伸びする葵からのキス。  柔らかくて、触れるだけの、穏やかな、薄いカーテン越しの光のようなキスは、胸の中でこびり付いた不安を、爪先でかりかりと優しくはぎ取ってくれる。  やっぱりあのメモ帳はなかったんだ。  そう確信しながら、俺は唇を重ねたまま、角度を変えて彼の唇を深く貪る。  舌先が触れ合った時、葵の手がしっかりと俺の首に回って、引き寄せられた。
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