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ep.01 *prologue《剣と魔法の世界》1
好きの反対は、嫌いじゃなくて無関心。
そんな言葉を言う人がいる。もしそれが本当なんだとしたら、人類の未来は絶望的だ。
最初に神様を考えた人は、きっとそれに気付いていたんだと思う。だって、世界を創った神様がいて、そこに意思があるのなら――時には僕らに希望を見せて、生きる元気や勇気をくれて、時には試練や罰も与えてくれる、そんな存在がいるのなら、僕らはいつだって安心できるから。
もしも誰かに見捨てられたって、神様がいるんだって信じていられれば。世界は人間に対して無関心じゃないんだって思えれば。きっと僕らは、寂しくならずに生きていける。
――でも多分、真実は違う。
実際には僕らがどんなに
笑っても、
怒っても、
喜んでも、
泣いても、
世界は驚くほど僕らに無関心で、宇宙はちっぽけな人間になんて目もくれない。
それが現実。だから未来に希望なんて無い。
それが中学一年生の僕に、人生最期の一歩を踏み出させた理由だった。
***
夜、土砂降りの雨――。ざわめき立つ繁華街に乱れる傘の群れ。
アスファルトの道路を覆う薄い水の膜が、街の色彩をゆるゆると反射している――その煌びやかな水面を、鮮やかな赤い線が静かに横断していく。
ガードレールに荒々しく車体を擦らせて止まったトラック。その運転手は、両手でハンドルを硬く握り締めたまま硬直し、虚ろな表情で、雨が躍るフロントガラス越しの宙空を見つめていた。
トラックの後方――交差点の中央には、一人の少年がうつ伏せに転がっている。水面を流れる赤線の源泉は、彼の頭部であった。少年がその状態から動くことはない。
「ちょっとぉ、なになに?」
「うっわぁ、ヒデぇなアレ……絶対死んでるぜ」
「かわいそー。まだ子供じゃない?」
「えー、今俺の目の前で事故がありましたー」
不謹慎な野次馬達は遠巻きに、携帯のカメラや好奇の目を彼に向けて、無節操に騒ぎ立てていた。
一方、まるでその場所だけ、時が止まったかのように静まり返っている交差点に、やがて遠くから、救急車のサイレンが雨音を縫いながら近付いてきていた。
***
瞼を通して感じる穏やかな光――目を覚ました少年の目に、最初に入ったのは、騎士と姫が寄り添って星を眺めている絵であった。それが天井ではなく天蓋に描かれたものであると認識できたのは、彼の身を包む柔らかな布の感触が、ベッドのそれであると気付いたからである。
ベッドの周りは、天蓋から垂れ下がる薄いレースの幕で囲まれており、その向こうに映る小さな影から、少女の鼻唄が聴こえてきた。
(ここは……? 僕はなんで――?)
少年は自分の身体の至る所に、包帯が巻かれていることに気が付いた。それは非常に丁寧に施されたものではあったものの、包帯の下には何かの葉っぱがそのまま貼り付けられていて、少年にはそれが酷く原始的な処置のように思えた。
(なんだこれ……。何が――あったんだっけ……思い出せないや)
頭の中に白い靄が立ち込めているような感覚で、少年が何かを思い出そうとすると、それが追憶の行く手を阻んだ。
「(なんで僕は……)――痛っ!」
彼が何気無く起き上がろうと身体を動かすと、全身に鋭い痛みが走る。
するとその声に反応して、レースの向こうにいた少女が少年に声を掛けた。
「あら、気が付いたのね? でもまだ動かないほうがいいと思うわ」
するりと垂れ幕を抜けて姿を現したのは、淡い金色の髪をした可憐な少女。彼女は小さな銀の吸飲みを手に、少年に優しく微笑みかける。
「私が見つけた時は、死んでしまっているのかと思うほどだったもの。ううん、王室魔法医がいなかったら多分、本当に死んでいたところだわ」
「君が……助けてくれたの?」
「いいえ、私は見つけただけよ。――そうそう、それよりあなたお名前は? 私はフェメ」
「えっ――?」
正に今それを思い出そうとしていた少年は、思わず口ごもったが、靄の中から掴み取れたその答えを、少女の瞳を見つめながら返した。
「僕の名前は……ユウ」
しかし憶えていたのは、唯一その自分の名前だけ。
「ふぅん、変わった名前ね? まあでも、よろしくね。ユウ」
そう言って微笑む彼女の姿はまるで、小さくとも誇らしげに咲く一輪の清廉な花――そんな印象を得て、心なしか安堵を覚えたユウもまた、自然と優しい笑みを返した。
***
――『剣と魔法の世界』。
言わずもがな剣とは、牙や爪を持たぬ人間が有史以前から磨き続けた、最も身近な武器のひとつである。
そして魔法とは、体内に秘められた魔素と呼ばれるエネルギーを、イメージによって呼び起こし、古の言語を用いた呪文によって作用を決定付ける、謂わば意図的な超常現象である。
ここは、人々がその2つの力と勇気を以て、束の間の栄光と平和を手にする為、モンスターと呼ばれる、獰猛で恐るべき力を持った異形の魔物達と戦い続ける――そんな世界であった。
しかし数百年前、前触れもなく現れた巨大なる竜、災厄の名を関する暗黒の竜『ガァラムギーナ』によって、その世界のパワーバランスは大きく崩されることとなった。
幾人もの冒険者――戦士や魔法使い、そして世界中の名だたる騎士団が、果敢にもその竜に挑んだものの、結果は無慈悲。絶対的なガァラムギーナの力の前に、彼らの生命は儚く散っていったのであった。
そして現在。
山や大地を焼かれ、何千万という人間と数多くの国々を、ガァラムギーナに滅ぼされたアーマンティルの人々は、絶望と恐怖の闇に包まれながら、すがる希望も持てずに暮らしていた。
***
ユウが目覚めてから4年後――。西の大地、黄昏の丘。
緩やかな傾斜を覆う朝霧の中に、騎馬隊と思しき影があった。カチャカチャと鎧や剣の鞘が鳴るその列の前を、雑草と湿った土を跳ね上げながら、伝令の手旗を掲げた早馬が通り抜けていく。
やかて伝令兵は、軍の最前列にいる一際大きな鎧騎馬の前で止まると、開戦前の昂る空気に当てられて嘶く馬を「どうどう」と抑えてから下馬し、速やかに片膝を突いた。
「将軍、全軍準備整いました!」
「ご苦労」と頷き返す、巨馬の男。
全身を頑強な鎧で包み込んだ巨躯の戦士である。残ばらの黒髪と強い顎髭がいかにも豪放な大丈夫を演出している武人であり、背にはその長身に見合った分厚い2本の曲刀があった。
「正念場だ、覚悟はよいか? ユウ」
男の名はレグノイ。この軍をあずかる将軍の一人である。彼は野太い声で、隣に並んだ白馬の少年騎士に、そう声を掛けた。
「大丈夫だよレグノイ。もう覚悟はできてる」
応えたのは、輝く銀髪と澄んだ翡翠色の瞳をした少年。白銀の軽鎧を纏い、腰には白銀の剣を佩いている。
幾分精悍さを身に付けたものの、顔にはまだあどけなさが残る彼は、今やこの剣と魔法の世界において最強と謳われるようになった、あの少年ユウであった。
彼は今まさに、この世界の人々の夢と希望を背負い、災厄竜ガァラムギーナとの決戦の場に赴いていた。
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