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ep.03 *prologue《剣と魔法の世界》3
モンスターとの決戦開始から数時間。中天に昇った太陽の下、戦況は数の不利をものともしないユウの活躍により、開幕当初の勢いそのままに、人間達連合軍へと大きく傾いていた。
その激しい戦闘が繰り広げられる丘の遥か遠方――。切り立った崖の上に、この世界にはおよそ似つかわしいとは云えぬ、フォーマルに仕立てられた黒いスーツの人影があった。
「おおー、始まった始まった」
崖の縁に座ってプラプラと細い足を揺らす、小柄な女性。――無造作に切られた短い赤髪。褐色の肌に、キラキラとした円らな瞳と可愛らしい八重歯が相俟って、愛嬌たっぷりの猫といった印象の少女である。
肉眼では微かな砂煙しか見えないであろう距離から、彼女は右眼にぼんやりとした青い光を湛えながら、丘の様子を観察していた。
その視界には、モンスターを次々と薙ぎ払う勇者の鬼神の如き闘いぶりがハッキリと映し出されている。
「あのガキ、なかなかやるじゃねーか。やっぱ転移者ってのはそこそこ戦えるもんだな?」
赤髪の少女は、幼さの残る顔つきとは裏腹に、乱暴な口調でそう言った。彼女自身の年齢は、彼女が『ガキ』と呼んだユウと大差ない。
そんな少女の問い掛けに、後ろに立っていた金髪碧眼の――こちらはいかにも雄々しい体躯の男性が答えた。彼もまた少女と同様、黒いスーツ姿である。
「あの少年は高粘度情報者だからな」
服の上からでも見て取れる、筋骨隆々の身体。凛々しい目鼻立ちと太い顎。しかし猛々しい肉体とは対照的に、その表情は紳士的で穏やかであった。
先の少女を猫とするならば、金色で癖の強い巻き毛の彼は、さながら獅子といったところである。
少女に倣ってその男も、遠くで戦う少年の姿を、見守るように眺めていた。
「それほど大きな情報改変力を持たずとも、転移者というのは大抵、彼のように英雄的な存在になる」
「経験者は語るってやつだ? 楽しそうだよなー、主人公は。いかにも『世界の主役』って感じでさ? じゃない?」
少女が八重歯を見せてにやけ顔で言うと、
「力を持つ人間が幸福だとは限らないさ」と男。
二人が丘の方を見ながらそんな会話をしていると、突然どこからともなく――と云うよりも、彼らの頭の中に直接、若い女性の声が響いた。
〔待たせたな〕
――芯の通った、少し低めで凛とした声。
〔情報犯罪者を確認した。座標を送る。リアムはこちらに合流しろ〕
その女性の思念に、
〔俺は?〕と少女もまた頭の中で返す。
〔アマラは先に戻って、局長に報告しておけ。『事件は解決した』とな〕
〔へいへい、了解〕
飄々と返した彼女は立ち上がると、徐に自分の目の前に手を翳した。すると空中にポツポツとした光の粒子が現れ、それは瞬く間に幾何学的な線となり、宙に半透明の、立体的な設計図を描き出した。
間もなく図面は実体と色味を帯びて、数秒と経たぬうちに、流線的なデザインの赤いバイクが組み上がる。
「――んじゃお先」と、それに跨がる少女。
「ああ。お疲れ様」
男が手を振ると、少女は笑顔でアクセルを吹かした。後輪が甲高い音を鳴らし、激しく砂埃を巻き上げる。
「おつかれーぃ!」
と次の瞬間、彼女を乗せたバイクは凄まじい加速でもって、崖から一気に飛び降りていった。
無言でそれを見送った男は、再びチラリと丘の決戦に目をやる。
(英雄的な存在、か……。真実を知った時、あの少年がそれでもその意志を保てればいいが――)
奇妙なことに男は、音も無くその場から徐々に浮き上がっていく。そして今しがた少女が向かった方角に向き直ると、その場に爆音と衝撃波を残して一瞬にして飛び去っていった。
***
ユウらが戦いを繰り広げている丘の、南西にあたる広大な森の中。
生い茂る木々をくり抜いたようにポッカリと空いた場所に岩山があり、麓に巨大な石の門で閉ざされた洞窟があった。
門にはこれといって目立った意匠や装飾の類は無い。しかし勘の鋭い者や魔法使いであれば、その門が放つ禍々しいオーラに尻込みし、決して近付こうなどとは思わなかったであろう。緑豊かな森であるというのに、門の付近に鳥や小動物の姿がひとつも見当たらないというのが、その証拠であった。
その不吉な石門の前に、黒いフォーマルスーツに黒いロングコートを羽織った、美しい女性。
――艶のある黒髪は短めのボブカット。長い睫毛に澄んだ大きな黒の瞳。綺麗に筋の通った鼻と健康的な朱を帯びた唇。肌理細やかな白い肌に、それらのパーツが黄金比で配置された顔は、女神もかくやという完璧な造形である。
そこに加わる抜群のスタイルも相俟って、彼女の美しさは、およそ現実のものとは思えぬほどであったが、しかし強い意志を宿した瞳は、彼女が正しく人間であることを示していた。
女の横には、先程彼女からの指示を受けて合流した、金髪碧眼の偉丈夫――リアムの姿があった。
「ここが入り口か……」
リアムはその門扉に何の躊躇いもなく手を掛ける――すると門から、赤黒い光の触手のようなものがヅルヅルと伸びて、彼の太い腕に絡みついた。
「? クロエ、これは?」
リアムが問うと黒髪の美女――クロエが答えた。
「この世界特有の魔法だろう。念の為解析させる。――AEOD」
クロエが自分のこめかみに手を当てると、彼女の右眼が青く光る。そしてその視界に、魔法を構成する情報が論理式の様に表示され、次々と流れてゆく。
「どうやらセキュリティのようだな。『解呪の証』と呼ばれる鍵を持たずに侵入しようとすると、自動的に発動する呪詛防壁――つまり侵入者を呪い殺すシステムだ」
「その鍵は?」とリアム。
「無い。だが事象演算予測では、整合性の破綻まであと45分だ。この世界の設定に付き合ってる暇はない」
淡々とそう告げるクロエに、リアムは「了解した」と一言。
彼は平然と、分厚い門扉の隙間に無理やり片手を突っ込むと、その片側を力任せにこじ開ける。――勢い余って外れた扉が、数十メートル後方にまで吹き飛んでいった。
そして扉が壊れると同時に、リアムに取り付いた光の触手は霧散した。
「開いたぞ」
門扉の奥には地下へと続く幅広の階段。中は暗闇で、常人にはその先がどうなっているのか、どれほど続いているのかも窺い知ること出来なかった。ただ奥からは、不気味に流れる風の音だけが聴こえてくる。
「暗いな」
しかしクロエの右眼が青く光ると、暗闇に澱んだ洞窟の様子は、彼女の視界の中ですぐさま鮮明な映像へと変化した。明るさやコントラストが自動的に最適化され、端には温度や湿度、現在地から目的地までの経路や距離も表示されている。
「……4キロか。思ったよりは深いな」
と言いつつも、彼女が臆することなく洞窟へと足を踏み入れると、リアムも数メートルの間隔を置いてそれに続いていった。
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