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――いなくなった。
バイソンの灰色のだらしない舌が、フゴフゴ息を漏らしながらブカブカ揺れている。
離れた両目がどこかガチャガチャしていて、何を見つめているのか分からない。
彼らはただ、雪に閉ざされた草原であの巨体を膝まで飲み込む雪を蹴散らしながら、捕食者から逃げているだけ。
泡になった涎を吹き、やっばりどこまでも醜いあの灰色の舌を揺らしながら、確実に体力を削り続ける雪に足をすくわれながら。
死に物狂いで森へ逃げ込もうと、雪に杭を打ち込むように上体を前後に揺さぶりながら駆けていく。
――いなくなった。
バイソンの舌が灰色で、死んだ沼の底みたいな色で。舌の表面にボツりボツりと何かが隆起していて。
死んだ沼が底からガスを吹き出してるように見えてきて。バイソンの舌が何故灰色なのかとか、バイソンの口元が何故あんなにも締まりがねぇのか、唇がかみ合ってないのではとか思ってみたり。
そもそもバイソンの舌はいつもあーしてブカブカと垂れ下がったままなのかも、とか。
全部がものすごく醜悪にみえて。正確にはあのどこかガチャついた目と、灰色の舌なんだけど。
バサバサの強靭そうな真っ黒な毛、むき出しのままぶらさがった巨大で真っ赤なペニス。
マイナス40度の世界、白銀の地獄。枯れて養分もない草で飢えをしのいできたバイソン。群れから僅かに遅れた子供の足に食らいつく灰色オオカミの群れ。
後ろ足が崩れ、前足が地面につき、やがて小さなバイソンは白い世界に鮮血をぶちまけた。
――この子はいなくなる。今、食われていなくなってく。
いなくなったあの子を誰も振り返りはしない。群れは立ち止まる事なく森の中に消えていった。
――あの子はいなくなった。
いなくなったあの子を食ってオオカミ達はこの冬を乗り切るだろう。回る命、繋がっていく命。分かっているよ?学校で習ったもの。けれど、どうしてだろう、何故かひっかっかる。
バイソンは生きている。乾季と豪雨と灼熱と豪雪を繰り返す遠い土地で。何度も何度もいなくなっていく子を横目で数えながら。時に守りながら、時に犠牲にして。
僕も生きている。毎日誰かの命を食べて今も生きている。
僕が死んでもきっと誰も食べやしない。蟻にすら食べられることはきっとない。食べられない僕の命はどこへ繋がるのだろう。
燃やされて煙になって水蒸気になって雲になって雨になって。雨になったらまた地上に降りてきて植物に僕の命は繋がるだろうか。
人はどこへ繋がるのだろう。
FIN
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