四月

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四月

 俺が特待生として入学したこの高校は所謂お坊ちゃま校で、日本中から屈指のお金持ちのご子息が集まる学校だ。  全寮制・中高一貫の男子高で、麓の街まで片道二時間程かかるこの学校はカリキュラムが複雑で、慣れるまで時間が必要になる。  一学年百名定員のほとんどが麓の中学からの持ち上がりの中で、二十名が一般受験で難関を突破した生徒がいる。またその一般受験の枠の中には、四名の特待生という余り恵まれていない子がいる。  恵まれないというのは金銭的にという訳では無い。金銭的には余裕があるのに子供にかけるお金を惜しみ、衣食住の内2つ以上子供から取り上げていたり 所謂ネグレクトや虐待などの事実があるにも関わらず、家の規模やその土地での親の権力により行政の介入が難しい場合に限る。更には、その子の周りにこの学校の卒業生が居ることが重要だ。  なぜなら、特待生に関しては学校内では常識だが、隠している訳でもないのに一般にはあまり知られていない事だから。  俺の家は父が有名な弁護士で、資産家の祖父母もいて、金もない訳では無い。屋敷と言われるほど広い家に、父と二人で住んでいた。庭も広く田舎であるが故に家の権力は絶大で、父に逆らえるような人はいなかった。  小学校の頃は父とよく顔を合わせ、気に入らない事がある度に殴る蹴るの躾をされた。  食事を抜かれることもよくあった。  が、中学に上がった頃に家から出てしまったのか、俺は父の顔を見ていない。お手伝いさんも解雇してしまい、小遣いも貰っていない俺は食べる物もなく、広い屋敷に一人で暮らしていた。  母は、俺を産んですぐ亡くなってしまった。  俺は母殺しの罪人だ。  そんな俺を父が許す訳がないのだ。  ただ、世間体のために学校を休むことは許されなかった。休むと学校から父の仕事場へ連絡が行き、怒った父が屋敷に帰ってきて俺を躾ける。それが怖くて、熱があっても学校を休む事ができなかった。  小中と給食があったため、学校へ行けば何かしら食べることができて死ぬことはなかったが別に死ぬ事は怖くなかった。
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