卒業写真

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卒業写真

「えっ?恭子が死んだの?」  とある日曜日の朝。高校のクラスメイトの和美から久方ぶりの電話を受けた私は、思わず大声をあげてしまった。 「そうなの。一昨日の夕方、自宅近くの道路を歩いてたら暴走車が歩道に突っ込んできて巻き込まれたんだって。もう、本当に何て言っていいのか……」  電話の向こうから、和美の沈痛な声が聞こえてくる。 「運転手は捕まったの?」 「うん。その場で通報した人がいてすぐに警察に逮捕されたんだけど、それが例によって85歳の高齢ドライバーで、“良く覚えてない”とか言ってるんだって」 「そんな……ひどいじゃん」  私達が高校を卒業して、今年で8年目になる。比較的まとまりの良かったクラスだったし、担任の先生もまだまだ元気にしており、大体2~3年に一回くらいは誰かが同窓会を企画している。私も仕事の都合で出たり出なかったりなのだが、恭子とは、結局卒業以来まだ一度も再会出来ていなかった。 「それで、今取り急ぎ電話で連絡してるの。里奈ちゃんと話すのも久しぶりなのに、こんな悪いニュースになっちゃって……」 「本当にねえ……」  つくづくそう思う。まだ20台の半ばだというのに、もうクラスメイトが一人いなくなってしまったのだ。 「お葬式の日取りとか細かいことが分かったら、別途メールで連絡が回ると思う」 「わかった。有難うね」  和美との電話が終わると、私は暫くの間ぼんやりしていた。事態を受け入れるのに時間がかかったのだ。  恭子とは、卒業以来一度も会う機会は無かったけど、彼女の事は良く覚えている。どっちかというと天然系で、他人を笑わせながら自分も一緒になって笑ってるようなキャラだった。あの屈託のない笑顔が、今でも目に浮かぶ。 漸く事実を受け入れることが出来た私は、思わず収納ボックスを開けて、しまい込んであった卒業アルバムを引っ張り出した。  私達のクラス、3年1組の集合写真。こんなものを見るのも何年ぶりだろう。恭子と再会できるのも、この写真の中だけになってしまったのだ。  恭子、恭子……  あれ?  恭子、楜澤恭子……撮った時には基本的に50音順に並んでいたはずだから、北島君のとなりぐらいに……  いない。  恭子の写真が見当たらないのだ。 「えっ?」  その時、私は思わず声をあげてしまった。  北島君の隣、彼女の顔があるべきところが、綺麗に何も無い。後ろの人の胸部のあたりが、そのまま透けるように映っているのだ。 「何これ……」  間違いない。ここには恭子の顔が有った筈なのだ。勿論、卒業時にこれを貰った時にはこんな心霊写真のような状態ではなかった。貰った時にすぐに確認したし、こんな異常があった記憶は全く無い。他のクラスメイトからも、こんな話は聞いたことが無い。  気味が悪くなった私は、そそくさとアルバムを閉じて、またしまい込んでしまった。  それからほぼ一年後。 「もしもし、里奈?」  高校の同級生の智子だった。時計はもう夜の11時を回っている。 「ああ智子、久しぶり。どうしたの?」 「うん、遅くにごめんね。クラスの市川君、覚えてる?」 「ああ、市川君、覚えてるよ。たしかテニス部だったよね」 「そう。その市川君、亡くなったんだって」 「えっ?」  思わず絶句してしまう。 「なんでも二日ほど前に、心筋梗塞を発症して救急搬送されたんだけど、そのまま亡くなっちゃったんだって。なんだか、あまりにもあっけなさすぎて……」 「……本当にそうだね……」  相槌を打ちながらも、私の心の中にどんよりとした不安が垂れ込めてくる。 「うちらのクラス、去年の恭子ちゃんに続いて、1年くらいの間に立て続けに二人も亡くなったわけじゃない?なんだか呪われてるんじゃないかとかいう人も出てきてさあ……」  電話から智子の不安そうな声が聞こえてくる。 「まさか……偶然でしょ。呪いとかなんとか、こういうことがあると、すぐそういうこと言い出す人がいるけど、不謹慎だよね。だって呪いなんて迷信じゃない。そもそも、うちらのクラスってみんな仲良かったよね?仮に呪うにしても、誰が呪ってるわけ?」 「あたしもそう思うけど……なんか気味悪いよね」 「うーん……」  智子には偉そうなことを言いながら、心の中では私も重苦しい不安感に囚われていた。 「そう言えばさ……」 「なに?」  ふと思いついて智子に「あること」を質問しようとした私は、一瞬考えて、やめた。 「ううん、なんでもない。なんでものないの」 「じゃ、とにかく、細かいことが分かったら、またこのあいだみたいにメールが回ることになってるから。遅くにごめんね。おやすみ里奈ちゃん」 「どうも有難う。おやすみ」  電話を切った私の手には、しっとりと汗が浮かんでいる。激しい心臓の鼓動が肋骨を叩いているような気がしてくる。  “あれ”はどうなっているんだろう……今すぐ確認しなければ……  私は震える手で、収納ボックスを開けると、卒業アルバムを取り出した。心臓の鼓動がますます激しくなり、喉が渇いてくる。  市川君……市川……  市川君の顔があったところに、既視感のようなものを覚えた。  彼の顔は綺麗に無くなっていて、後ろに立った人の胸部がそのまま何事も無かったように映っている……恭子の時と同じだ。 「そんな……」  悍ましいものを再度見てしまった私は、思わずアルバムを放り出した。  暫く床に座り込んだままで、呼吸を落ち着かせてから、私は色々と考える。  あれは、本当に呪いなのだろうか。  そうだとしたら、一体誰が?  確かに死んだ人の顔がアルバムから消えるということは、異常なことだ。  そもそも写真との関係はどうなっているのだろう。呪いをかけられた誰かが死ぬと、アルバムの中でその人の顔が消えて行くのだろうか……それとも、呪いが掛かった段階で、顔が消えて、それと同時に、あるいは直後にその人が死ぬのだろうか。二六時中写真を見ているわけにいかないから、どっちが先に起きたのか、分からない。  そして、さっき智子に聞こうとして、慌ててやめた質問。 「恭子が死んだ時、智子の卒業アルバムには何か異変は無かったか?あるいは他のクラスメイトからそういう話は聞いてないか?」  実際、恭子が死んだ時、自分のアルバムの異変に気付いて以来、心のどこかでそれはずっと気になっていたのだ。不安のあまり、誰かに聞いてまわりたい気持ちがある一方で、こんな話を人には出来ないという判断もあり、あれ以来誰にもこの話はしていない。それが、今また智子から市川君の死、更に“呪い”じゃないかという噂が飛び交っていると聞いたとき、私はもう、すぐにでも誰かにこの話を聞いてみたい気持ちに襲われた。 それをすんでのところで思いとどまったのは、こんな状況でこの話をしたら、今度は私がたちまち興味と噂の対象になってしまう。万が一私のアルバムだけに異変があるという話になったら、私自身が直接に“呪い”と印象づけられるのは、火を見るより明らかだ。下手をすれば、この私がクラスメイトを呪っている、なんて話になってしまう。自分からそんな話を持ちだすのは、やめておいたほうが良い。そう思ったからだ。  あれは、本当に呪いなのだろうか。  自問自答を繰り返すうちに、心の中に一つの考えがまとまってくる。  確かめてみればいいじゃない。  誰かが死ぬのをひたすら待っているわけにもいかない。と、すれば、自分の手で何かやってみるしかない。  つまり、顔が消えている状態にしてみれば何が起こるのか……  馬鹿げた考えかもしれないが、ダメ元でいいから、無性に試してみたくなってきた。  あらためて集合写真を眺めてみる。  “そもそも、うちらのクラスってみんな仲良かったよね?仮に呪うにしても、誰が呪ってるわけ?”  自分で言っておきながら、思わず吹き出してしまう。  そう、仲良かったよね……見かけ上はね。  およそ人間が集まるところ、みんなが全員と心から仲良くなるなんて、無理に決まっている。事実上殆どあり得ないだろう。社会人になって何年もたてばそのぐらいのことは分かる。  集合写真の中、私は一人の少女の写真を見つめている。  花のような笑顔の紗英。当時は清水紗英だったけど、今では高島紗英だ。彼女は隣のクラス、2組のイケメン高島君と2年前に結婚した。  そう、私はずっと高島君が好きだった。高校時代は、勇気が無くて告白出来なかったけど、卒業してからもずっと彼の存在は忘れられなかった。社会に出て、もう大人になって、もしまたどこかで巡り会う機会があれば、その時は絶対に……そう思っていた矢先、二人が結婚した話がクラスの連絡網で回って来たのだ。あの時の気持ちは今でも忘れない。  私は、机からカッターナイフを取り出すと、慎重に、紗英の顎の辺りに刃を当てた。写真としては十分はっきりして細かい表情まで良く映っているが、実寸は意外に小さい。ゆっくり、カッターを何度も押し付けて、ページを確実に貫ぬきながら、少しずつ顔の周囲に刃を回していく。  五分程度で、紗英の顔写真を切り抜くことが出来た。後には、ぽつんと丸い穴が開いている。市川君や恭子の写真のように、そこだけ透明になっているわけではないが、とりあえず、紗英の顔は集合写真から消えたわけだ。  切り取られた紗英の顔は、あの華やかさは微塵もなく、とても汚らしく見えた。実際、今では紙屑になってしまったわけだし。私は薄笑いを浮かべながら、鋏でそれを更に小さく寸断して、屑籠に捨てた。  どうせダメ元だ。別にこれが呪いの正しい方法だと教えられたわけでもないし、こんな子供だましの方法で呪いが成就するわけもないだろうが、何となく気分はすっきりした。私は穏やかな気分でその日は眠りについた。  二日後の朝。  寝ぼけ眼で朝食を摂っていた私の携帯が鳴った。和美からだ。 「もしもし……」 「もしもし、里奈!?あたし、和美!」  何やら切迫した声に違和感を覚えると同時に、私に心にある種の興味が沸き起こる。 「どうしたの?」 「うん、あのね、紗英ちゃんがね……」  話ながら和美が既に泣き声になっている。 「紗英ちゃんって、うちのクラスの紗英ちゃんのこと?どうしたの?」 「うん、昨日交通事故で……」 「えっ?」  私の心に驚きと共に興奮が高まってくる。 「亡くなったんだって」 「……」  私は絶句した。まさか、あれが効いただなんて……あんな子供だましが……驚きつつも、同時に私の顔に笑顔が浮かぶ。言葉を失ったように見せて、実際は笑い出すのを堪えている。 「交通事故なの?」 「うん、昨日の朝、用事があってご夫婦で国道を走ってたら、対向車線の大型トラックが急にはみ出て来て……居眠り運転らしいけど……正面衝突で、即死だったって」 「えっ?ご夫婦で?」  思わずスマホを取り落としそうになった。 「そう。ご主人も一緒に亡くなられたって……ああ、ご主人は2組の高島君なのよ。里奈ちゃんも知ってるよね?」  今度は本当に絶句してしまう。なんで…… 「もう、つい最近市川君が亡くなったと思ったら、今度は立て続けに紗英ちゃん、そして隣のクラスの高島君まで……もう、本当に呪いでも掛かってるんじゃないかってみんなパニック状態で……もしもし、里奈ちゃん?もしもし?」  手から滑り落ちたスマホから聞こえる和美の声が、どんどん遠くなっていく。  一瞬後に我に返った私は、電話を放り出したまま、寝室に走って、一昨日から出しっぱなしになっていたアルバムを開いた。  あらためて紗英の顔を確認する。確かに私が切りとったまま、そこには丸い穴が開いている。  そして、私は震える手でページをめくる。  私達のページの裏は2組のページだ。そこの集合写真に高島君の顔を探す。  高島君……どこ?……  そこに、私はどうしても自分が認めたくない現実と向き合わざるを得なかった。  彼の顔があったところに、ぽっかりと丸い穴が開いている。人の手でぎこちなく丸く切り取られた跡……  そう、2組の高島君の顔の位置が、丁度紗英の顔の真裏になっていたのだ。紗英の顔を切りぬいた私は、同時に彼の顔も切り抜いて、切り刻んで捨ててしまっていたのだ。  ”呪い”は確かにあった。確かに効いたのだ。  私は突然笑いだした。自分でもなんで可笑しいのかわからないが、どうしても笑いが止まらない。 「これが“人を呪わば穴二つ”ってやつね……」  自分の言葉が、また可笑しくてたまらず、私は更に大きな声で、涙を流して笑い続けた。 [了]
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