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Ⅰ 女騎士 オークにさらわれる
「くっ、…殺せ…」
女騎士ダリア・リュボスラーヴァは諦めと覚悟の、儚いつぶやきを漏らした。
利き腕は動かず、右脇から流れていく血が体力と熱を無慈悲に奪い去って行く。
そんな瀕死の彼女の前には青灰色のオークが。
「……」
オークは一言も発さず、爬虫類を思わせる冷酷な眼で、ただ彼女を見下ろしていた。
「殺すなら早く殺せ!」
ほぼ無傷のオークを前にして、逃げることなどできない。
「殺しはしない」
「なに…」
オークの低く、くぐもった声に、オゾ気が背筋を走った。
オークは人間の女を陵辱する。オークが人間の女と生殖することはなく、その目的はただ“快楽”のためだけであった。
いつか見た事後の女の死体には、人間の尊厳など微塵も存在していなかった。
自分もああなるのだと、ダリアは悟った。
舌先で右の奥歯に仕込んでいた毒薬を取り出す。
自害するため、女騎士全員に配られている劇薬だ。
「死なせないと言っただろう」
オークがダリアの口に強引に手を突っ込み、毒薬を奪う。
「か、返せっ」
「ダメだ」
オークは毒薬を指ですりつぶした。
「あ、ああ…」
ダリアは地獄を想像した。
いつか見たあの死体のように、畜生のように、死んでいくのか、と。
「安心しろ。俺は他のヤツらとは違う」
「何をする!はなせ!」
オークの意外な言葉に戸惑う間もなく、体が担がれる。悪あがきをするが、オークの怪力に無駄な努力を悟った。
「暴れるな。運びづらい」
「この…はな…せっ…!」
「仕方ない。眠ってもらうか」
「?」
下ろされたと思った直後、顎を衝撃が襲った。ダリアは一瞬で暗闇に落ちていった。
キェールソン前線。
オークと人間の領土の境界線。双方の死体が散乱する修羅の巷。
ルーシ王国の南部、タウリカ半島に突如として出現した謎の怪物オーク。
半島を拠点に、絶対数が少ないながらも、その凶暴さで王国の南部を着実に侵し続けた。
当初は辺境の異事として、また北東のモスクフ国に兵を裂かなければならない事情で、オークの暴虐を放置するしかなかった王国であった。
しかしながら、このままでは北東と南方の二面から挟み撃ちにされる形となってしまうことを恐れた黒太子コルニ公が、直接指揮を執ることにより、オークへの本格的な討伐を開始する。
公の獅子奮迅の働きにより、オークとの戦線を降着状態にまで持ち込めたが、王国側の兵の少なさにより、やや劣勢の状態維持で精一杯であった。
これは、そんな最中に出会った女騎士とオークの物語である。
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