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Ⅹ オーク 絵本を読む
「いよいよ念願の時だな」
「ああ…」
「どうした。ずっと読みたがっていた本だろう?読むのが嬉しくないのか」
「いや、嬉しいことには間違いないんだが…この感情をどう表したらいいのか分からん」
「まぁいい。ほれ、まず一行目だ。読んでみろ」
「そう急かすな。読むぞ」
ジルカは低い声でゆっくりと絵本を読み上げ始めた。
***********************************
草原に眠る犬は、ある日夜空を見上げました。
お空にあるお星様を食べてみたいと思ったのです。
「どうやったら、あのお星様を食べることができるかな」
仲間の犬たちに訊いても「分からない」と言うだけです。
ある犬は「早く死んでくれよ。そしたらお前を食べることができるから」と言いました。
犬は試しに草に訊いてみました。
「分からない。僕たちはずっとここにいるだけだから。地面を這うしかない僕らは空を見ることはないよ」
犬は旅に出ることに決めました。
「どうしたって、あのお星様を食べてやるぞ」
でも、どこに行けばいいのか分かりません。
犬がそれでも歩いていると、猫の曲芸師の一行に会いました。
犬は彼らに訊いてみることにしました。
「猫さん、猫さん。あのお星様を食べたいんだけど、どうしたらいいかな」
その質問に猫は困ってしまいました。
「うーん。僕たちは塩の湖、砂しかない平野、どこまでも続く草原、山ばかりの道を旅してきたけど、それは知らないな。
そうだ。ここからお日様が昇る方へずっと行った所に大きい岩のおじいさんが居るんだ。あのおじいさんに訊いてみたら?僕たちが悩んだら、いつも相談しているんだ」
「分かった。ありがとう」
犬は東へ旅することに決めました。
歩き続けていると、今度はカラスの旅商人たちに会いました。
「犬くん、犬くん。そんなに急いでどこへ行くんだい?」
「岩のおじいさんの所だよ」
「おじいさんの所まで?とても遠いよ」
「お星様を食べたくて、どうしたらいいか訊きに行くんだ」
「そう…。仲間が一人死んじゃって、今、翼が一つ余っているんだ。それをあげるから、一緒に来ない?翼があれば、おじいさんの所までひとっ飛びだよ」
「ありがとう。でも、この足で歩いていかなきゃならない気がするんだ」
「分かった。がんばって」
カラスは残念そうに言いながらも、水を分けてくれました。
旅はとても大変でした。おなかはぐるぐる鳴るし、いつ、おじいさんに会えるか分からなかったのです。
それでも犬は楽しかった。空を支える高い山。向こう岸が全く見えない大きな河。見たこともない美しい羽を持った鳥。
それらの風景は時々、空腹を忘れさせるほどでした。
どれほど歩いたのか分かりません。
やっと、おじいさんの所に辿り着きました。
「おじいさん。こんにちは」
「初めて見る顔だな。痩せっぽっち。どうした」
「おじいさん。僕はね、あのお星様を食べてみたいんだ。どうしたらいいか教えてくれない?」
「お星様はみんなのものだ。お前一人が食べて良いものじゃないぞ」
「それでも食べたいんだ。あんなにいっぱいあるんだもの。一つくらい食べても良いじゃない。お腹がぺこぺこなんだよ」
「そんなに食べたいのか。
うーん。実はわしも星の食べ方を知らないんだ」
「そう…」
犬はしょんぼりして、しっぽを垂らして泣いてしまいました。
おじいさんは、そんな犬を見て可哀相だと思いました。
「わしは知らないが、わしよりずっと長生きしてるあの樹のおばあさんなら知っているかもしれない」
「そのおばあさんはどこにいるの」
犬はちょっと嬉しくなって、しっぽをぱたぱた振りました。
「ここから、ずっと南に行ったところに居るニワトコのおばあさんだ」
「ありがとう。行ってみるよ」
「出発する前に、これを食べるといい」
おじいさんは豌豆をくれました。
ちょっとだけお腹が満たされた犬は、また旅に出ました。
おばあさんへの道は岩だらけの道で、足がとても痛くなりました。それでも犬は歩き続けました。
「あのお星様を絶対に食べてやるぞ」
歩き続けて、歩き続けて、やっとおばあさんの所へ辿り着きました。
「こんにちは。おばあさん」
「こんにちは。お前は誰だい」
「名前なんて知らないよ。誰も名付けてくれなかったもの」
「そうかい。で、何の用だい」
「あのお星様を食べたいんだけど、どうしたらいい?」
「星たちを食べるなんて、とんでもない。あの子らは私の子どもだよ。お前は私の子どもを食べる気かい」
「ごめんなさい。でも、とってもお腹が空いているんだ。このままじゃ死んじゃうよ」
今にも泣き出しそうな犬におばあさんは困ってしまいました。
「仕方ない。代わりに私の実をあげよう。それで我慢してくれるかい」
「ありがとう」
おばあさんは、いっぱいの木の実をあげました。犬はお腹いっぱい食べて満足して眠りました。
犬は次の日も次の日も毎日お腹いっぱい木の実を食べました。
だけど、いつしか犬は木の実だけでは満足できなくなってしまいました。
「やっぱり、お星様を食べてみたい。ああ、どんな味がするんだろう」
ある夜、犬はおばあさんが眠っているときに、こっそりおばあさんの体を登りました。
何度も落ちそうになりながら、てっぺんまで登りました。
「うわぁ、お星様がたくさんあるぞ」
犬は夜空の原を駆け回って、どんどんお星様を食べました。
どんどん、どんどん食べて、いつしかお星様は無くなってしまいました。
お星様を食べて満足した犬は、そろそろ帰ろうかと思いましたが、目の前にぷかぷかと浮かぶお月様が目に入りました。
すべすべとしたその姿を見て、とても柔らかそうで、とても甘そうで犬は食べてみたくなりました。
「少しだけ、少しだけ」
犬はお月様をそっとかじってみました。思った以上に月は柔らかく、そして甘く、犬はぺろりとお月様を食べてしまいました。
そのせいで、夜は真っ暗になってしまいました。
「お星様も食べた。お月様も食べた。でも、お腹はペコペコだぞ」
そんなとき、目の前をお日様がそよそよと漂って来たではありませんか。
お日様はとても暖かく、優しく微笑んでいるように見えました。
「少しだけ、少しだけ」
犬は今度も、お日様をそっとかじりました。
口の中がほのかに暖かくなり、お日様はさらさらと口の中に入ってきます。
ニワトコのおばあさんは枝をおうちにしている小鳥たちの悲しげな声で目を覚ましました。
ふと、空を見上げると犬がお日様を食べようとしているではありませんか。
「いけない。それは食べちゃいけない」
おばあさんは怒りました。
「でも、食べたいんだ。お腹がペコペコだもの」
お日様はとても大きく、また、とても熱くなってきました。
舌は焼け、のどがかわいてきます。
それでも犬は食べ続け、すっかり食べてしまいました。
***********************************
「まいったな、血がこびりついてこの先が読めない。犬はこの後どうなるんだ。
知っているか?」
「……」
「どうした。そんな押し黙って。トイレなら、家から出ておこうか」
「阿呆!全くデリカシーというものがないな。貴様には」
「野蛮なオークだからな」
「それもそうか」
女騎士とオーク。相反する存在同士が朗らかに笑い合う。ここまで奇妙で、また幸福な光景が開闢以来この世にあっただろうか。
しかし、その幸福を地の底から響くかのような角笛の咆吼が残酷にも打ち破った。
「なんだこんな夜更けに騒々しい」
「!…緊急集令の角笛だ」
「なんだと」
「コルニが攻めてきたのだろう。それ以外考えられん」
「太子が」
「いよいよ最終決戦が始まる。ダリア、武具を付けろ。頃合いを見て逃げ出せ」
ジルカが慌てて武器を取りに行く。しかし、ダリアはうつむいたまま動かなかった。
「どうした。急げ」
ジルカがいくら急かしても、ダリアは黙ったままだった。
「なんだ、一体どうしたんだ」
「このまま…」
「うん?」
「このまま逃げないか。一緒に」
「何を言って…」
「だって、これが最期なのだろう?太子のことだ。オークを一人たりとも見逃さず、殲滅するだろう」
「だろうな」
「他人事のように言うな!お前は…お前は、死んでしまうんだぞ?そうなったら今までの時間はどうなる?私は無駄な時間を過ごしたのか?違うだろう!
お前は文字を、本を読みたかった。私はそれを教えた。オークが本を読むなどと言う奇跡が今、起きたんだ。その奇跡をすべて無駄にする気なのか?
私はそんなこと認めない。絵本だけじゃない。まだまだお前に読ませたいすばらしい本がこの世には沢山あるんだ。ウェルギリウスの牧園の理想。オウィディウスのペルン神の勲詩。『過ぎし年月の物語』のネストルの苦悩。
これらを全部お前は知らなければならない。それに私の知らない物語だって、沢山…」
ジルカがダリアの前に手をかざし、言葉を止める。
「心遣い感謝する。俺もできればもっと沢山の本を読みたい。でもな」
ジルカは一瞬の間を置き、言葉を続けた。
「でもな、俺はオークなんだ。人間を虐殺し自らの欲望を恣にした野蛮な邪悪な存在」
「お前は人間だと言ったじゃないか」
「その言葉は嬉しかった。だけど俺がオークであることは変わらない。妻と我が子を殺したことは変わらない。
そんな存在がのうのうと生きてちゃ、おかしいだろ?」
「そんなに、そんなになのか。お前は…。自分の幸せを願っちゃいけないほどなのか?」
「そうだ。それに、お前の許嫁はどうなる?きっと、お前の帰りをずっと待っているぞ」
「あの人は…」
外で荒々しい獣の足音が響く。
「また貴様か!今の状況が理解できていないのか。人間どもが攻めてきたのだぞ。しかも、エルフどもを引き連れてだ」
招集役のハイ・オークが怒号を飛ばす。
「時間だ」
「待って…」
「さよならだ。お前との時間は、オークとなった呪われた生の中で唯一の救いだったぞ」
オークは背を向け飛び出していった。
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