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XIII 女騎士 故国の軍に拒絶される
─おおおお!!!!
〈すごい…〉
名槍グングニルを縦横に振り回さすその様は圧巻、の一言に尽きた。“黒太子”と称えられるコルニの真価をエメルは目の当たりにしていた。
ミスリルを刃に備えたグングニルのおかげもあるのだろうが、一振りするたびにオークがうめきながら倒れていくその様はグングニルの真の持ち主ベロヴォーグ神の化身であった。いや、その猛々しさは荒神(すさがみ)スヴェントヴィトと形容すべきかもしれない。
この人ならばトロルとも一人で戦えるだろう。
「エメル殿、殿下の首尾はいかようか」
「ご安心ください。カラドはそつなく公の指示をこなしています。これが初陣とも思えないほどに」
「そうか。ならば、こちらは殿下の邪魔をさせぬようにするのみ」
エメルは群がるオークたちの急所を的確に突きながら周囲の騎兵を窺う。
今のところ作戦は成功しているとはいえ、まだ数多のオークが襲ってきている。
それなのにどうだろう。誰もこの戦が負けることを微塵も疑っていない目をしていた。
信頼しきっているのだ。この英雄のことを。
カラドもいつかこのような、万人を背負い。なお千里を行くような背中を持つようになるのだろうか。何故か泣きたくなった。
「ええい。敵のよいようにやられて何をしているのだ!」
指揮官のハイ・オークが焦りを隠さず、激を飛ばした。
全体が浮き足立ってきたな。そろそろ頃合いか。
「後陣かかれ!敵を根絶やしにするのだ!」
何の策もなく突撃の命令が下される。
「おい、貴様。何を突っ立ている!」
ハイ・オークが苛立ちから、ジルカの肩を掴む。ジルカはその腕を掴んで引きずり下ろす。
「おい、なんだ。やめろっ」
そのままワーグを奪い、後方へと走らせる。
「貴様!逃亡か!止まれ!」
その怒号は干戈の音にかき消された。
「なんだぁ?内紛か?」
後方に待機しているオーク陣営で混乱が起きているのが見えた。どうやら歩兵のオークが指揮官の騎獣を奪って逃げたようだ。
「ガドロン。頼むからよそ見をしないでくれ。オークたちを抑えるのが大変だ」
「おっと、すまねえ。おら、こっからは通行禁止だ」
肉薄してきたオークの口内に剣を刺す。
さっきから全く背後が脅かされないのはコルニのおかげだろう。人間のくせになかなかやるもんだ、とガドロンは感心した。
「さて、サイルじぃの方はどうかな」
老兵の方へ目をやれば泥で遊ぶ子どものように顔で朱に染まりながら嬉々として槍を振るっていた。
酔ったときにいつも聞かされるはぐれトロルを一人で打ち倒したというのも、まんざら嘘ではないと信じ込ませるような壮健さであった。
程なくして第一次戦闘は終わった。
夜襲でオークの不意を突いたとはいえオーク側の被害が甚大なのに対して、コルニ側は軽微。
大捷と言ってよかった。
「初戦は上々でしたね。公」
「そうだな。これも殿下を始めとしたエルフ軍のおかげだ。感謝する」
「こちらこそ見事な指揮を間近で見られて非常に勉強になりました。…オークはこのまま我々を勝たせてくれるのでしょうか」
「次はもう少し大変なものとなるだろう。今までのオークとの戦いから推定兵数は千であると思われる。今の戦闘では二百名ほどの兵数だったから、単純に計算して残りは八百」
「こちらの戦力はほぼ千人のまま残り、オーク残存兵に対しこちらが兵数を上まっております。油断しなければ、このまま勝てるでしょう」
「殿下の言われるとおりだ。負傷した兵士をミコライフに搬送した後、兵を進めよう」
コルニ等が一息ついていると前方から駆け寄ってくる人影が見えた。
「なんだ?……そなたは!」
「お久しゅうございます太子。ダリア・リュボスラーヴァでございます」
コルニの表情が一瞬、和らいだものとなったが、すぐに険しい顔つきに変わった。
「太子、積もる話はございますが、喫緊にお伝えしたいことが…」
「何故、そなたは生きている?」
コルニは下馬せず、グングニルをダリアの鼻先に突きつけた。
「太子…!」
予期せぬ訪問者にコルニ陣営がざわめき出す。
「あのダリアが生きていた?」
「キェールソンで姿を消してから数ヶ月、どうして生きている?これはオークの策略か?」
「あのダリアだぞ?そんなことあり得ん」
「しかし…」
白銀の切っ先を見つめ、予想だにしない反応をしたコルニをダリアは不安げに見上げた。
「久しい、と言えばよいか。
キェールソンでは、そなたの隊に心苦しくも殿を頼んだ。あの混乱の最中だ、そなたは生きて帰られまいと、もしくはオークに囚われ…」
コルニは苦しげに目を閉じ、言葉を途切る。
「太子。確かに私はオークに囚われました」
「やはりか」
「しかし、です。私を捕らえたオークによって生かされ…」
「オークによって生かされた?そんな世迷いごとが信じられると思うのか」
「確かに通常では信じられぬことです。しかし、ジルカは…」
「ジルカ?誰だそいつは」
「ジルカとは、私を捕らえたオークの名で」
「オークに名前だと?」
「そうです。私が名付けました」
「オークに名を付けるなど、おぞましい。オークに餌を与えられ籠絡されたか?
“麗花の騎士”も落花となり腐り果てたか?」
「太子、私の話を聞いてください!」
「黙れ!オークにより穢された者の話など聞きたくもない!今、私が裁きを下す」
コルニはグングニルを振り上げたが、カラドがその左腕を押さえた。
「殿下」
「公、落ち着かれよ。私には事情がよく飲み込めていないのですが、今ここで彼女を殺すことは士気に関わるのではないですか」
コルニはカラドの言葉に周囲を見回した。兵士たちの目には戸惑いがあった。
それらを見てコルニは力なく槍を下げた。
「ダリアとやら、馬上から失礼する。私は翡翠のアヴァリ国国王タルランスが一子、カラドと申す」
「アヴァリ国の…やはり、ジルカの言うとおり、エルフはルーシ国を助けに」
「我々の到来を知っていたのですか?公の言葉では、オークの斥候は我ら到来後見られず、人間とエルフが連合することは知られていないと思っていましたが」
「ジルカが先日の戦闘の際、アルダの矢で射かけられ、エルフの存在を感知しておりました」
「そのジルカとは貴女を助けたという件のオークのことですね?
しかし不思議だ。配下には戦闘への参加は禁止していたはずだが。…そういえばガドロンとエメルが先行して様子を見てくると言っていたな。
もしや我々の存在は知られていたのか?」
「安心してください。ジルカはそのことは誰にも知らせていません」
「そうでしたか。公、我が配下が軽率なことをしてしまったかも知れません。
後で問いつめておきます。してダリア殿、喫緊な話とは何でしょうか」
「オークの増援が、こちらへ進軍してきております」
「オークの増援?残存兵ではないのか」
「私が見た増援は残存兵も含まれていたでしょうが、途中出会ったダークエルフが人間の奴隷を全員オークに変えたと…」
「!そなた、オークの秘事を知っているのか」
「知っています。ジルカから聞きました」
「そのジルカとは一体…」
「公、話を遮って申し訳ありません。
ダリア殿、今、ダークエルフと言われたか?」
「はい。私も初めて見たとき驚きましたが」
「そのダークエルフの名を知っていますか」
「ポヴィヤと、その者は名乗っていました。女のダークエルフです」
「ポヴィヤ…女…ダークエルフ…」
「太子!ミコライフに負傷者を搬送した兵が戻って参りました」
「そうか。報告ご苦労。…殿下とにかく今は兵を進めよう」
「そうしましょう」
「太子、私も戦列にお加えください。私も戦えます」
「迎え入れることはできぬ。今はそなたを信頼することはできないからだ」
「太子…」
「全軍、進軍を開始せよ!」
ダリアは進軍を見守るしかできなかった。
ダリアを見知っている兵士たちの視線が彼女へと注がれた。中には労りと親愛の視線があったが、その多くは疑惑と戸惑いのものであった。
ダリアは悲しく俯きながら、それらの視線を受けることしかできなかった。
「カラド、あの泣きそうな顔してる女騎士はどうしたんだ?怪我でもしたのか」
「彼女は…仕方ないんだ。公の決定だ」
「?そうか」
「それより、君とエメルは戦闘には参加しない、という条件で先行を許したのに、それを破ったそうだな」
「げっ、なんでそれを。エメルには秘密にしておいてくれと頭を下げ倒したのに」
「君たちの行為のせいでオーク側に我々の存在が知られていた可能性があった。国に帰ったら相当の罰を覚悟しろよ。たとえ君が乳兄弟であっても、私は何も口添えはしないからな」
「まじか~」
「太子、ダリア殿をこんな敵地の真ん中に放って行かれるつもりですか。ダリア殿は太子の…」
「ピヴェン、私の決定に逆らうつもりか?」
「いえそのようなことは。しかしながら…」
「ならば口を噤め。戦闘に備えろ」
コルニはそういうと馬を速め、単独で先行する形となった。そこにカラドが馬を寄せる。
「殿下、あなたも何か言われるつもりか?」
「いえ。公が決定したことに口を挟むつもりはありません。…これは要らぬ質問ですが、もしや先の戦闘で亡くされたという婚約者とはあの者では」
カラドの指摘にコルニは自嘲の笑みを浮かべた。
「ご推察のとおりだ。恥ずかしいところをお見せした。
婚約者の生還を喜ぶどころか非情な対応をするなど、幻滅しただろう?」
「このような非常事態です。先ほどの対応は不安材料を排除するため、責められるような判断ではなかったかと思います」
「そう言ってくれるか」
コルニとカラドはしばらく無言で馬を進めた。
カラドは心配そうにチラチラとコルニを盗み見た。それを受け、コルニは独りごとのようにカラドに問いかけた。
「殿下。こちらも要らぬ質問をするが…先ほど私が抱いた感情は何だったと思う?」
「感情…」
「嗤ってくれ、光の貴公子よ。先ほど、みっともなく涌き上がった感情はジルカというオークへの嫉妬だ」
「嫉妬?」
「オークに婚約者が寝取られたのではないかという邪推。そして嫉妬。彼女はそんな人間ではないと私が一番よく知っているはずなのにな」
「私は公のその醜い感情を嗤おうとは思いません。そして、不謹慎ながらすこし嬉しさもあります」
「嬉しさ?」
「公は感情をあまり表情に出されることはないけれども、その鉄仮面の下に熱き血潮を隠している方だと思っておりました。
そしてその推測は、先ほどの人間くさい反応と今の感情の吐露によって確信へと変わりました。
私の人を見る目は間違っていなかったようです」
コルニは肩の力が抜けたように笑った。
「そう言ってくれるのは嬉しいやら、恥ずかしいやら何とも言えない。
だが、私は根本的に非情な人間なのだと思う。ルーシを富ませるためには、私はどんな手段でも選ぶだろう。たとえ世界のすべてを敵に回しても」
「国を担う者としては、そのような考えが相応しいのだと思います。私には無理だ」
フォスは少し悲しげに微笑んだ。
「殿下?」
「太子!オークの大軍がこちらに向かっています!」
斥候に出ていたコーリャが慌てて戻ってきた。
「どうやらダリアの言葉は事実だったようだ。
コーリャ、後方に陣を整えるように伝えよ」
「はっ!」
空は少しずつ、白みつつあった。
眼前に展開していくオークの大軍を見て、皆一様に押し黙った。
林立する干戈。潮の轟きにも似たオークたちの叫び声。
ほぼ千のこちらに対して、あちらは千と数百は居ようか。
相手が人間であればコルニにとってこの兵力差は自身の勇猛さと策略でなんとでもなる。しかし、相手は人間の常識の通じぬ化け物─オークであった。
「どうしますか」
「…敵側の兵力の方が多い。先ほどと同じではいたずらに縦深を浅くするだけだから、今度はこちらが固まる」
「我々騎兵はこちらが囲まれないように相手の牽制ですか」
「そうしよう。牽制と供に相手の兵力を減らしたい。先ほどの戦闘以上に殿下の勇猛さを期待したい」
「心得ました。先ほどと同じく中心はサイルに任せますか」
「うむ」
突如、野太く低い音が響いた。大小の音が交互に聞こえてくる。
「あれは?」
「オークの陣太鼓だ。慣れぬ者はあの不気味な音に浮き足立ってしまう。特に気にする必要はない」
「分かりました。同胞たちにも伝えておきましょう」
コルニ陣営はオークとの戦闘で聞き慣れた音であったが、エルフたちにとってみれば初めて聞く音である。
気にする必要はないと言われても、本能的に萎縮してしまう。
「何を戦(おのの)いておる。トロルの咆吼に比べれば、あんなもの赤子の泣き声と一緒ではないか」
サイルウェグが周囲を鼓舞する。戦線からは引退していたものの、トロル討伐で勇名を馳せた老兵の叱咤にエルフたちの表情は若干綻んだ。
当初は今回の派遣に彼を連れてくる予定は無かったが、子どものようにゴネられ根気負けして連れてくることとなった。今となってはそれが功を奏した、とカラドはほっとすると同時に、彼が自身の教育係となって百数十年のつきあいである彼に物言わぬ帰国をさせてはならない、と改めて思った。
人間・エルフ連合軍とオークの最終決戦〈ハルマゲドン〉が始まる。
果たして、冥府の王チェルノボグがより多く望む血はどちらの血であるのか。カラドは初戦とは違う寒気を感じながら、ペルン神よ、我らを守り給えと呟いた。
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