XV オーク 女王を弑逆す

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XV オーク 女王を弑逆す

「どうした、そんなに息せき切って。戦闘はどうなった」 「俺は伝令だ。人間たちの攻勢が思った以上に激しく、防城兵も戦闘に参加しろとの命令だ」 「なんだと。そこまでか。  しかし貴様、ワーグはどうした。緊急の場合はローでもワーグの騎乗を許可されているはずだが」 「途中まで乗っていたが、人間たちの矢に当たって乗れなくなってしまったんだ。早く!人間たちはそこまで迫って来ているぞ!」 「そんな様子は見えないが」 門番がジルカが来た彼方に目を凝らす。 「急げ!貴様の怠慢のせいで我々の被害が大きくなったら、間違いなく斬首だぞ!」 「しかし…」 ジルカに対応した門番が隣の兵と見交わす。 「分かった。ならば俺は手ぶらのまま戻って、貴様らのことをラーツに告げるからな」 「ラーツに!わ、分かったすぐにみんなに知らせる!」 二頭のオークは慌てて待機している兵たちへ伝令に走った。 「ふん。さっさと言うことを聴けばいいものを」 ジルカは走り去っていく門兵の背中を忌々しげに見つめた。 他のオークと出くわさないように気配を探りながら女王トラヘディヤの元へと向かった。 深閑とした城内。未だ戦場は城から遠く離れているとはいえ、物音一つしない城内にジルカは薄気味悪さを覚えた。 夜明けの城は初めての経験ではない。しかしながら、今のような気持ちになったことは一度もない。 ─女王を殺す。そのことが俺を戦かせているのだろう。 何故、御しがたいオークが女王の命令には唯々諾々と従うのか。 その答えは女王がオークを生み出したときに結ぶ契約にある。 契約によりオークは女王の命令に従い、女王は指揮権の一部をハイ・オークに委譲しているため、彼らの命令にも従う。 もっとも、人形のように完全に命令に従わせることはできないが、オークの潜在意識には命令を受けなければならないという本能が刷り込まれているため、反感を抱きながらも命令に従う。 女王はオークと身を重ねることによって契約を為す。本来、契約を為すには一度の行為で十分だが、数多のオークと身を重ねることによって、その思考能力は壊れ、破滅の快楽を必要以上に求めるようになってしまった。 本能の働きが強いローほど、その潜在意識の影響は強い。だから、契約の大本たる女王を殺すことはオークたちにとって絶大な痛手となるだろう。 女王の寝室の前に辿り着いた。 ふと、腕に刻まれた星の傷跡を見る。この傷を付けたのはラーツだった。 区別のためだけの傷だから、そこまで深く刃を立てる必要はなかったのに、奴は下卑た笑みを浮かべながら短刀を深く突き刺した。刃は骨まで達し、オークの頑強な肉体といえど右腕はしばらく使い物にならなかった。 ─今からオークであったことのすべてに決別する。 目を一度固く閉じた後、寝室の扉を開けた。 開けた瞬間、眼前の光景に驚く。 ─なんだこれは。 調度品はすべて壊され、壁中に爪痕が刻まれ、床一面は黒ずんでいた。 ─ここで奴隷どもをオークに変えたのか。 床にかろうじて法陣の跡が見えた。 女王が部屋に居ない可能性もあったが、天蓋、帳がずたずたに引き裂かれた寝台の上で女王は死んでいるように眠っていた。 眠れる女王に近づいて嫌悪感で顔を歪める。足のつけ元からオークの汚らしい精液と─女王のものだろう─線を引いた血がこびりついていた。 変化させた直後のオークたちと淫靡な契約を結んだのだろう。何度も何度も。 死んだように眠る女王の顔はやつれていて、同年齢の子どもたちと比べて険が目立つ。 思えば、哀れな存在だったと思う。事後に彼女を抱いていると、眠りながら涙を流したこともあった。「お兄様」と呟いたようだったが、その声があまりにもか細くてよく聞き取れなかった。その涙はインクのように黒く、微かな臭気があった。 彼女の穢れは体の奥深くまで染み込んでいる。 己にとって彼女は憎悪してもしきれない怨敵のはすだった。 しかし不思議と彼女に憎しみはなかった。 このまま眠りの中で…が、せめてもの慈悲だろう。 女王のか細い首に手をかけながら、あの時殺した我が子は娘だったかと思い出す。 ─俺よ、今一度悪鬼となれ。 手に一気に力を込める。女王の口から苦悶の吐息が漏れ始める。 そのうちに鶏を絞めるときのような声にならない断末魔を叫びだした。 「お兄…様…」 「!」 目を覚まさせてしまった。早く、早く彼女を。 「お兄様…トラヘディヤを…いじめ…ないで…」 何だ?錯乱しているのか? 「あの時…拒んだ…謝ります。私は…お兄…様…の…」 必死に抑えているのに、顔が歪んでいくのは何故だろう。 目にこみ上げてくるものがあるのは何故だろう。 女王の目が微かに開かれ、こちらを見つめる。その目は苦しげで悲しげだった。 小さい手がジルカの顔に伸ばされる。 「お兄様…も苦し…い…の…でしょう…私が…その…苦しみ…を受け…いれ…て…あげ…」 お兄様とは誰だ! この少女を冥府魔道に堕としたのは誰だ! コキっと、間接が外れるような音がした。とてもてとても小さい音だった。 女王の手が柔らかい音を立ててベッドに沈む。 叫びだしたい衝動を抑えながら狼狽して女王から後ずさる。 終わったのだ。これで。 一瞬の気の緩みで抑えていたものが迸った。 目から、何かが流れ出るのを感じた。思わず両手で受けたそれは─ 涙、だった。 激情に動かされ、手で顔を覆って啼泣する。 化け物が醜い声を張り上げた。 何故泣く?お前に泣く資格など無い。 そして、何のために泣く? 少女を殺した罪悪感か?それとも安堵のためか?自らの半生のためか? 分からない、分からない、分からない! 近くに誰かいるかも知れないというのに、ジルカは大声で泣き続けた。 すべてがどうでもいい。すべてが終わったのだ。 呪われた生よ!終われ!今すぐに! ふと、かすかに羽音のような優しい音が聞こえた。 女王の口から燕に似た半透明の小鳥が飛び出たではないか。 小鳥は部屋を一周すると灰海〈シリー〉に面した窓を嘴で叩き始めた。 目の前の不思議な現象を呆けて見つめるだけだったが、小鳥の意図を察し窓へと走った。 窓を開けてやると、小鳥は感謝するように一鳴きした後、海へと飛び立ちすぐに姿が見えなくなった。 あれは一体?あの鳥は女王の魂か何かだったのか? 燕は巣から飛び立ったのだった。 カラドたちの射撃も大した効力はなく劣勢が続いていた。 人間、エルフ双方供に討ち取られ続け彼我の差は開くばかりだった。 ラーツは勝利を確信し余裕の笑みを浮かべていた。 「このままでは負ける。せめてラーツだけでも討ち取りたい。そうすれば私が死んだ後でも…」 コルニは続いている騎兵たちの目を見た。配下たちも覚悟を決めたように一様にうなずく。その目はどこまでも透明だった。 「行くぞ…」 「お待ちください!」 決死の覚悟を決めたとき、エメルが駆け寄ってきた。 「いかがした」 「報告です。サイルウェグが」 エメルの目には涙がにじんでいた。 「まさか、サイル翁が討ち取られたか?」 「いいえ。でも、この劣勢を覆すべく決死の兵を率い、ラーツに向かって玉砕すると…」 「なんと!」 急いで馬首を巡らせ、サイルウェグの元へ駆ける。 死なせてはならない。 エルフの老人に自身と同じ、戦場に生きた者だけが持つ匂いをコルニは感じていた。 だから強く思う。あの老人はここで死なせてはならない、と。 彼を救うべく悲鳴を上げる馬に鞭を当てた。 オークがとりわけ密集した場所から、しゃがれた声が聞こえる。 「死ぞ!死ぞ!死ぞ!  兵士たる者、褥で安穏の死を望む無かれ!  干戈に身を裂かれ、路傍の屍となることこそ最大の誉れなり!  無惨に生き残り、敵の嘲笑を受けてはならぬ!  国に残してきた者の礎となることを望めや!  この老木に遅れるな!」 サイルウェグが辞世の句を叫び、剣を抜き放つ。 トロル討伐の功と、その浅黒い肌から“アヴァリの黒剣”と呼ばれた歴戦の老傑は衰えを全く感じさせない勢いでラーツへと迫る。 続く者はエルフと人間。 今この時に種の境は無くなり一個の奔流と化した。 気迫に押されたラーツの取り巻きは防衛を崩しかけた。 しかしながら、衆よく寡を制す。 黒き剣の切っ先はラーツの鼻先に迫るも、あと数寸のところで届かなかった。 「老木の枯れ木が!死ね!」 木を斬り倒す鉞が老木の頭上に迫る。 「サイル!」 カラドがその木樵の目を射抜く。続いてテルペリオン〈光の若木〉は馬から飛び降り、痛みによろめく邪悪なる木樵を指し貫く。 「サイル!もういい、下がれ!」 「あぶねぇ。サイルじぃ無理するなよな!」 ガドロンが続いて馬から下り、老兵を馬に担ぎ乗せる。 「こ、こら降ろせ!儂から死地を奪うな!」 「アンタの死地はこんな血生臭い所じゃなくて、ばあさんと一緒のエアイン・オール〈夢の林〉だろ。養生しろよ!」 「カラド殿!ガドロン殿!」 「太子!」 二人のエルフに一人の人間が加わる。 「殺せ!コルニだ!奴を殺せば、この戦いは終わる!」 ラーツが濁声で激を飛ばす。 「うるせえ!汚い声でしゃべんな!」 グングニルが圧倒的な力で迫り来る敵に深傷を与え、レーヴァテインがとどめを刺し、銀光のミスリルが二人の連携を補助する。 三位一体の攻撃と、それに加勢する槍剣にラーツの守備は削れていった。 ついに宿敵の喉元まで道ができる。 形勢の不利を見たラーツは背中を向けた。 「おおおお!!!!」 投擲されるグングニル。 槍は意志を持ったようにラーツの背に吸い込まれ、そのまま前のめりに倒れる。 神槍を失ったコルニを中心に人間・エルフは固まり、周囲に牙をむき続ける。 だが、オークの総大将を討ち果たしたもののコルニたちはオークに囲まれ退避することはできなかった。 「ここで終わり、か」 コルニが諦観した笑みを浮かべて鞘を払う。 「自刃されるおつもりか。諦めるのはまだ早いですぞ」 「まさか。この身果てるまでオークを討ち果たすのみ」 カラドはその言葉に笑い、レーヴァテインを高々と掲げた。 「我こそは翡翠のアヴァリ国国王タルランスが一子カラド・テルペリオン!  我が焔の剣に焼かれたき者だけ、前に出よ!チェルノボグが領地で燃え続ける業火よりも熱きその一撃を与えよう」 突然の口上に戸惑いの表情を浮かべるコルニに光の貴公子は笑いかけた。 コルニはそれに頷くと、同じように佩剣を掲げた。 「最期だ。おとぎ話の英雄のように謳うことも悪くないか。  我は太祖青光王リューリクが裔(すえ)、コルニ・スヴャトスラーヴ・リューリコヴィチ!  ベロヴォーグの鋼の誉れを継ぐ者なり。闇の眷属、醜悪なる悪鬼どもよ。我が剣にかけて汝らを裁かん。  処刑台に上がりたい者は来るがよい!」 「おうおう。かっこいいじゃねえか。俺もノるぜ。  我が名はガドロン・イングウェイス・ラウレリネ。大始祖イングウェが長子テルペリオンの弟ラウレリンの連枝イングウェイスの末。  災禍の龍ゴスモグ・ルンゴルシンを討ち果たせし金泉の守護者エクセリオンが我が先祖。  オークどもよ、貴様らに最後の勲しを与えてやる。ゴスモグに続かせてやるぜ」 三人は左の拳をぶつけ合い、オークたちに対峙した。 混戦、としか言いようのない戦況。 双方策もなく、ただ剣に当たる者をなぎ払い、ただ槍に向かってくる者を刺し殺した。 両者同時に消耗していくのならば、わずかでも数が多い方が勝つ。 それでもコルニたちはオークたちの濁流をよく防ぎ続けた。 「ソンツェ〈光だ〉!」 誰かが叫んだ。 コルニが東方に目をやると、天空の王がその朱衣(あけごろも)を翻しながら玉座へと登っていくのが見えた。 ─これが最後の光か。 「公!」 「なにっ!」 一瞬のことだった。空へ目をやった瞬間にコルニの左腕がオークの剣によって刺し貫かれた。 「このっ!」 カラドがコルニに肉薄しているオークを斬り払う。 「公!大丈夫ですか」 「油断した。戦況はどうなっている」 カラドが周囲を見渡す。手負いの戦士に掛けることができる言葉は見つからなかった。 「公…残念ですが」 「良い。オークたちにここまで損害を与えることができれば、私たちの後に続く者たちが必ずやオークに報いてくれるだろう。  幸い利き腕はまだ生きている。命尽きるまでオークらを討つ。  殿下逃げられよ。人間の戦いだというのによくここまで付き合ってくれた。  礼を言う」 「何をおっしゃいますか」 「戦況はもはや決まった。殿下らが最後まで居る義務はない。御令姉を捜しているのだろう?ならばこんなところで死ぬべきではない。  さ、早く。退路を開くことくらいならこの身にもできよう」 「そんなこと、できるわけがない!」 「殿下…」 「公よ。一つだけ言っておきます。エルフは深い悲しみに襲われたとき死ぬのです。  もしここで生涯の知己を見捨てなどしたら、私はこの世界を去ることになるでしょう。死ぬのならば友の傍で死にたい」 「しかし…」 カラドがコルニを強く見詰める。 コルニはその金色の目を見返すと、柄を強く握りしめた。 「分かった。  ならば共に死のう」 「無論」 コルニとカラドは剣を当て合うとオークへと向き合った。 コルニが雄叫びを上げると、カラドもそれに倣った。 干戈の音さえ圧倒するその声に周囲の注目が一斉に向かう。 「来い!」 死を覚悟した、その瞬間─ オークたちが動くのを止めた。 オークたちの手から次々と得物が滑り落ち、目はあらぬ方を向き、口からは締まり無く涎を流していた。 「これは、一体…?」 「まさか、術者が殺された?」 「殿下、何かお分かりか」 「先日説明したとおりオークは魔術によって、エルフと人間を変えたもの。オークは術者との契約によって、その配下となります。  そして契約者が殺されたとき、その契約は消滅し術者の軛から解放されると聞いております。ゆえにこの事態は契約が破棄された結果と想像できますが、しかし…」 「ここまでの事態となるのは予想外だったが」 「エルフ・人間をオークに変える魔術など遙か千年前が最後の事例。今言ったことは私の推測も混ざっていることは含み置きください」 「分かった。しかし、この現象に説明は必要ではない。  重要なことは…」 コルニは目の前のオークに斬りつけた。 致命の一撃を何の抵抗もなく受けたオークはそのまま地面へと倒れた。 「我々が勝利したということだ。  皆の者!勝ち鬨を上げよ!」 コルニの号令に始めは戸惑っていた者たちは少しずつ声を上げていき、いつしか大音声となった。 勝利の角笛(リア)の音が響く。 後にこの戦いは人間側からは“復土戦争〈レコンキスタ〉”と、エルフ側からは“血尽きざる戦い〈セレグ・アルノイディアド〉”と呼ばれた。 また、コルニがグングニルを駆って勝利したことから“グングニルの勝利〈ペルモハ・グングニレ〉”とも呼ばれルーシ王国の不朽の記憶として永く語り継がれていくこととなる。
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