XVI 二つの出会い 三つの別れ

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XVI 二つの出会い 三つの別れ

勝利の歓喜が落ち着くと即座に戦後処理が行われた。 まず、木偶と化したオークたちの一掃。 オークの死体はすぐに悪臭を放ち始めたため、死体は集められ火が付けられた。 その火は赤く燃えず、禍々しい黒火となり、“チェルノボグの宴”とも呼ばれた。 左腕に重傷を負ったコルニだったが周囲の反対をしりぞけ、自らと、カラドとに隊を分け周囲の捜索を開始し、イユボフ伯の居城で落ち合うことにした。 「なんだかあっけない最後だったなぁ」 「拍子抜けと言っても良いかも知れないな。しかし、戦争とはこんなものなのかも知れない。劇的な終わりはそれこそ物語の中だけで、どれだけの血を流そうと、どれだけの者が死のうと最後は誰も予想しない終わり方をする。  そして、それは往々にしてあっけないものなのだろう」 「そんなもんかね」 「何よ。不服なの?」 「不服っつーわけじゃないが、なんかなー」 「何にせよ。君たち二人とサイルが無事で良かった。数多の同胞が“沈黙の木”に戻ってしまったのに、こういうことを言うのは不謹慎かも知れないが」 「まぁな。しかし、あんだけ怪我を負っておきながら、ピンピンしてるのはさすがに驚いたぜ。しまいには捜索隊に加えろとか言うんだからな。担架に担ぎ込むのが大変だった」 「“アヴァリの黒剣”ここにあり、という感じだったな。…ん?」 「どうした?」 「いや…何か…」 カラドは何かの視線を感じた。こっちが感づいた素振りを見せたら、その視線は消えてしまったが、その視線は言いしれぬ胸騒ぎを起こさせるものだったと同時に懐かしささえ感じた。 「どうしたカラド。何も無い所なんか見て。あっちになんか見えるのか?」 「ちょっと、行ってくる」 「おい、カラド!単騎で行動するな」 カラドは脇目もふらず、急かされるように馬を走らせた。 「追いかけるわよ!」 「おう。ったく、どうしたってんだ」 〈何か、何かが私を呼んでいる。  そして、同時に拒んでいる…?〉 カラドはある程度馬を走らせると、止まった。 「おいおい、どうしたんだよ。一人で行動するのは危ないぜ。どこに残党が潜んでいるかも分からねえんだから」 「……」 カラドは一心不乱に辺りを見回している。 「だから、話を…」 「あっちだ」 カラドは木立の方向に馬を向けると、再び走り出した。夜が明けてまだ間もないせいで木立はまだ薄暗い。 「あっちだ、じゃねえよ。止まれって」 「ちょっと待って」 「んだよ次はエメルかよ。どうした?」 「見て」 エメルは馬から下り、地面をまさぐっていた。 「ん、なんかあるのか?」 「これは…馬の足跡」 エメルの指先が地面に残る馬の蹄跡をゆっくりと辿ると、それは木立の方へと消えていた。 「野生馬じゃねえのか?」 「この地面の柔らかさで、この足跡の深さとなると騎乗しているものね。そして、おそらくその騎乗主は女」 「オークは馬に乗らねえと言っていたから、オークじゃないとして…はぐれた兵士か?」 「騎兵の人員は確認しているから、はぐれた兵士は居ないはずだけど…嫌な予感がするわ。  カラドを早く連れて戻りましょう」 「分かった」 二人が追いかけていくと森林火災の跡であろうか、ぽっかりと穴が開いた空間にカラドがたたずんでいるのが見えた。 「フォス!どうした…ん?」 「嘘でしょ。貴女は!」 三人が見たものは、騎乗のダークエルフ─ポヴィヤだった。 しかしカラドの口から漏れ出た名前は─ 「フレイヤ…」 「……」 ポヴィヤ─フレイヤは気まずそうに、予期せぬ来訪者たちを見つめた。 「フレイヤの姉貴?本物か?」 「間違いないわ。顔つきや雰囲気が変わっているけど、確かにあれはフレイヤ様…」 「どうしてこんな所に…」 「…久しいの。親愛なる弟よ。それに、ガドロンのきかん坊にエメルか」 「マジかよ…。アンタ今までどこで何をしてたんだ。アンタが居なくなってから大変だったんだぞ。方々探し回っても、どこにもいねえし」 ガドロンが嬉しそうにフレイヤに近寄る。 「寄るでない!」 彼女の一喝にガドロンは驚き、馬がいなないた。 「『何をしていたか』だと?妾の姿を見て察しが付かぬか?」 「姿?…アンタ、もしかして」 「そう。堕落したの。かつて、“白雪の星〈グロス・エレン〉”と呼ばれていたフレイヤはもう居ない。  星は地に堕ちて、泥にまみれた」 「何故だ、姉さん!あんなに聡明だった貴女がどうしてそんな姿に成り果てて。  さっき女のダークエルフを見たと聞いたとき、まさか、と思った。  でも、嘘であって欲しいと願った」 「ダリアとか言う女と会ったのか」 「どうしてだ姉さん。僕の質問に答えてくれ!  こんなこと、父上になんと言えばいいのか」 「父か…。あんな男、妾のことなど何とも思ってあるまい。  そして、どうしてかは答えさせてくれそうに無いの。のう、エメル」 「え?」 カラドが振り返ると、エメルが渾身の力を込めて弓を振り絞っていた。 その目には嫌悪と憎悪の念が宿っていた。 「カラド。『どうしてか』なんて訊く必要は無いわ。  千年前の“アルダの誓い”によって、ダークエルフとなった者は親であろうと子であろうと我らの手で討たなければならない。  もちろんアナタの姉君であろうとね」 ポヴィヤは不適な笑みを浮かべながらも、その視線は逃げ道を捜していた。 「逃げようなんて思わないで。私の腕前は知っているでしょう?この距離ならウサギの目を射抜くことだってできるわ」 「お前の腕は弓を教えた妾が一番分かっておるわ。  …そうだ、エメル。最後に言っておきたいことがある」 「なに?」 「カラドといつも一緒にいたお前たち二人のことは弟妹のように思っていた」 「そう。でも、そんなことを言って私の同情を買おうだなんて思ってないでしょうね」 「同情など。エメル…お前は……生意気で不作法な妹でずっと嫌いだったよ」 「っ!」 「ダメだ!エメル」 エメルが放った矢にカラドは身を挺した。 矢は鎧の隙間からカラドの胸の辺りに刺さった。勢いでカラドはポヴィヤと重なるようにして馬から落ちた。 「カラド!」 ガドロンは慌てて二人に駆け寄る。エメルは呆然として弓を下げたままで動かない二人を見ていた。 「後先考えず無茶をするところは変わってないの」 ポヴィヤは矢の痛みに身じろぐカラドに優しく囁いた。 「姉…上?」 カラドはポヴィヤの方を振り返る。鎧越しに伝わる彼女の柔らかさがいやに懐かしかった。 「本当にお前は美しい」 そう呟いた彼女の笑顔は柔和でありながら、とても悲しそうだった。 「おい、カラド大丈夫か?」 ポヴィヤは駆け寄ってきたガドロンへカラドを突き飛ばすと馬に乗り、そのまま振り返らずに逃げ出した。 「フレイヤー!」 カラドが伸ばした右手はむなしく空を掴んだ。 「カラド、怪我はどうなってんだ」 ガドロンが鎧を脱がせて傷を確認すると、右の鎖骨上部に矢が折れて突き刺さっていた。 「やべえなこれは。さっきの悶着で矢がさらに深く刺さってやがる。  早く血を止めないと」 「フレイヤ…」 血が流れることも構わず、カラドは最愛の女性が消えた空間をいつまでも見つめ、静かに気を失った。 「おい、エメル!」 ガドロンの呼びかけにも応えず、エメルは自失したままだった。 「エメル!呆けてんな!」 「あっ。カラドは…」 「矢の当たり所が悪い。ったく、矢が上手いのも考えもんだな。  俺はカラドを連れて帰る。お前はこのまま城へ行ってコルニたちと合流してから戻ってこい」 「で、でも」 「でも、じゃねえ。俺たちの誰かが行かねえとコルニたちが不安がるだろうが。  お前がカラドを担いでいくのは無理だろ?」 「…分かったわ」 「人間たちに泣き顔なんて見せんじゃねえぞ」 「な、泣いてなんか」 「お前は昔から自覚なく泣きやがるからな。コルニたちと会う前に顔を拭いていけよ」 「大きなお世話よ」 「太子。やはりその傷では。もう戻られた方が良いのではないですか?  捜索くらいなら我々にもできます」 「お前たちを信頼していないわけではない。  オークたちとの戦いを最後まで見届けたいだけだ」 「しかし…」 「太子!前方に人影あり!うずくまっているように見えます」 「オークの残党か?警戒して近づくぞ」 彼らが見つけたのはジルカだった。 ジルカは四つんばいになりながら苦しげにうめき声をあげていた。 コルニたちは注意深く距離を詰めながらジルカを取り囲み、槍を構えた。 「はぁっ…はぁっ…」 「こいつ、今までのオークと様子が違うな」 「なん…だ…」 「しゃべったぞ」 「様子が変わろうとオークはオークだ。そのまま槍で突いてしまえ」 「はっ!」 一人が用心しながらジルカへと近づき、槍を突く。 「くっ…」 ジルカは思うようにならない体をなんとか転がし槍を避ける。 「まだ動けるのか」 「確実に行け。もう一人馬から降りて、二人で仕留めろ」 二人の処刑人がジルカの命を刈り取ろうとする。 ジルカは浅い傷を負いつつも必死で転がり回り致命傷を避け続けた。 「ええい、埒があかん」 しびれを切らした兵士がジルカの腹部に蹴りを入れ仰向きにさせる。 大の字になったジルカは観念したように荒い呼吸のまま動くのを止めた。 コルニはオークの右腕の傷を目敏く見つけた。 「星の傷…星(ジルカ)…まさか、貴様がジルカか?」 「?」 最早、誰にも呼ばれないであろうと思っていた名前にジルカは驚いて名を呼んだ人間に目を向けた。 一瞬、ダリアを思い出したが見慣れた彼女の姿はそこには無く、代わりに黒い鎧に身を包んだ偉丈夫の姿を見た。 「まさ…か…コルニ…」 名前を呼ばれ、コルニは目を細める。 「貴様がダリアを拐かしたジルカなのか?」 「太子?」 「下がれ。私はこいつと話がある」 「危険です」 「下がれと言ったのが聞こえなかったか?」 黒太子の凄みに周囲が口をつぐむ。 「答えよ。貴様がジルカなんだな?」 「そう…だ…」 コルニは憤怒の表情を浮かべ剣の柄を握ったが、そのまま止めた。 「立て…」 「?…」 「立てと言っている!」 獅子吼の怒声に兵士たちが萎縮する。 ジルカは言われるままに不自由な体を叱咤すると無理矢理立ち上がった。 「誰か、剣をこのオークに与えてやれ」 「はっ?しかし…」 「二度同じ事を言わせるな!」 怯えた兵士が慌てて剣をジルカの足下に投げる。 「これ…は…」 「無抵抗の者をなぶり殺しにしたとあっては私の誇りが許さない。  邪悪なるオークよ。その剣を取って私と立ち会え」 「なぜ…俺に…そこまで…こだ…わる…」 「貴様は我が婚約者を奪い。我らの仲を引き裂いた。  この怒りを鎮めるためには貴様と決闘しなければならない」 「そう…か。お前が…ダリアの…」 「気安くその名を呼ぶな!やはり全員でなぶり殺しにしてやろうか?」 ジルカは霞む目でダリアの婚約者の目を見つめた。 そこに怒り以上の感情を読み取ったジルカは剣を拾い、構えた。 剣先は震え、とてもまともな闘いが望めるような状態ではなかった。 「丁度良い。こちらは片手のみだから、互角だな」 ジルカは体を支えることを拒否し続ける足に力を込めると、よろよろとコルニに斬りかかった。その一撃は簡単にコルニにあしらわれる。 何度力を込めようとしてもその切っ先は情けなくコルニの鎧を擦るだけだった。 「こんな、こんなものか?私から愛する者を奪った奸物よ!  私の怒りを満足させてみろ!」 あいつを選んだのはやはり間違いだった。 こんなことになるのなら独りオークとして朽ち果てるべきだった。 「意気地を見せてみろ。私を弱者をいたぶる卑怯な人間にするのか」 震え続ける体を必死に鞭打ちコルニに斬りかかる。 しかし、何度挑もうと満足のいく一撃は振るえなかった。 「…もういい。稚気な怒りを持った私が間違いだった。お前の無意味な生を今、終わらせてやる」 「無意味…か。そうだな。そうだな。俺には…何の意味も…ない」 「しゃべる元気はまだあるようだな。情けだ。最後に言い残すことはあるか」 「…ありがとう、と」 「何?」 「感謝を…彼女に伝えてくれ。妻を殺し、子を殺し、あまつさえ愛を求めた幼子を殺したこの呪われた生の中で、最後に美しい思い出を与えてくれた彼女に」 「何を言って…」 覚悟を決めた。先ほどまで、儚い幸運を望んでいた愚かな考えを捨てると、不思議と澄んだ気持ちになった。 生命が終わりを自覚したときに出る最後のあがきが、弱った体に力を与えた。 いやこれは、あがきからではなくコルニたちの背後の向こうから必死で駆けて来る彼女の姿を見たからかも知れない。 剣先はもはや震えずコルニへまっすぐに向かう。 「コルニ、お前は私を裁いてくれる断罪者だ。  私は躊躇うことなく、逝こう」 ジルカは咆吼した。それは屠殺される家畜があげる断末魔の叫びに似ていた。 足に力を込め、一直線にコルニに向かう。 「くっ!」 剣はコルニの首元へ。 コルニは籠手で一撃を払ったが、ジルカの勢いでそのまま押し倒される。 「太子!」 兵士が慌てて駆け寄る。 逃れようとするコルニをジルカは逃そうとせず揉み合い続ける。 刹那、ジルカの背中から切っ先が突き出た。 ジルカは腹部に深々と突き立てられた剣を見ると、ゆっくりと微笑んだ。 「ジルカ、貴様…」 最後に名を呼んでくれた。 彼女が与えてくれた愛しい名前。 もう一度彼女から呼ばれたかったが、最早、思い残すことは無い。 薄れゆく意識の中、水の音が聞こえた。 地中深くにあるというチェルノボグ統べる常夜の国には、大いなる河が流れていると聞く。 きっと、この音はその河の…。 「太子、お怪我はありませんか」 「大丈夫だ…」 コルニは動かなくなったオークを見下ろすと、言いしれぬ感情が湧きあがってくるのを止められなかった。 私は、何を…。いや、誰を…。 「太子?」 「何でもない。予想外の戦闘が起きてしまったな。  おそらく、オークの残党はもう居まい。城へ向かおう」 「太子!」 「どうした」 振り返るとダリアが呆然と立っていた。 その表情は悲しげで、見ていると再び下らない感情が芽生えてきそうで、かつての婚約者から目をそらした。 「ジルカ…」 「今のを見ていたのか」 「ジルカ…ジルカ!」 ダリアはかつての恋人に目もくれず、憎きオークの死体へすがりつき周囲にはばからず泣き出した。 耳をふさぐことは出来ず最愛の人だった女性の泣き声をただ聞くことしかできなかった。 コルニは奥歯を噛みしめる。 「…街へ一度だけ入ることを許す。お前の家の後始末をして、その後はどこへなりと消えよ」 泣きじゃくる彼女からは反応は無かった。 「こいつに馬を用立ててやれ。城へ向かうぞ」 城へ向かう最中、コルニは何度か振り返ったが、ダリアはいつまでも泣いていた。
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