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Ⅴ 翡翠のアヴァリ国 ルーシ王国に親書を送る
エルフの国である翡翠のアヴァリ国国王タルランスからルーシ王国のフィラゾヴィ国王へ親書が届いたのは春の雨が優しく降る日だった。
曰く〈オーク討伐のために助力を申し出る。第六王子カラドを指揮官とし、一個大隊を送る〉と。
青天の霹靂の親書に王国中が色めき立った。
ある者は、これはオークの策略で偽物だと言い、またある者はついにあの氷より冷たいと言われるエルフも温情を示したのだ等々、様々な憶測が飛び交った。
親書は難解でエルフにしか完璧に書けないとされているエルフ語と共通語で書かれていた。
何よりタルランスの王印が押されているので真偽を疑うべくもないのだが、偽物であるとする意見が根強いのは今まで再三エルフに助力を願ったのに、宜(にべ)も無く断られ続けた苦い記憶による。つまり、王国はエルフに不信感を抱いていたのだ。
親書には手紙到着後の約一週間後に援軍が到着すると記されていた。
国の上層部は、こちらの返答を待たぬエルフのやり方に憤る者などが居たが、ひとまず真偽は定かではないものの、この期日を待つことを決定した。
カラド軍到着予定日の朝─
「カラド殿下一行が城下に到着いたしました」
玉座の間はどよめいた。
「やはり来たか」
「ほらご覧なさい、私の言ったとおりではありませんか」
「何を言う。貴女だって先ほどまで疑っていたではないですか」
「静まらんか!」
フィラゾヴィ国王の獅子吼で、ざわめきが止まる。
「相手はあのエルフである。今回の親書をただの同情と見てはならない」
「陛下の仰られた通りである。気位の高いエルフのことだ。この同盟を餌に何か無理難題をふっかけて来る可能性もある」
王の傍らで、低く固い声が唱和した。
黒太子コルニ公である。二つ名の由来となっている黒鋼の下地に銀細工で彩られた鎧を着ていた。三十路を少し過ぎた彼の顔は若獅子のように精悍で、厳格さを漂わせていた。
「とにかく。エルフに侮られぬよう、こちらは泰然として構えていなくてはならぬ」
それでもなお喧噪が収まらぬ中、ついにカラドが玉座の間に着くとの先触れがやって来た。
扉が皆の緊張を表すように重々しく開けられた瞬間、姿を現した者たちを見て、誰彼となく感嘆のため息を漏らした。
数人を引き連れたエルフの若き貴公子は、粛々と国王の前へと歩む。ただそれだけの単純な動作であるのに、歩みが香気を放つかのようにそれは雅(が)であった。
「……」
先ほどまでの警戒心はどこへやら。
王を初めとする衆目はただただ見とれるだけであった。
「お初にお目にかかります国王陛下。タルランスが一子カラドと申します」
彼が自然な動作で片膝を付き、頭を垂れたことで周囲の感嘆は驚嘆へと変わった。
あのエルフが人間に頭(こうべ)を垂れるなど!
従者たちの顔が一瞬、引きつったのをコルニは見逃さなかった。
一瞬の間。
「陛下」
コルニのささやきでフィラゾヴィが我を取り戻すと、あわてて声をかける。
「我が国へ遠路はるばるご苦労であった。北方に住まう貴公らにしてみれば、南方のこの国はいろいろと環境が違い大変であったろうに」
「お気遣い有り難うございます。今回が初めての羈旅なので、初めて見るものばかりで旅の疲れなど感じる暇もございませんでした」
カラドが完爾と笑うと同時に人の倒れる音がした。
幾人かの貴婦人が倒れたようだった。カラドの笑顔にめまいを起こしたらしい。それほどまでに彼の容貌は(文字通り)人間離れしていた。加えて内面よりあふれ出るその高貴さと慈愛である。
コルニは指示して、貴婦人たちを下がらせた。
「お見苦しいところをお見せした」
「彼女たちは大丈夫でしょうか」
「あいや、お気遣い無く。ところで、後ろの者たちは」
「紹介いたします。まず、こちらが─」
「サイルウェグと申します」
総髪の精悍な顔つきの老人がカラドの言葉を遮って応えた。先ほどのカラドの行動とはうって変わって、目礼さえしない。
「彼は私を補佐するために、参謀を務めております」
「んで、俺がガドロン。カラドの乳兄弟ってやつだ。よろしく」
まるで友人にでも言うかのような軽薄な口調でフォスの背後にいた男のエルフが言った。
今度はコルニ側が顔を引きつらせる番だった。
ガドロンと名乗ったエルフを横から小突いた女のエルフが目礼をする。
「レ・スイロン〈貴公に挨拶を申し上げます〉。
我が同胞が失礼いたしました。私の名はエメルと申します」
「この二人は我が友人にして、一騎当千の武人でもあります」
「ほうほう」フィラゾヴィが感心したように相づちを打つ。
「紹介、ハンノン・レ〈感謝する〉」
「我らの言葉がお出来に?」
「簡単な言葉ぐらいは」
「貴殿がコルニ“黒太子”ですか」
「いかにも」
「貴殿の武勇は我が国にも響いております。お目にかかれて光栄です」
「貴国にて我が名が知られているとは。こちらこそ光栄の至りである。
して、ご到着早々で悪いのだが率いて来られた大隊を見させてもらいたい。
いずこかな?」
「コルニ。殿下に対して失礼ではないか」
「申し訳ございません。陛下。しかしながら、我が方は今は一兵でも戦力が欲しいところ。悠長に挨拶を交わしている余裕はないのです」
「だが」
「お気になさらずに陛下。
城下に待機させてあります。あちらのバルコニーから見えるでしょう」
王は床を払うほど長い外套を引きずりながら、カラドの案内に従った。
「これは…」
整然と並んだエルフたちを見てフィラゾヴィ以下は息を呑んだ。
林立した穂先。クリスタルのように輝く鎧。エルフの容貌の美しさ。
この世のものとは思えぬ壮観である。
「いかがですか。我が兵士たちは」
「素晴らしい、の一言しか言えぬ。ペルン神が巨人たちと戦う時に率いた神聖兵士〈エインヘリヤル〉のように美々しく、雄々しい。これなら」
王は思わずカラドの手を取った。
「これなら、彼の邪卑なるオークたちを一掃できる。心からの感謝を述べたい」
「ええ、共にオークたちを倒しましょう」
王の手を握りかえし、カラドは微笑んだ。
「フォス殿下。贈答品を」
「おお、サイル。そうだった。すっかり忘れていた」
「贈り物とな?」
「はい。あれをこちらに」
エルフの従者が覆いが掛けられた棒状のものを、カラドに捧げるようにして渡す。
「それは…」
「槍でございます。アヴァリ国一の鍛冶師に打たせました」
「陛下の代わりに私が受け取ろう」
「どうぞ」
コルニが受け取り、覆いを取る。
「これは…見事な…」
観衆からもざわめきが起こる。
優美、の一言に尽きる意匠。実用性と芸術性を極致まで合わせたその技法は、冶金・鍛冶技術に大きく後れを取っている人間の業では到底造り得ぬものだった。
その刃はホヴェールラ山が頂く雪冠のように白く、柄は灰色でありながらも黎明のような透明さを持っていた。
「ミスタリレの槍でございます」
「初めて間近で眼にする。噂に名高きミスリルとは、かくも美しいのか」
「気に入って頂けたようで幸いです」
「これは是非、名前を付けねばなるまい。…そうだな、グングニルと名付けよう」
「武神ベロヴォーグが太古の巨人ユミルを討ち果たしたときに使った神槍の名ですね」
「済まない。このような至宝に対する返礼の品を我々は持っていない。一体、何を返せばいいのか」
「お気になさらずに。これは今まで貴国からの使者を無視していたことへのお詫びであるのですから」
「しかし…」
「殿下、兵士たちは長旅で疲れております。どこか休める場所を教えていただきましょう」
サイルウェグが割り込むようにして言った。
「ああ、そうじゃな。そうじゃ、そうじゃ…」
王は困った目でコルニを見た。
「現在、我が国はオークとの戦乱で負傷者や難民が大量に発生していて、ここ王都キーイフには、それらを抱え込むので精一杯な状態だ。貴国の大隊五百名が収容できる兵舎は…」
「用意できなかったと?」
老兵が眼を光らせる。
「ば、場所が無いわけではない!そうじゃ、ベロヴォーグ聖堂はどうだ。あそこならば…」
「無理です陛下。すでにあそこは臨時病舎として接収しています」
「ではどうすれば」
「長らく使われていませんでしたが、イユボフ伯の城下屋敷がございます。そこならば」
「いえ、結構。兵舎は必要ありません」
カラドの言葉にガドロンが「へ?」と間抜けた声をあげた。
「近くに森がありました。そこを我々の“兵舎”としましょう」
「森を…?」
「今でこそ我らエルフは城を造り、家を建て、人やドワーフらと変わらぬ生活をしていますが、元来、我らは巨木の洞が城であり、木の根が家でありました」
「そういえば、エルフは“森の守人”とペルンの勲詩にはありましたな。森を兵舎として使ってくれるのならば、こちらとしてはこの上なく有り難い申し出だが。
さすがにそれは…」
「ご安心召されよ。我らは定期的に森の深奥へと入り、寝起きすることを“森の守人”の嗜みとしておりますゆえ。
サイル、よいな?」
カラドはサイルウェグを見る。
「カラド殿下の決定に異論など言えませぬ」
「私のわがままに付き合わせてしまい、済まない。ありがとう」
「貴方のわがままなど、とうの昔に慣れましたよ。ガドロン、エメル。
聞いての通りだ。先に戻り、兵士たちに伝えよ」
「りょーかい」
茶化して応えたガドロンをエメルが肘で小突き、二人は去っていった。
二人を見届けた後、サイルウェグがカラドに目配せをした。
「なにか?」コルニが目敏く、それに気づく。
「折り入ってお話があります。衆耳のある場所では話せません。どこか内密の話が出来る場所はございませんか?」
「それならば…」
「朕の寝室を使えばよい」
「しかし、陛下」
「良い。オークとの戦乱で疲れ切っていた我が国に援助を申し出てくれたのに、兵舎も満足に用意できなかった不徳を詫びたい」
「ご厚意、感謝いたします」
「誰も近づけぬように。近衛兵もだ」
「はっ」
コルニは寝室の鍵を閉めた。
「内密の話とは何かな?」
「では早速…つかぬことをお訊きするが、貴国で多数の行方不明者が出ていたりはしませぬかな?」
「多数の行方不明者?度重なる戦乱で多くの人命が失われ、それに付随して行方不明者も多くいますが」
「あいや、訊き方が悪かった。オークとの戦争が始まる前に多数の行方不明者がでたりしたことは無いですかな?
たとえば、貴族の領地一個に相当する人数が忽然と消えたり」
サイルウェグの発言にフィラゾヴィとコルニは困惑して視線を交わした。
「貴君の質問に叶った答えかどうか分からぬが…」
コルニは思い出すように虚空を見つめながら言った。
「イユボフ伯領地の民がもしかしたら」
「イユボフ伯領地というと、現在オークたちが根城にしている場所ですな」
「左様。彼らがオークたちに侵略されたのなら避難民が居てもおかしくは無いのに、伯領からは全くその気配は無かった。故に、オークたちの初撃によって…」
無念さからかコルニの硬く握られた拳が震えた。
「……」
今度はカラドとサイルウェグが意味ありげに視線を交わした。
「今の質問は…?」
「…今から話すことは、決して口外しないように重ねてお願い申し上げる」
「無論」
「実は…」
サイルウェグが言いにくそうに一度ひらいた口を閉じた。
「サイル。言いにくいのなら、私から言おうか」
「いえ、お気遣い感謝します。
実は、オークたちが我が同胞たちをさらっているようなのです」
「なんと…!」
「当面のところ、オークは我ら人間とのみ戦争しています。どうして交戦状態にないエルフを?」
「蛆虫が詰まっている奴らの頭で考えていることなど分かりたくもない」
サイルウェグが顔をゆがめて罵った。
「サイル!陛下の御前であるぞ」
「これは失礼。口が過ぎました」
「私からも謝罪申し上げます。
しかしながら、我らエルフがオークの卑しきに手によって、捕らえられていることは千年の恥。我らの怒りを理解していただきたいのです」
「エルフの矜持というのは、我ら人間には計り知れぬものがありますからな」
「サイルウェグ卿、その怒りは私にもよく分かります」
「コルニ公?」
「私も…」
言葉を続けようとしたコルニは目と口元を固く結び、何かに耐えるような表情を浮かべた。「どうかしましたか?」
「いや。大丈夫だ。話を続けてもらえますかな」
「しかし」
「コルニは、つい最近婚約者をこの戦乱で喪いましてな」
「それはなんと傷ましい…」
「父上!そのような、それこそ身内の話など」
「よいではないか。この話は皆に知れ渡っている。変なところから殿下らの耳に入るよりも、こちらから話して置いた方がわだかまりもあるまい」
「……」
「公は大切な女性を失ってしまったのですね。実は私もなのです」
「もしや、その御方もオークたちによって?」
カラドは悲しげに頭を振った。
「それが分からないのです。ただ、オークたちによるエルフの誘拐事件が発覚するようになるずっと前に彼女は姿を消えました。内向的なエルフには珍しく、放浪することを好む風変わりな人だった。最初、姿が見えなくなったのも、いつもの放浪癖かと思っていましたが、数年経っても戻ってこず、もしかしたら…と」
「大切な女性…コルニと同じく婚約者ですかな」
「いいえ。彼女は、私の姉─フレイヤです」
「それは…」
「我が父タルランスとフレイヤは反りが合わず、顔を合わせるたびに言い争いをしていました。先ほど言った彼女の放浪癖は、そんな父と顔を合わすことを避けるために付いてしまった癖なのかも知れません。
フレイヤが行方不明になったとき、私は捜索隊を出すべきだと主張しましたが、父は受け入れてくれなかった。深窓の貴公子・令嬢を気取ることを尊ぶ父にとって、フレイヤは目障りな存在だったのでしょう。父は親子の情より体面や面子を気にする者ですから」
彼の顔に一瞬、静かな怒りが浮かぶ。
「オークが現れたと聞いたときは、真っ先にフレイヤのことが思い浮かびました。だから私はオーク討伐の兵を今すぐに派遣するべきだと奏したのですが、これも聞き入れてくれず、フレイヤの失踪とオークは関係ないと言うばかりだった」
「……」
「私と数人の有志だけで、討伐に向かうとゴネた時にしぶしぶと付けてくれたのがあの大隊です。……言わなくても良い内実まで言ってしまいましたね。失礼」
「いえ、そこまで内情を吐露していただき、むしろ貴公等への信頼が出来るようになりました。我ら力を合わせ必ずオークどもを倒しましょう」
フィラゾヴィは立ち上がり、カラドの手を取った。
「ええ、必ず」
「さすがにお疲れも出ていることでしょう。兵舎を用意できなかったことは大変申し訳なかった。執事に言っておくので、なんなりと必要なものがあれば仰ってください」
「ご厚意、感謝します」
「熱烈な歓迎を受けるとまでは思わなかったけど、まさか森でこれから生活しないといけないとはなぁ」
「文句言わないの。カラドも何か考えがあってのことだったんじゃない?」
「考えねぇ…お、こんちゃ!」
ガドロンが城門の前に集まっていた民衆の子供に挨拶をする。
子供は手を振り返そうとしたが、傍らの母親に急いで抱き上げられ人混みの中へと消えた。
「あれがエルフ…」
「噂で聞くよりも綺麗だな」
「綺麗だからと言って、何を考えているか分からんぜ。何しろ、あいつらは木のように冷たい心を持ってるからな」
人間たちのさざめきが耳を凝らさずとも聞こえてくる。
「ふん。これだから泥人形どもは。あー、泥くせぇ」
「止めなさい。人間たちに聞こえたらどうするの」
「どうもしねぇよ…てかさ、何で俺たちが泥人形どものために戦わなきゃいけねぇんだ?戦うんだったら、俺たちエルフだけでいいじゃねぇか」
「オークに関しては私たちは全く情報がないのよ?どれくらいの戦力なのか、どういう戦い方をするのか。何も知らない敵に向かって勝てるの?」
「おうさ。俺がオークどもなんぞ、百匹でも千匹でも駆逐してやんよ」
「呆れた。その自信はどこから来るのかしらね」
「何言ってやがる。人生なんて自信持ってナンボだろうが」
「じゃあ、その自信でもって兵士たちにこれからのこと話してね」
「げっ。嫌な役押しつけられた」
「ガドロン様、エメル様!」
エルフ兵の中から一人が駆け寄って来た。
「よう、ダエグ」
「我らの処遇はどうなりましたか?みなどこかで早く長旅の疲れを癒したいと申しております」
「あー、そのことなんだが…」
チラリとエメルを見ると、彼女は促すようにアゴを前に出した。
「はぁ…来る途中に森があったよな?」
「はい」
「あそこを俺たちの兵舎とすることになった」
「…は?」
ダエグの予想通りの反応にガドロンは苦笑する。
「あの森には我らが休めそうな建造物があるようには見えませんでしたが」
「カラドのご高説によるとだな…」
拝謁のくだりを一部始終説明すると、ダエグの顔が困惑したものに変わっていき、最後には怒りの色さえ浮かんだ。
「禽獣のように野営しろと言うのですか」
「お前の怒りはよく分かる。だが、言ったように俺たちが泊まれる家屋は用意できてないそうだ。ま、いいじゃねぇか。泥臭い人間たちの中に居るよりも、森の中の方が清々するぜ」
「泥人形どもが!我らが何のためにこんなところまで来たか分かっていないのか?」
「おいおい、落ち着けよ。人間どもに聞こえるぞ」
「殿下も殿下です。何故、人間どもに唯々諾々と従ったのですか。わざわざ援軍として来てやったのに、それに対しての侮辱ですか?これは」
「まぁまぁ、カラドにも考えがあるんだろう。そうだよな?エメル」
「ええ、カラドは何か考えがあってのことでしょうね」
「考え?はっ!考えがあるなら今すぐにでも聞かせてもらいたいものだ。殿下は優しすぎる御仁だ。人間どもに言いくるめられたのではないですか?」
「ま、アイツが優しすぎるのは確かだが」
「だから嫌だったのだ。率兵の経験も無い者の下に付くなど」
「おいおい本音が出てるぞ。落ち着けって」
「殿下は甘すぎます。くそっ、あんな甘ちゃんの下で…!」
その言葉と同時に、ガドロンの右手がダエグの喉を掴んだ。
「それ以上アイツを侮辱してみろ。俺が許さんぞ?」
ダエグの顔が恐怖でこわばる。
「止めなさい。こんなところで仲間割れしてどうするの」
エメルがガドロンの頭をはたく。
「って。叩くなよ」
「アナタに説明を任せた私が悪かったわ。今から皆に説明をします。
ダエグ、隊列に戻りなさい」
ダエグは喉をさすりながら逃げるように戻った。
「整列!」
彼女の澄んだ掛け声に兵たちは整然と並び直す。
「今から拝謁の時に決定したことを報告します。
フィラゾヴィ国王から街内に我らの兵舎を用意することは出来なかったとお詫びがあり、代わりに近くにあった森を兵舎とすることに決まりました。
これは人間側からの指示ではなくカラド殿下ご自身の決定です」
兵士らがざわつく。
「この決定に異論もあるでしょうが、決定は覆りません。今から出発し、そこで殿下が戻ってくるのを待ちます」
「し、しかし…」
「何か言いたいことでも?」
エメルが睥睨し、剣の柄に手をかけるとざわめきが静まった。
「何もないようね?それでは、出立!」
号令に一団は移動を開始したが、その足取りはどうしても重いものになった。
「やれやれ、この先が不安になるぜ。士気がだだ下がりだ」
「カラドも士気はそこまで期待してないでしょう。兵士の大半はタルランス国王の歓心を得るために貴族たちが送ってきたあり合わせの者ばかりだし」
「カラドに忠義を誓っている奴らは俺たち含めた少数派ってわけか。あー、この戦い勝てんのかな」
「あら、アナタ一人でオークの百匹や千匹倒してくれるんじゃなかったの?」
「分かったよ。一騎当千の働きをさせていただきますよ」
「ふふ、頼もしい」
カラドとサイルウェグが去った寝室で、フィラゾヴィとコルニは話し込んでいた。
「さて、エルフたちと同盟を組むことになったわけだが彼らを信頼することは可能かな?」
「どうですかな。あれらの我々人間に対する蔑視の感情は根深い」
「だがカラド殿下はどうだ?あの慈愛に満ちた容貌。あの御仁は信じることができるのではないか」
「確かにあの者だけはエルフにしては不思議なほど我らへの蔑視もない。今回の協力も純粋に善意からでしょう」
「そうじゃろう、そうじゃろう。エルフにも殿下のように信じられる者が居たのだな。
やっと、あの憎きオークどもを地上から消し去ることが出来そうじゃ」
無邪気に信じ切っているフィラゾヴィと違って、コルニにはエルフに対し一抹の疑念があった。
彼らはまだ何かを隠しているのではないか?
戦略に関わるものではなければいいと思ったが、そうであったら我々側に甚大な被害が出る可能性もある。
「そういえば、あの質問の意図を聞き損ねていたな」
カラドの姉の話で、オークの話が流れてしまったが、あれが意図したものであったならば…?
「殿下、よくあの事を彼らに話しませんでしたな。殿下は正直すぎる。すべて話してしまうかもと内心安でした」
「私もそこまで愚かではないさ。あの事はまだ確証を得ていないし、なにより話すことによって、ただでさえ疲弊しきっている彼らの士気がさらに下がってしまう可能性が大きい」
「良き判断です。しかし、これからが大変ですぞ。我らエルフ側は一枚岩ではない。兵士たちは全員殿下に信服して付き従ってきたわけではないですから」
「分かってる。彼らの大半が貴族たちの汚い打算のせいで私に付いてこさせられている者たちばかりだ。そんな彼らを哀れだと思う。出来るだけ死者を出さぬように戦いたい」
「殿下。その優しさは偉大です。しかし、戦争とは優しさを捨てなければ出来ない。死人も当然…」
「みなまで言うな。私は理想が高すぎるのだろう?お前に何回も忠告されたな」
「悲しそうな顔をしないでください。私はそんな殿下を敬慕しているから、最後のご奉公でここまで従ってきたのです」
「ふふ、そうだな。お前の苦労を労うためにもお前を生きて妻の元へ還さないとな」
「私は武人で、あれはその妻です。私が立って帰ってこなければ一人で最後の準備をするように言ってあります」
「その言葉を聞いて、ますますお前を死なせるわけにはいかなくなったな」
「有り難きお言葉。して、人間どもをどう見ましたかな」
「そうだな。まだいろいろと警戒されているのは感じた。再三の援助を断り続けてきたからな。彼らの警戒も当然だろう。だが」
「だが?」
「フィラゾヴィ陛下とコルニ公は信頼できよう。特に公はな。彼は一見、冷徹な人間に見えるが、その下に熱情を持っている御仁だ。
公と我ら力を合わせれば、必ず勝てる。
しかし…」
「何か?」
「いや、何。理性が感情を支配している公のような人をあそこまで乱す婚約者というのが気になってな」
「きっと、美しく気品に溢れたお方だったのでしょうなぁ」
「ああ」
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