守る

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「私はね、幼い頃から君が気に入らなかったんだ」  すみれさんがグラスに牛乳を注ぎながら言った。  ここは幸彦の家で、俺たちはダイニングテーブルの向かい合っている。  幸彦は近所のスーパーに買い物に行っている。二人で行こうとしたら、「いいから勉強してて」と言われたので、留守番をしていた。そうしたら二階からすみれさんが下りてきて、台所からグラスと牛乳パックを持ってきて、俺の前に座ったのだ。 「保育園が一緒で近所だということで、しょっちゅう二人で一緒にあそんでいただろう。あれからして気に入らなかったのだ」  俺は黙ってすみれさんの言い分を聞く。 「そもそも君は軟弱すぎる。何だその容姿は。和風女顔の幸彦より目がぱっちりして、洋風人形みたいな顔も、華奢な手足も気に入らなかった。そんなんでは、いざという時幸彦を守れんだろうが」  すみれさんはぐいとグラスの牛乳を飲んだ。傾けた底から滴が垂れた。 「なのに幸彦は君が大好きときている。もう小学校低学年の頃には完全に夢中だった。私は気が気じゃなかったぞ。君といて幸彦が危険な目に遭うんじゃないかと」  それから俺をじろじろ見て続けた。 「まあ、中学高校で身長はそれなりに伸びたし、体格も多少よくなった。だが、顔は駄目だ。相変わらず可愛いままじゃないか。どちらかが変質者に目をつけられたら、幸彦をおとりに逃げるんじゃないかとずっと心配だったんだ」  すみれさんのグラスが空になった。また牛乳をパックから注いでいる。  俺のターンがきたようだ。 「俺は保育園の頃からずっと親に言われていることがありましてね」 「何だ」 「『親以外の人間と二人きりになってはいけない』」  すみれさんが疑問を覚えたのか、眉根を寄せた。 「よく知らない人についていくなって親が子どもに言いますけどね、あれの最強バージョンです。知らない大人、知らない年上の少年少女、知らない年下の子ども、男女問わず二人きりなってはいけない。なりそうになったら全力で逃げろと言われ続けました。理由、わかりますよね? すみれさんが幸彦を心配したのと同じ理由ですよ。変質者から身を守るためです」  俺は自分の持ってきたペットボトルの水を飲む。 「そんなこと言われて友だちなかなかできませんよ。二人きりにならないって、どこまで厳密になっちゃいけないのか、子どもにはちょっと難しかったです。でも、そんな中でうちの親が幸彦とだけは二人で遊んでいいと言ってくれました。近所だし、お互いの家庭状況もわかって、親同士も知り合ったから。うれしかったです。大事にしなくちゃと思いました」  腿に汗で張り付いたズボンが気持ち悪くて、少し座り直す。 「ある日幸彦が俺に『好き』って言ってくれたんです。うれしくて、その夜親に話しました。そうしたらうちの親なんて言ったと思います?」  すみれさんが首を振った。 「わからん」 「『責任重大だな』そう言ったんです」 「どういう意味だ?」 「『好きだといってくれた子も連れて逃げなきゃいけなくなったぞ』です。『幸彦くんも守れなきゃ、自分を守ったことにならない』って」  すみれさんがまじまじと俺の顔を見た。 「だから俺は幸彦を守ります。パジャマで交番に行った話は聞きましたよね? 親が探していた公園や街中なんてとんでもないです。俺からすれば危険人物だらけです」  また水を飲む。 「自分でもわかってますよ。どうしようもない女々しい顔だって。でも、整形して男っぽくする気は今のところありません。たぶん幸彦だって、そんなことしたいとは思わないでしょう。それにすみれさん、この顔があるから、あんな絵を描こうと思ったんじゃないですか?」  すみれさんが唇をへの字に曲げる。 「否定しませんね」 「美しいし可愛いんだから仕方ないだろう」 「その絵が変質者に流れたら、こっちはたまったもんじゃありませんけどね」 「むむ」  とにかく、と俺は言った。 「俺は俺のできる形で幸彦と自分を守ります。危ない状況には近づかない、とっとと逃げる――これに尽きます。後は二人でいつもいること」 「それは安全なのか? カワイコちゃんが二人になっただけじゃないのか?」 「じゃ、カワイコちゃん二人で逃げますよ。脚だけは俺たちそこそこ速いんで」  すみれさんが両手を挙げた。 「わかった。降参降参。たぶんユキも君を守ろうとするのだろう。それくらいなら確かに突っ走って逃げて欲しいな」 「納得していただけたようで」  すみれさんはほおづえをついて牛乳をちびちび飲みながら「可愛いのも大変だよな、男でも女でも」と言った。 「すみれさんだってそうでしょう?」 「私にはボディガードがいるからな」 「は?」  すみれさんは言い直した。 「大学に恋人がいる。空手部のな」 「そうでしたか。それはどうもごちそうさま」 「とりあえずユキには秘密だぞ」 「どうしてですか」と問うと、らしくなくすみれさんがくねくねした。 「明日驚かせたい」 「はあ?」  この人はいきなり恋人を自宅に予告なく呼ぶ気だよ。  俺はすみれさんの難儀さに改めて、泉家の方々のご武運をお祈りした。 ――守る 了――
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