ベテルギウスの行方

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 無神経に詮索されるのも、訳知り顔で説教されるのも大嫌いだ。  けれど、コータはどちらでもなかった。俺がぶちまけた話などなんでもないという顔で、以前と変わりなく接してくれる。  学校の冬休みが始まり、年の瀬も押し迫った頃、スキー宿は繁忙期を迎えていた。  星のおじさんは、その後もちょくちょく訪れては将棋を指しているらしい。小学四年生だという三男坊が興奮気味に教えてくれた。 「昨日、おじさんにね、二枚落ちで勝ったんだ。去年は六枚落ちでも負けてたのにさ」 「なんだ、それ」 「やだなあ。コータ兄ちゃんは将棋、全然知らないんだから。二枚落ちってのは、飛車と角の二つを抜くこと、六枚落ちってのは、それに金と銀二枚ずつ落とすこと」 「いっぱいハンデもらっても、なかなか勝てないってことだろ」 「そんな言い方ないだろ。おじさん、めちゃくちゃ強いんだよ。コータ兄ちゃんも、覚えればいいじゃん。そしたら、毎日指せるのに」 「やなこった。いちいち、ルール覚えんのが面倒くせえ」 「じゃあ、いっちゃんは指せる? ルール知らなくても、おれが教えてあげる。駒の動かし方さえ覚えれば、すぐに遊べるよ」  無邪気な遊びだ。小学生のまっすぐな視線を感じて、喉がつまる。こんな子どもに当たるほど、ひどい人間にはなりたくない、けど。 「ばーか。こっちは仕事で来てんの。お子様と遊んでる暇なんてないんだよ」 「ひっどーい。父さんに言いつけてやる」 「ああ、どうぞ。ここのバイト内容には、子守りなんて入ってないからな」  コータの捨て台詞を聞くと、小学生は頬をパンパンに膨らませて厨房へむかって駆けていった。 「ちょっと、さすがに大人げないって」 「いいんだよ。ガキ甘やかすことないから」 「なんか、ごめん」 「あ? いっちゃんは、なんも悪くねえだろ。さ、とっとと片づけようぜ」  俺とコータは頼まれていた雑巾掛けを再開した。当たり前のことだが、客が増えると仕事は増える。扱う食器が増え、交換するアメニティの数が増え、エントランスには泥まじりの水たまりができる。  腕が筋肉痛になるまで拭き掃除に精を出していると、受付のほうから人を呼ぶ声がした。 「はい。どうしましたか?」  ちょうど、立ち上がって背を伸ばしていた俺が受付へ走ると、グループ客の一人、学生風の男がまあたらしい紙袋を差し出した。 「これ、そこの植木鉢の影に置いてあって。誰かの忘れものじゃないですか?」 「え、あ、ああ。ありがとうございます。お預かりします」  こげ茶色の紙袋を受け取ると、グループは連れ立って部屋へ戻るところだった。階段を登っていくうしろ姿の男女は楽しそうに声を上げている。 「……リア充」  いつのまにか、横に立っていたコータが、ごく抑えた声でつぶやく。  朗らかなコータは、のんきな学生を見ると、時々こらえきれずに毒を吐く。 「聞こえるぞ、おい」 「聞こえやしないって。その紙袋、星のおじさんのだぞ。駅まで出て、なんとかいう専門書を買ってきたって話してたから。電話してみるか。いま、小屋にいるかなあ」  コータが電話帳をめくっていると、エントランスから白ひげのおじさんが現れた。 「ああ、よかった。いま、連絡するところでした」 「すまないな。やっぱり、ここだったか」  コータが紙袋を渡すと、おじさんは照れくさそうに頭を掻いた。その目が、俺のことをまじまじと見つめる。 「きみは……」  息ができない。なのに、心臓はバクバクと暴れだす。  俺のことなんて、知ってるはずがない。何年か前に一度だけ、将棋専門誌のインタヴューを受けた。三段リーグに上がったばかり、あと一歩でプロになれる。あの時の写真、希望に満ちた眼差しなんて、もうない。  あれきり、いなくなった俺。偉そうなことを言ってプロになれなかった俺のことなんて、知ってるはずがない。 「もしよかったら、時間のある時に、うちの山小屋に来ないか。星が、本当にきれいなんだ」  星のおじさんの澄んだ目に、猛烈に腹が立った。  かまわないでくれ。放っておいてくれ。その場では、拳を握りしめたまま、頷くことしかできなかった。
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