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37.【晴・花火大会翌日1/2】
空腹に耐えかねて目が醒めた――実に色気がないけれど。
棚からぼた餅的に両想いが発覚して、恋人同士になった景久君と俺。初体験を致したのは昨日で、二度目は今朝。抜けきらない疲労に熟睡していたらしい俺が目覚めた今は、障子紙を透かす日光の様子からすると昼前のようだ。
「……」
壁に揺らぐ光をぼんやりと眺めていると、遠くでカチンと音がした。ガラガラ、……タン。そして三和土に靴底が擦れる音と、裸足が板張りの廊下を歩く音……こっちに向かってくる足音。
あれ……?
そこではじめて俺は、自分がひとりでこの部屋にいることに気付いた。
視線を巡らせてうかがうと、スタンと開いたふすまから景久君が入って来た。ちゃんと外出用の服を着て、手にコンビニの袋を提げている。
「景久君」
その姿を見た途端に、はっきりと覚醒した。同時に俺だけが素っ裸で取り残されていることが衝撃で、慌てて身を起こした。景久君が身繕いを整えて出掛けた事にさえ気付けなかったなんて。
「ごめ、今起きる」
「無理するなよ。シャワー行くか?」
「……あ、うん。お借りしていい?」
二回目はそのまま寝てしまったから、身体がごわついている。明るい日差しの中で貧相な身体を見せるのに抵抗を感じて、肌を滑り落ちかけたタオルケットを慌てて巻き付けて隠す。そしてそのまま立ち上がって、浴室へと向かった。
足と腰がだるく、歩くたびに何かが差し込まれたままのような違和感を感じたが、痛みはない。もっと深刻な後遺症を覚悟していたのだけれど、……それだけ景久君が優しくしてくれたということなんだろう。
そう思い当たるとどっと気恥ずかしくなって、俺はシャワーに打たれながら身悶えた。
――ホントに景久君と、しちゃったんだ……。
一回だけじゃなくて二回もしてくれたし、気に入ってもらえたんだよね?
幸せな気分にひたりつつも手早くシャワーを済ませて、脱衣所に置き去りにしていた自分の荷物から服を取り出してきちんと身につける。
「ごめんね、遅くなって」
足早に部屋に戻ると、景久君はベッドからシーツ類を剥いでいた。
「わ、手伝う」
「じゃあ枕カバー取ってくれ」
「うん。――ねえ、今日またおうちに戻るんでしょ? これどうするの?」
「シーツくらいなら、この天気だし乾くだろう。出発は夕方だし」
夕方なんだ。じゃあまだ一緒にいられるのかな?
洗濯機のゴロゴロまわる音を聞きながら、景久君とちゃぶ台を囲んだ。例のレトロな藍染めの座布団がふかふかで、尻に優しい。
「何なら食べられるか分からなかったから、つい買いすぎた」
そう言って景久君が並べたのが――……、そうめん。冷やし中華。カレー。唐揚げ弁当。サンドイッチ。プリンとあんみつとクレープ。色々考えて選んでくれたんだろうなーと思うと、それだけで嬉しい。
「わあ、ありがとう。お腹すごく減ってるから、何でも食べられるよ」
そう言って、お互いにシェアしながら食べる俺たち。でも景久君は甘いものはあまり食べないから、デザートは殆ど俺の口に入ったよ。
洗い上がったシーツを景久君が干しに外に出ている間に、俺はゴミを片付けたりしていた。数日留守にするからね、室内にゴミを残さないようにしなくちゃ。
ってやってるうちに俺の携帯に着信があり、見ればかーちゃんが『お前今日の晩ご飯どーすんの?』って訊いてきてたので『家で食べる』と返信。だから、帰宅時間が決まっちゃった。
「景久君は何時に出るの? 都合が悪くないなら一緒に駅まで行っていい?」
戻ってきた景久君にそう問うと、ぎゅむっと抱き込まれた。
「ぅひ……ッ?」
不意打ちすぎる。吃驚して思わず変な声を上げてしまった。
「まだ薬飲んでない? この部屋すごく晴の匂いがする」
首筋に景久君の吐息を感じてぞくりとする。触れ合った肌の熱にのぼせあがりそうだ。
「誘引フェロモン? すぐ飲むーー」
「飲まないでくれ。出るまで」
「でも」
それを嗅いでいたら、三回目になだれ込んじゃうのではないでしょうか…?
「しないから。しないけど、タイミング的に滅多に嗅げないんだから堪能させてくれ。すごく好きだ、この匂い」
「う、うん…」
ベッドの縁に背中を預けたまま、前から覆いかぶさってくる景久君を受け止める。それはそのうち景久君の胡坐に俺が入り込んで彼の胸に背中を預ける形になった。
「どんな匂いか、俺には全然わかんないけど」
景久君と密着してドキドキしているので、多分かなりのフェロモンが出ていると思われる。
「晴っぽい匂い」
端的に答えて来るけど、ますます分からない。
「発情フェロモンもいい匂いだったが、あれは逼迫させられて焦る。誘引フェロモンはうっとりと居心地がいい」
居心地が良いと言われて、思わず嬉しくなってしまう。
「発情フェロモン、匂いしたの?」
あの時すぐに薬で散らしたし、景久君は冷静だったから、何も匂っていないのだと思っていた。
「した。もうどうしようかと思った」
「どうしようって?」
「――あのまま何処かにさらってむさぼってやろうかと思った」
耳のすぐ後ろでとんでもない事を囁かれて、鼓動が跳ねた。
「な、何言って――!」
あんなに冷静そうだったのに? 実際冷静で的確な振る舞いで俺を助けてくれたのに? 実はそんな事考えてたんだ?
「匂いが強くなった」
景久君が笑いながらすんすんと匂いを嗅ぎ、俺の肩口や首筋に頬をすり寄せてくる。
「だってドキドキしてるから……」
「晴かわいい」
「……それフェロモンで増し増しになってるだけ……」
「匂ってなくてもかわいい」
景久君てば、頬をすり寄せたまま大真面目な口調で言うんだよ。かわいいなんて、そもそも昨日あれの時に言われたのが初めてじゃん?
勿論俺は、しょってるようだけど自分の容姿が優れているのは知っている。でもそれが景久君に通用していたとは思ってもいなかったのだ。
だって、そんな素振りまったくなかったよね?
「……小五の時、お前がバスから飛び出して来た時の姿を今でも覚えている。すごくかわいい子がいるってドキドキした。あと、中三の時――全国の表彰式でお前を追いかけた時。お前の素顔を久々に目の当たりにして、なんてきれいになったんだろうって思った。お前が強かったから素直になれなかっただけで、俺はお前にずっと惹かれていたんだと思う」
「それって……、うぬぼれてるって思わないでね? 景久君も俺に一目惚れしてたみたいに聞こえる……よ?」
呆れられたら嫌だなあと思いつつの指摘だったんだけど、景久君は深く頷いたみたいだった。
「多分そう。というか、今思うと間違いなくそうだったんだと思う。なのにお前に負けて、自分が格好悪くて、それでお前に対してかたくなになったし気持ちをこじらせた、んだと思う」
多分そう、の段階で俺は真っ赤になった。なにそれ。すごく嬉しい……!
「あ、あの、あのさ……!」
「うん?」
「前ちょっと佐那ちゃんから聞いたんだけどさっ。景久君、高野台受けたのって――……」
さすがに俺を追いかけて、とまでは言えなかったんだけど、そしたら景久君、苦笑してた。苦笑しながら俺をさらに抱きすくめ、
「『晴君捕まえに高野台行くんだ』って佐那には言われたなぁ。俺は全然わかってなかったのに、佐那はわかってたんだな」
「じゃあ、本当にそんな感じで――?」
「そう。そんな感じで。晴に『オメガだからもう戦えない』って言われて『同じ部活ならいつでも戦えるじゃないか』と思った」
「……いや俺が言ったの公式戦でってことだよね……」
景久君があまりにも自信満々に答えてくるので、俺は呆れかえってしまう。ホントに景久君と来たら、俺の事しか見てなかったんだな……⁉ 全国とか微塵も頭になかったんだな……⁉
「我ながらストーカーくさい」
「ホントだよ吃驚だよ……」
ていうかなんか景久君、恋愛的な好意を実感する前から、俺に対してものすごく執着してた感じじゃんそれって。本人が口にする以上に、実は俺に興味や執着があったりするのでは? ってのは調子に乗りすぎかなあ。
「引かないでくれ晴。嫌われたらかなしい」
「――……ッ、正直ドン引きだと思うけど引かないから……っ」
しょんぼりとくっついてくる景久君がかわいい。格好いいと思うばかりだった景久君にかわいいって感じるのも不思議だけど、今、離れられるのが怖いみたいな雰囲気で俺のこと抱きしめてくる景久君ってば、おさな気でかわいい。
「俺も景久君の事大好きだもん。……俺だって色々しでかしたし……偽装で恋人とか、ホントよく嫌われなかったなってレベル……」
過去の己の馬鹿げた所業を思い出し、こっちこそ遠い目をしてしまう。
「俺はむしろ、なんでそういう機会に自分の気持ちに気付かなかったんだって思うけどな」
自分自身に呆れかえった口調の景久君は俺を抱きしめたまま、うしろからくいっと顎をすくい上げてくる。そしてちゅっと唇をついばまれて。その次には、離れていく唇を俺から追いかけてキスを重ねた。
「景久君だいすき」
「俺も、晴が好きだ」
そんな感じで、下宿を出るまで俺たちはいちゃいちゃしてた。
本当はこういう事って致す前にするもんなんじゃないかなあって思うけど、まあ、がっついちゃったのも、こじらせまくった俺たちらしいじゃんね。
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