01.【 晴/はじまり1/3 】

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01.【 晴/はじまり1/3 】

「晴……、仁科晴(にしなはる)ッ。お前、高校でも剣道するんだよな? 次も絶対に全国に来いよ。そしたら今度こそ、俺が勝つ!」 「高校でも剣道はする予定だけど――でもごめん。俺オメガだからさ、アルファっぽい景久君とは、多分もう戦えないよ」 「……⁉」 「ばいばい景久君。対戦、楽しかったよ。今までありがとうね!」   ――現在中学三年生の俺、仁科晴が、榊景久(さかきかげひさ)と初めて会ったのは、小学五年生の夏休みのことだった――  幼稚園の頃から通っている舟木剣道場では、夏休みの子供向け教室として、隣の県にある榊剣道場での泊まりがけの合同稽古を毎年開催していた。参加資格は、小学校五年生・六年生であること。 「本当にひとりで大丈夫か? 無理だったら止めていいんだぞ」 「無理なんかしてないひとりで行ける~。もー、かーちゃん心配しすぎぃ」  無理どころか、俺はすごく合宿を楽しみにしているのに。けど初めて俺ひとりを外泊させる母――生んだ方が〝母〟だから母って呼んでるけど、実際は男だよ。オメガなんだ――は、気が揉めて仕方がなかったらしい。  母が舟木剣道場の駐車場に車を停めるや否や、俺はぱっと外に飛び出した。 「晴ッ!」  慌てた母の声が飛んでくる頃には、駐車場を横切り終えて、道場の玄関に走り込んでいた。そこで止まって母を振り返れば、母はひどく怖い顔で俺を睨みながら車から荷物を降ろしていた。 「ほら、リュック。水筒。バッグ。これみんな晴の荷物だろうが」  つかつかと歩みよって来て荷物を押しつけてくる母。俺は無言でリュックを背負い、水筒を肩に掛けると、バッグを手に持った。  合宿は四日間あるので、荷物もそれなりに多い。加えて、防具と竹刀がかさばるし。俺の防具と竹刀を持ったまま母は、道場の前に付けられているマイクロバスへと寄っていった。その前にはすでに参加者と保護者が集まっていて、主催の師範や師範代が忙しなく挨拶を繰り返している。母もそこに加わって、俺のことを頼み込んで深く頭を下げていた。  俺は師範達に適当な挨拶をして小学生の輪に加わる。 「晴~!」  真っ先に声を掛けてくれたのは、竹井翔也だ。同じ学校のクラスメートでもある。 「翔也おはよー!」 「おはよ。ちゃんと起きれたの晴は~?」 「起きれたよう! 楽しみすぎて自分で勝手に起きた!」 「めずらしい~」  大人達の手によってマイクロバスに剣道具が積み込まれ、五年生が四人、六年生が三人の子ども達は我先にとバスに乗り込む。窓から見れば母が心配そうな顔をしていたので、手を振りながら変顔を繰り返して、ついには笑わせてやる。そうするうちにバスは動き始め、とうとう合宿へと出発したのだった。  行き先は榊剣道場といい、舟木の先生達とは親戚に当たる道場らしい。県境を越えたすぐの山の麓にあって、自由時間には山で虫取りをしたり川で泳いだりしてもいいのだとか。  俺は勿論そういうのも楽しみにしていたが――本当の目的は別にあった。 『榊道場の景久君はね、晴ちゃんと同じくらい強いよ』  と、師範が教えてくれたのだ。  俺は今小五だけど、小六には俺より強い子はいない。下手したら中学生にだって勝ててしまう――剣道はとても楽しいけれど、同じレベルの友達が居ないって点では退屈していた。だから師範の言う『晴ちゃんと同じくらい強い景久君』と戦うのを、とても楽しみにしていたのだ。  バスは市街地を抜けて山道へと分け入り、ゆらゆら揺れるくねったカーブを幾つも通り抜けた。一時間以上走ったろうか、まばらな林ごしに田畑や家屋が見え始めるも、そこまで行き着かずにバスは停止した。 「うわぁ~……」  バスの窓から見えるのは緑、緑である。父の両親と同居で母の実家はその隣という環境で育った、所謂『田舎』というものを持たない俺は、間近で見る緑の濃さに歓声を上げた。  森を切り開いた山裾に、榊道場はあった。都会で門下生も多い舟木剣道場に比べると小さくて古いけれど、なにやら頑丈そうで風格のありそうな年季の入った建物だった。道場周りは舗装され、駐車場として整備されている。  止まったバスから子ども達がぴょんぴょん跳ね降りると、引き戸の開いていた道場から、同じように飛び出してくる影があった。道着を着込んだ小学生が数人と、中学生や高校生っぽい姿もある。  ――その中に、ひときわ目立つ子がいた。  なんの確信もないのに、俺はその子が景久君なのだと思った。  その子はとても背が高くて、俺の三歳年上の兄と同じくらいに大きく見える。しゃんと伸びた背筋はいかにも剣道をしている子っぽい。陽に焼けた肌と真っ黒で短い髪と瞳をして、目が勝気そうにきらめいていた。  その目と身長だけでも印象的なのに、顔立ちもとても整っていた。子どもながらに男らしい、清廉で涼やかな容貌をしていた。 (すっごく格好良い子だなあ)  あまりにもきれいな顔立ちから、目が離せない。吸い寄せられるような気さえしつつ彼を見つめていると、彼も俺に目を留めた。  俺の脇を通り過ぎた師範が、歩きながら手を挙げる。 「久しぶり、景久君」  俺たち二人が見つめ合っていたのは、一秒にも満たなかったろう。彼はその声に反応し、ぺこりと頭を下げた。 「お久しぶりです、伯父さん」  やっぱり俺の思った通り、彼が景久君だったらしい。ってことは、あの身長で俺と同じ年――小五なのかあ。自分がちっさい自覚はあるけど、彼は彼で平均以上に大きすぎるよね? 俺たちの身長、10センチ以上違いそう……。 「今年は女の子もいるんですね。珍しい」  え? 誰のこと。舟木の門下生に女子はいるけれど、合宿には誰も参加していないはずだ。 「ああ……、あの子は女の子じゃないよ」  景久君の言葉に笑った師範は、こちらを振り向くと俺を手招く。 「おいで、晴君」  俺?  呼ばれてとととっと駆け寄ると、師範は俺の肩に手を置いて、景久君の前へと押し出した。 「この子は仁科晴君。ほら、話しただろう? 景久君よりも強い子が居るって――晴君、こっちが榊景久。晴君にも話したことがあったよね」  そんな風に引き合わされた俺たちは、再び見つめ合った。  先程とは違い、景久君の目には驚愕の光が浮かんでいる。何をそんなに驚いているのか分からないまま、俺は彼に笑いかけた。 「晴だよ。よろしくね! 景久君と戦うの、楽しみ!」  舟木のバスを出迎えに出てきた榊道場の子たちは、中学生も小学校の低学年も混じっていた。榊の子達は通いで普通どおりの稽古という形式になるので、合同稽古への参加に制限は設けていないからのようだ。  舟木の子も榊の子も入り乱れて荷物を運んだり、まずは昼食だということで広間で配膳をしたりしたのだけれど、景久君はさすが道場の息子なのか手慣れていた。困っていたら察して教えてくれるし、指示の出し方も的確だ。  昼食の席で、俺は翔也と隣り合って座った。そしたらそこへ景久君がやって来て、俺の隣に座ったんだ。  俺は少し驚いたけど、にこっと笑いかけてみる。  すると景久君は、驚いたように息を呑んだ。 「――お前、本当に強いのか?」 「え? 剣道?」  俺ちっさいし、ヘラヘラしてるから信じられないのかな? でもそんなの、実際にやりあわなきゃ分かんないじゃん?  困って首を傾げていると、翔也が口を挟んだ。 「晴は強いよ。中学生にだって勝てるもの」  今度は景久君が首を傾げた。 「晴のお父さんも伯父さんも高校のアルファ個人戦全国二連覇だし、お母さんだって中学の全国三位なんだよ」  その景久君に重ねて言い募る翔也。 「翔也良く知ってるね~? かーちゃんが中学三位とか、俺知らなかったんだけど」 「だって師範が良く言ってるもの」  ああ。なんせウチは伯父さんから始まり、その弟に当たる母、母の幼馴染みの父、って順番に舟木道場に通い始めて。アルファだった父とオメガだった母が結婚してからも、その子どもの俺たち三兄弟、伯父の子ども二人も通っているし。馴染み深い高齢の師範達からしたら、父母世代は子供で俺たちは孫みたいな扱いなのだ。 「へえ。じゃあ、楽しみにしてる」  景久君がそう言った。俺も彼との対戦が楽しみだったので、そう言われてすっかり嬉しくなってしまった。楽しみ同士だ、さらに楽しくなるぞ~! 「うん! 楽しみだねっ」  緩む頬のまま笑いかけたら、景久君はうさんくさそうに俺を見返した。う、やっぱ信用されてない。自分でも結構強いと思うんだけどなあ~……小さいせいで信用されないのかな。
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