33.【晴/全国大会3/3】

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33.【晴/全国大会3/3】

「謝んないでよ! ――だって、だって景久君悪くないじゃん⁉ 触られただけで発情期早まっちゃうくらいに、俺が勝手に好きなだけだ! 景久君が俺の事好きじゃないのは景久君のせいじゃないんだから、謝んないでよ‼」  発情期のせいで俺の目ゆるんじゃってるみたい。またしても涙がぼろぼろこぼれて止まらない。  滲んだ視界の中で景久君が端正な顔を歪ませる。そんな顔も普通に絵になるなんてホント、格好よすぎ。俺なんてきっと目の周り腫れて不細工――。  そう思いながらやけくそ気味に手の甲で目をこすりあげた時、どん、と衝撃が走った。 「え……?」  だ、抱きしめられた――?  ばちばち瞬いて涙を散らして開いた視界は、景久君の着ているシャツの色一色。ちょっとだけ視線を上にずらせば、ようやく天井が見える。 「ちょ――!」 「違う……! 俺も好きなんだ晴の事。大事な大会直前にこんな事になるなら、もっと早くに言えば良かった……!」  抱きしめられたまま耳元で告げられた言葉に、今度こそ俺は絶句した。  なんて? なんだって……⁉  ――景久君が俺を好き……?  そんな馬鹿な。 「あ」  景久君の言葉を咀嚼しきれないうちに、景久君の方が我に返ったみたいだ。 「済まん。発情が酷くなってしまうか……?」  彼はぱっと腕を離すと、俺を解放した。 「……ううん。薬飲んで落ち着いてるから、多分平気だと。いつもより強い薬出してもらってるし」  反射的に答えた俺は、ふっと力が抜けるのを感じてその場にへたり込んだ。……どういう事だ。 「――でも景久君……俺の事そんな風に見れないって……」  そう言って俺は振られたのだ。  疑問を籠めて見上げると、景久君は次の瞬間土下座めいた体勢でしゃがみ込み、床に両手を付いて深く頭を下げた。 「あんなの何も分かっていなかった馬鹿のたわごとだ――本当にごめん。俺が鈍感なせいで、晴のことをとても傷つけた。自分で気付いていなかっただけで、本当は俺は、出会った時からずっと晴の事が好きだったんだ」  驚きすぎて言葉も出ない。 「と言っても自分で気づけた訳じゃなくて、佐那や松山や立花先輩が気づかせてくれたんだけどな……。みんな、俺は晴の事好きに違いないって言うのに、俺本人だけ気づいていなくて、晴にはつらい思いをさせてしまった。本当にごめんな」  景久君が俺に謝ってる……。 「……」  これは夢かと瞬きを繰り返す俺に、顔を上げた景久君はもう一度、 「俺は晴が好きだ」  と言った。 「――――俺も景久君が好き――え、……俺たち、両想い、なの……?」  あまりの事に呆然として呟くと、景久君がこくんと頷いた。 「お前が全国行く理由を教えてくれた日に、お前が好きなんだって気付いたんだ」  それって結構前じゃん。郡市すら始まる前じゃん。 「……なんで言ってくれなかったの……?」 「全国が終わったら言おうと思ってたんだ。俺たちの関係は安定していたから、かき乱すのは良くないと思ったんだ――だけど、こんなことになるなら早めに言っていた方が良かったんだな……」 「安定してないよ! ……景久君が妙に過保護になったのはそのせいなの? それで俺は結構悩んだのに! 友達なのに本当にいいのかな? っておどおどしてたのに!」  一度ひっこんだ涙がまたあふれてくる。もう今日、駄目だぁ……。 「両想いだって分かってて安心してたの、景久君だけじゃん……俺はずっと、……ずっと不安だった!」  景久君に好かれていた嬉しさよりも、おいてけぼりにされていた口惜しさの方が勝って、俺は拳を握りしめる。 「晴、ごめん――本当にそうだ。ごめんな」 「鈍感! かんがえなし! ばか!」  握りしめた拳の行く先がなく振り上げたままふるわせていると、景久君が叩かれにやって来た――ので、それなりに容赦なく胸をドンドン叩いてやる。 「明日の大会……ッ、大会出れなかったらどうしよう……ッ!」  頑丈なアルファ様は俺の非力な拳くらいじゃびくともしないわけで――ついには俺は振り上げた拳を解いて、その手で景久君の胸にすがりついていた。 「ごめんな。本当にごめんな」  頭上から景久君の悲痛な声が響く。  俺はすんと鼻を鳴らし、涙でぐしゃぐしゃの顔を胸にすりつけてやった。そして胸元を掴む手の力を緩めずに、彼の身体に更にすがりつく。  怒って泣いているのに、それでも温かいと感じる胸だ。  ――こういう事をしても、いいのかな……?  今まで景久君の方から掴んで来たり抱きしめて来たりはあっても、俺からっていうのはなかった。それは勿論、友達の域を越えないように俺が意識していたからなんだけど――すがりついた俺を迎え入れるように、景久君が抱き寄せてくれる。背に添えられた大きな手が温かくて、俺はまたしても泣けてきた。  ――いいんだ。  こういう振る舞いが許されるのだと分かるとたまらなくなって、俺は胸にすがりついていた手を伸ばして、景久君の背に回す。そうしたらお互いに抱きしめ合う形になるじゃん。それでやっと落ち着いた。 「ごめんな、晴」  今までに聞いた事のなかったような優しい口調で謝られて、頭を撫でられて、暖かいものがじわじわと胸に満ちてくる。  何その甘い声。  本当に、本当に俺の事が好きなの――? 「うん……、うん。いいよ……仕方ないよ……」  実の所もう少し恨み言でなじってやりたい気持ちもあったけど、そんなのみんな溶かされちゃうくらいに優しい丁寧な手つきで俺の髪を梳いてくるんだもの。とげとげつんつんしようたって、無理だよ。  とても好きな人のぬくもりに包まれて、俺はうっとりと蕩けそうだった。すごく安心していたと思う。オメガ科の先生の言っていた『恋人同士になって安心させてもらったら安定する』ってこういう事なのかな。  抱き合う体勢はいつしか俺が景久君の膝に乗り上げる感じになって……、気付いたら少し上を向かされて、キス、されてました。唇が触れ合う程度の軽いやつだったんだけど、二回くらいしたように思う。  でもその後すぐに、景久君は俺を床に降ろしてしまった。  多分、彼の下半身が変化しちゃってるのに俺が気付いたからだ。 「悪い。帰る」  顔を真っ赤にした彼は、床にプリンを放置したまま唐突に部屋を出て行ってしまった。  パタンとドアが閉まる音を呆然と聞きながら、床にへたり込んだままの俺――勿論俺だって真っ赤だよ。  だって、だってあの景久君が――!  ――景久君、俺でちゃんと勃つんだ……!  彼の気持ちには歓喜したけれど、その事には安堵した。すごくほっとした。滅茶苦茶気恥ずかしいけど、良かったっていう思いの方が勝った。  だって、『お前の事は好きだけど性的には興奮出来ない』とか言われちゃったら悲惨じゃん。ああ、本当に良かった。  そうやって安心したからか胸の奥から幸福感がじわじわと沸いてきて、ひとりだからまあ良いかと、盛大に頬を緩ませっぱなしにした。  あの景久君が、ずっと好きだった景久君が、俺の事を好き。  景久君が俺を好いてくれている。  うわあ、なんて幸せな。  俺はしばらくひとりでにへへうふふと笑っていたが、やがて立ち上がった。床に落ちたままのプリンの袋を拾いあげると、自分の部屋のドアの廊下側ノブに掛けておく。そして景久君にメッセージを打ち込んでおいた。  そしてベッドに座って、自分のプリンを食べる。形が崩れてクリームも溶けていたけれど、十分美味しかった。  そしたらしばらくしてから返事が来て。ノブを確認してみると、プリンが消えた変わりにキンキンに冷えた保冷剤の入った袋が掛かっていた。  それで自分の惨状にはっと気付く。  目を冷やさないと! 明日腫れて大変な事になってしまう。  そして朝は早めに起きて抑制剤を飲んで、体調を観察しよう。今の感じだとすごく効いてる――なにせ景久君にキスされても勃たないくらいに抑制されてる――のに、体調に不快さを感じないのでいけるような気もする……んだけど、幸福感にぶっとんでるだけかも知れないから、注意しないとね。
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