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38.【晴・花火大会翌日2/2】
下宿を出たのは夕方だった。
来た時は夜だったから見とがめられずに済んだけど、帰りは師範の誰かに見つかっちゃうかなあって心配してたら、下宿のすぐ裏に通用門があった。普段景久君はこっちを使っているそうな。
歩き出すとすぐに景久君が手を繋いで来たので、俺はその手をぎゅっと握り返す。花火の夜も手を繋げて嬉しかったけど、あれは段々、人混みではぐれないための命綱みたいになっていったから……ゆっくり手を繋げるのは嬉しい。
「晴の家まで送っていく」
景久君が前触れもなく言い出したので驚いた。
「え。いいよ。駅から家まで結構距離があって、自転車だし」
「自転車漕いで大丈夫なのか?」
「大丈夫だよー。そんなにヤワじゃないです-」
「けど、」
「そんなことしてたら景久君が帰るのがどんどん遅れちゃうじゃん」
景久君の姿を家族に見られたら、付き合いだした事や昨日嘘ついてお泊まりデートした事もばれるし。……それはさすがに恥ずかしすぎて遠慮したい。
「大丈夫だから。ね?」
結局有無を言わさぬ笑顔で押し切った。
「……分かった。気をつけろよ」
「うん! ありがと」
駅に着いて。俺は景久君が高校に行くのに使う路線で家に帰る。景久君は実家に帰るので路線どころか鉄道会社も違い、改札からして別々だ。
まず出発時間の迫っている景久君を見送ることにした俺。
「じゃあ、また、新学期に」
「元気でね。メッセいれるね」
改札を通った景久君と、改札脇の間仕切りの所でお別れの挨拶である。離れがたい。
新学期って何日後だよ。待ち遠しいなぁ……。
「じゃ」
「うん」
お互いに手を挙げて、景久君が間仕切りから身をひるがえす。
それに笑顔で手を振り続ける俺――。
――と、その時。
「あれ、晴じゃん」
と言う声と共に、がしっと首の前に腕を掛けて後ろに引き寄せられた。
「ぐむ……ッ」
この馬鹿。勢いが強いんだよ……!
その声とやらかす事だけで、顔を見ずとも誰か分かる。俺は背後の人物の腹に肘鉄を打ち込むと、腕の力がゆるんだ隙に距離を取った。
「晴ッ」
多分景久君はこの一部始終を見ていて、俺を心配したのだろう。間仕切りまで駆け戻って来てくれた。
「景久君、電車の時間大丈夫?」
「そんなのよりお前、変な奴に絡まれて――……」
その変な奴は俺の肘鉄が意外と効いたのか、前のめりになりながら腹を押さえている。
俺は腕を組んで、そいつを睨み付けた。
「いーのいーの。あれクソ兄貴だから」
「……くそあにき……?」
驚いたのか、片言のように復唱する景久君。俺の兄・巧は、腹を押さえながらも背を伸ばし、こちらに手を振ってきた。俺はもちろんガン無視したが、景久君は戸惑いつつも手を挙げ、ぺこりと頭を下げた。
「晴、お兄さんも居たのか……?」
「あれ? 言ったことなかったっけ? 俺三人兄弟の末っ子なんだ」
「てっきり姉と弟の二人なのかと」
「どーも。晴の兄の巧です」
挨拶しながらやって来るクソ兄貴。俺と兄貴、それぞれ母親似と父親似だから、全然似てないんだよ。でも景久君は俺の父と顔見知りなので、兄貴を見て合点が行ったようだ。
「あ。晴の、」
景久君はそこで俺をちらっと見てきたので、俺は眉を寄せる。
「……友人の榊です」
「景久君、電車行っちゃうよ。新学期にね、またね~!」
追っ払うような勢いになっちゃったけど、時間が迫っているのは本当。これを逃したら三十分待ちになってしまう。景久君も時計を見てぎょっとしたらしく、「お兄さんすみません」と謝りながら階段へと駆けて行った。
俺は手を振ってその背を見送るが――……。
「なんか俺、邪魔しちゃった?」
本人の申告通り邪魔な奴も、チャラそうな雰囲気で手を振りながら、景久君を見送っている。
「別にぃ」
「晴も今から帰んのか?」
「兄貴も? もしかしてバイクで来た?」
そう訊くと、兄はあからさまに嫌そうな顔をした。
へへへ、自転車はまた今度母に手伝ってもらって回収しようっと。
「声掛けるんじゃなかった」
「ホントだよねぇ」
溜め息を付きながら歩き出す兄に、俺は付いて行くことにした。
兄は駅の裏側に続く出口を抜け、階段を降りたすぐそばの店舗へと近づく。その店は昔は父方の祖父がレストランを経営していた場所なのだが、今はケーキ屋さんに貸し出している。そのケーキ屋さんの裏側の駐車場に、兄は大型バイクを停めていた。
バイクいじりはそもそも祖父の趣味でもあるので、祖父の援助を受けて派手なバイクだ。つまりはチョッパーカスタムやりまくり。まあ俺も慣らされちゃってバイクってこんなもんだろって思っちゃうけど、実際は違うような気がする。
「ほれ」
駐車場脇の倉庫から、予備のヘルメットを投げてくる兄。
「あ。これも着ろ」
そしてメッシュジャケット。
「あれー……?」
袖を通してみて驚いた。兄の予備かと思ったら、意外とサイズが合ってしまう。
「おやおや兄貴。これ着せて後ろに乗せるひとが出来たんですかぁ?」
ニヤニヤ笑ってつついてやれば、兄はうっすらと頬を染めた。
「うるさいぞ晴」
「だぁってえ。へー、ねーちゃんに教えてやろ」
「面倒だからあいつには黙ってろ」
「やだ。言う」
「じゃあ俺もかーちゃん達に『晴に彼氏が出来た』って言うからな」
「駄目!」
言い合いをした後は、二人でそっぽ向き合ってジャケットを着込む。
「にーちゃん」
「なんだよ」
「袖のボタン硬い」
嵌め込むタイプのボタンが硬くて、片手じゃ押し込みきれない。
「あー……」
心当たりがあったのか、兄が手を伸ばしてきた。
アルファな兄でも硬いのか、カチンと滑るボタンを何度か位置合わせして、やっと嵌め込む。
「なあ晴」
「ん?」
「あの子、榊景久君? とーちゃんに剣道習ってる子だろ?」
「……そーだけど」
なんで知ってるのさ。うちの家族みんな、何気に俺の情報に精通しすぎだろ。
「だったらお前はちゃんと、かーちゃんととーちゃんに『景久君と付き合ってます』って報告したほうが、あの子の為にもいーんじゃねぇの?」
「……」
「印象悪くしたら可哀想じゃない?」
「…………景久君と相談してみる」
「何? あっちが言うなっつってんの?」
途端に獰猛な雰囲気を見せた兄に、俺は慌てて首を振った。
「違うよ景久君はそんなこと言わない! 俺が恥ずかしいだけ……! だって恥ずかしいじゃんかーちゃん達に言うの!」
それ以上の理由はない!
「いや、分かるけどさぁ……」
「でもにーちゃんの忠告は検討しますありがとう!」
俺は早口で言い切るとヘルメットをぼすっと被った。
もう何にも喋らないからな! という意思を受け取ったのか、兄は呆れたように笑ってバイクにまたがった。
「じゃ、出すからな。しっかり掴まってろよ」
「うん」
兄の腰に腕を回し、遠慮なく抱きつく。やがてバイクは独特のエンジン音を響かせて走り出し、俺は流れていく街明かりを眺めながら物思いにふけっていた。
結局言い出す切っ掛けをいまいち見いだせないまま九月になり、土曜日を迎えてしまった。
父や母に遅れること一時間程度。舟木道場に稽古に訪れた俺は、そこで景久君に、
「お前のお父さんとお母さんに『晴君と交際しはじめました』って挨拶したから」
って言われて顎を落っことしそうになったのだった。
「え、え?」
そもそも全国も終わったので、父との稽古は休憩中だ。普通にしていれば景久君が俺の両親と出会うタイミングはないはずなので、わざわざ彼の方から会いに行ったということになる。
「お前は知られたくないみたいだったのに、独断専行で済まないな。だが、お互い顔見知りで今後も話す機会があるのに、挨拶もなしなのは誠意がないと思って」
誠意という言葉にドキッとする。
それって景久君、俺との付き合いをかなり真面目に考えてくれてるんだよね。でないと出てこない言葉じゃないかな――そう思い当たると、思わず顔がほころんだ。
「そっかあ、ありがとう。じゃあ俺も、家に帰ったらちゃんと報告してみるね――むしろ俺が言い出せなくてごめんなさい」
道場の隅っこで喋ってるからキス出来ないんだけど、感謝と思いを込めてキスしたいような気分だった。
うん、と頷いた景久君は袴に隠すようにして、そっと手を触れ合わせて来たのだった。
(おわり/花火大会翌日)
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