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39.【照/花火大会翌日・裏】
※照=前作「えびたい!」の主人公。晴の母親の男オメガ。つがいの平(晴の父親のアルファ。一歳下)とは幼馴染みで、十三歳で平につがい契約を申し込まれ、十六歳で頷いた。
重低音を響かせるバイクが我が家の車庫に戻ったと思ったら、家に飛び込んで来たのは晴だった。
「お帰り」
平と並んで夕飯の支度をしていた俺は、カウンター越しに声を掛ける。
「ただいまぁ」
晴は昨日の夕方から花火を見に行くと言って出たままだったので、丸一日ぶりだ。少しくたびれた顔をしているのは、はしゃぎすぎたせいなのか。
「花火どうだった? 翔也君と沢山遊べたか~?」
「うん。楽しかったよ」
飲みさしのペットボトルを流しに置きに来た晴は、平のかき混ぜている鍋を覗き込んでにへっと笑った後、
「ねー、自転車駅に置き去りにしたから今度駅まで乗せてってね」
と俺に言ってリビングを出て行こうとする。
「いいけど。巧は?」
「そのままバイクいじってたよ。まだ時間ある? シャワーしていい?」
「うん。あるぞ」
晴が出て行き、足音が階段を登りはじめる。
「――晴、翔也君ん家に泊まったんだよね……?」
キッチンに向き直るなり、隣の平が低い声を出したので驚いた。
「んあ? そう言ってたけど?」
毎年とは言わないが、小学生の頃から良くあるパターンだ。
「……」
「どうかしたのか?」
「……いや、それにしてはなんか……。巧の匂いでかき消されてるけど、景久君の匂いがする気がする」
は? 匂い? ああ、平や環がやたらと気にする〝マーキング〟な。オメガの俺と晴には分からない匂いだ。俺は教えられてその存在を知っているが、晴は環の意向で隠されている為、知らないままでいる。
「翔也君と二人っきりだったかどうかは分かんないだろ。実際、駅に自転車置いてきたって言ってるから、今日は街まで出て景久君やまっつん君も交えて遊んだのかも知れないしさ」
翔也君とまっつん君は付き合っているらしいので、2+1を嫌って2+2にするのはあり得る話だと思う――もちろん、平が何を疑い気にしているかには俺だって気付いていたが、素知らぬふりで押し切った。
そしてやがてシャワーを終えて汗と匂いをすっかり洗い落とした晴が、
「ねー、お腹減ったー!」
と駆け下りてくる。いつも通りの朗らかで幼い笑顔、そして消えてしまった証拠(匂い)と来ては、平もそれ以上こだわれなかったのだろう。
「早く食べたいから手伝う。何すればいい~?」
普段と同じ天真爛漫な晴に笑顔を引き出されて、平は普段通りの落ち着きを取り戻して行った。
その平の落ち着きを再び揺るがす事件が起こったのは、九月最初の土曜日だった。
夏休みの間は子ども教室はお休みになる為、俺にとっても久々の師範の仕事である。いつも通りに平に送ってもらって舟木剣道場の駐車場に降り立った俺は、道場入り口に立つ道着姿の景久君を認めた。
「おい、平」
平と景久君は仮の師弟みたいなもんである。全国大会を終えた挨拶かな、と俺は思った。ところが平は一瞬表情をなくした後、厳しい顔をして駐車場に降り立ち、景久君の待つ道場入り口へと向かったのである。
防具を背負い竹刀を肩に、その後を追う俺。
なんだろうね。平の広い背中にただよう緊迫感は。
迎える景久君も緊張した面持ちで、平と俺に向かって折り目正しい礼をしてみせた。この子は道場の息子だからか、そういう所が行き届いている。
「おはようございます」
「おはよう」
生徒さんが来るにはまだ早い時刻とあって、駐車場には我が家の車しかない。道場の玄関は開いているが、これも師範の奥様が開けてくれただけで、受付などはまだ無人のはずだ。
景久君もそうした事情は弁えているのだろう。
俺と平が横並びに立つや否や、
「先日から晴君とお付き合いをはじめました」
と彼は言って、再び頭を下げたのである。
その時俺が咄嗟に思ったのは『晴良かったな!』じゃなくて、『平どうするのかな?』だったのだけれど、横目で様子をうかがってみるも、平は何も言わない。厳しい表情のまま黙りこくっているだけなのだ。
思わず俺はその背中をどむっとどついた。
「!」
俺の渾身の張り手はさすがに痛かろう。すくみあがった平を脇に押しやって、俺は景久君に声を掛ける。
「あー、そうなんだ。晴、景久君のことずっと好きみたいだったから良かったよ。仲良くしてやってくれると嬉しいな」
なるべく軽やかさを心がけて優しく言い切ると、景久君の肩からこわばりが抜けた。
「ありがとうございます。こちらこそ宜しくお願いします」
彼はもう一度深々と頭を下げると、意外と柔らかなはにかみ笑顔を見せて道場の中へ去って行った。
あは、あの子あんな顔も出来たんだな。いつも真面目で無表情なのに。晴がああいう顔をさせているんだと思うと、結構気分が良いじゃないか。
「…………おい、息してるか」
景久君が去ってしばらくしてから平に声を掛けてみる。
「――手形残っちゃうよきっと」
「痛かったか。悪いな」
息を吹き返した平を連れて、俺は車へと逆戻りする。
後部座席に押し込んで俺もその隣に座り、荷物から水筒を出して飲ませてやる。それでやっとひと心地つくことが出来たのか、平はふうっと深い息を吐いた。
「……まあ、そういう話だろうとは思ったけど、実際に言われると堪えるもんだね」
正直俺にはめでたい話だとしか思えなかったが、男親の――俺だって男だけど分類的には母親だし、子どもとの関わりもやっぱり母親の立ち位置だと思う――立場としてはまた違った感慨があるのだろう。
「仕方ないよね。晴、景久君の事好きだもんね」
自分に言い聞かせるように平が言う。
「なんせ小学生の頃から片想いしてたしなぁ。あの子の為だろ? あのアルファ会開いたのだって」
晴は俺たち親には何にも言わないけどな。目線が何処を向いてるかなんてバレバレだっつーの。
「だよね。……まあ俺のかわいい晴にあそこまで想われてるのに応えない方が癪に障る――そういう事にしとこう」
「んだんだ。景久君はうちの晴の良さが分かる好青年ってこった」
そう。うちの大切な子を好きになってくれた、奇跡のような子なのである。丁重に扱わねばならん。それは景久君だけでなく、環の恋人の総君や、巧の恋人に対してもそうだ。
「――……なんか今になって、俺がてるちゃんにつがいになってって言い出した時の、てるちゃんのお父さんの気持ちが分かるなあ……」
「お前、なんつー古い話を」
「だって。あの時俺自分の事すごくしっかりしてる、絶対てるちゃんを守れる大丈夫、って思ってたけど、所詮十二の子どもだよ? あの時の俺と同じ事を景久君が言い出したとしても、到底聞けない。無理だよ」
「そりゃあ、お前と景久君とじゃあ付き合いの長さの重みも違うしさあ……」
景久君だってつがいの事なんてまさかまだ考えてもいないだろうし、それは晴にしても同じだろう。景久君と付き合いだしたことさえ自分ではっきり言えない晴には、将来の展望なんて全く思い描けていないんじゃないかな?
「うう。俺これからもますますてるちゃんのお父さんのこと労るね。尊敬するよぉ……」
あー、はいはい。
俺は平の肩をとんとんと叩き続けた。落ち着けよホントに。
環の時は総君自体が昔からの顔なじみだったし、環が総君をリードしてるのがありありと見えていたし、環は数回総君を振っていたしで、くっついたって聞いた時にはむしろほっとしてたのにな。
晴に彼氏が出来たってだけでこれじゃあ、つがいになるとか結婚するとか家を出るってなったらどうなるんだか。
「――じゃ、帰る」
俺が肩を叩いていたはずが何故か抱きしめられ、背中にくっつかれていたんだが。やがて気を持ち直したのか、平は自分からそう言い出した。
「大丈夫か? なんだったら道場で休んでいけば?」
「いや、洗濯物が俺を待ってる。ベーコンの燻製仕上げて明日はカルボナーラだ!」
ああ……、そういや仕込んどいた豚肉を、昨日の夜からうきうきしながら乾燥させてたな……。
「晴と顔合わせても普段通りにしてやってくれよ」
「うん。それはね。色々言われるのが恥ずかしくて黙ってるんだろうし。多感なお年頃だよね」
「だな。じゃ、洗濯物干すのよろしく~」
俺が出ると、車は案外軽快に走り去っていった。
そしてその日の夜に晴本人からも『景久君と付き合ってます』報告を受け――本人から言われる威力は桁違いだったのか、平はまたしてもぐらついたんだけど、どうにか持ち直して『おめでとう』って言ってやっていた。
俺は俺で、お付き合いするに当たっての注意――みたいなのを一応伝えてみたけれど、照れるなぁこれは。晴も真っ赤になっていたけれど、まあ、必要なので仕方がない。
孫の顔は、祝福できる状況で見たいものだから。
(おわり/花火大会翌日・裏)
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