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40.【景久/三回目1/2】
新学期初日となる九月一日の朝。
「景久君!」
いつも通りの時間に大体の定位置に自転車を停めた俺は、不意の呼びかけに振り向いた。
「晴」
「おっはよう~!」
自転車置き場の影から顔を覗かせた晴が、まぶしい笑顔で笑っている。
花火大会の翌夕、駅で別れて以来の晴だ。俺は実家に帰省して数日を過ごし、その間メッセージのやり取りはしていたものの、声も聞いていなかった。久々の晴の笑顔と姿に、俺は自分の気持ちがぐんと上向くのを感じた。
「待っていてくれたのか?」
普段晴と自転車置き場で出会う事はない。俺が教室に行く頃には、既に松山や翔也君と談笑している。
「うん。早く会いたくて待ってた」
てらいなくにこっと笑って答える晴に、益々気持ちが上向くのを感じる。有り体に言えば嬉しい。
どのくらい待っていてくれたのか。自転車置き場の壁にもたれて座り込んでいた晴が立ち上がる。それに大股に近づいた俺は、立ち上がりざまの晴を受け止めるように抱きしめた。
腕の中でぎゃ、と声が上がるが、構わない。
どうやら晴の姉らしきフェロモンも小さな身体から感じたが、それも構わない――むしろ俺のものだ。
「ちょ、景久君……ッ、ここ、学校だよ……!」
「余所からは見えない」
「う~……上からは見えると思うよ……?」
反論を黙殺して、腕の中の晴を堪能する。
数日ぶりの晴の感触だ。細い身体をぎゅっと抱きしめて後頭部に手を回して引き寄せ、耳の後ろからうなじ辺りに頬を添わせる。勿論抑制剤を服用している今はフェロモンの匂いはしないが、それでも晴の温かな肌の感触に癒やされる心地がする。
校内で抱擁されることに抵抗のある晴は、俺を抱きしめ返すでもなく腕をぶらりとさせていた。だがそれでもやがて絆されたのか、おずおずと上げた指先で、俺のシャツを控え目に握ってくる。その仕草をかわいく感じた俺は、慌てて晴を解放した。このまま抱きしめ続けていたら、物議を醸す状態へと変化してしまいそうだ。
「……ねえ、教室ではこういうのやめとこうね……?」
念を押すように、恐る恐る晴が言った。
俺は素直に頷く。
「うん」
こちらとしては晴を堪能出来たので満足である。
「じゃ、教室行こ」
言って歩き出した晴を追い、俺はその手を握る。
そうしたら晴はかあっと頬を染めて俺をねめつけ、
「だからそういうのだってばっ」
と怒って手を払った。
――完全に無意識だった。
「すまん」
「……もう」
頬を染めたままの晴は、面映ゆそうに目を逸らす。
「念の為言っとくけど、……嫌な訳じゃないから。付き合ってるのも別に隠さないし、誰に言ってもいいし。でも、人前でいちゃつくのは違うじゃん」
済みません、と俺は頷いた。全く以てその通りである。節度のある振る舞いをしなければならん――
――と分かっているのだが。
移動教室などの度に、つい、晴の手を握ってしまうのだ。
全国大会からこっち二人で歩く時は基本的に晴の手を握るようになっていたから、我知らず癖になってしまっているんだろう。元々それ以前からも晴の腕を握ることは多かったし。
「あ、また」
その度に晴に怒られて。そのせいで、俺たちが付き合いはじめた事は松山と翔也君、式部にしか言わなかったのに、三日もするとクラス中に広まっていた。
「クラス中どころか、学校中が知ってんじゃね?」
学食で昼を食べながら、面白そうに話題にするのは松山だ。
「俺部活で聞かれたもん。お前らどうなってんのって」
「野球部で? 特に知り合いなんかいないけど、なんで?」
不思議そうに首を傾げる晴は、今日はハンバーグ定食である。アジフライ定食とどちらにしようか迷っていたので、俺がアジフライを頼んで一品ずつ交換した。
「馬鹿。知り合いじゃなくても目立ってる有名人の動向は知りたいもんだろ?」
「――目立ってんの?」
「そりゃ目立ってるよぉ。校舎に『剣道全国大会団体戦〝優勝〟』『剣道全国大会個人戦アルファ部門〝三位〟 榊景久君』ってばばーんと懸垂幕掛かっちゃってるじゃん。試合に出た剣道部員今まさに時の人なのに、その中のアルファとオメガが付き合いはじめた、いや、よりを戻したんだ、ってなったらそりゃあ大注目だよねえ」
松山の後を引き取って晴に説くのは翔也君だ。
すると晴はちらっと俺に目をやり、むぎゅっと眉根を寄せた。
「来年はそこにもう一本、『ベータ・オメガ部門優勝 仁科晴君』を並べるんだ」
「そうだな。頑張ろう」
二人で切磋琢磨するつもりで応える俺。すると晴は嬉しそうにふわっと笑う。そんな俺たちを向かいから見つめる松山と翔也君は、呆れかえった様子で溜め息を付いた。
「そこかよ」
「剣道馬鹿ぁ……」
「自分だって剣道部員じゃーん」
「濃度が違うもん濃度が」
「まあともかくだからぁ、お前らが付き合ってんのなんて、興味のある奴もない奴もほぼ知ってるって事」
脱線した話題を無理矢理元に戻す松山。
ほうと頷いた俺は、横目でちらりと晴を見る。そもそも学内では隠すつもりはないと言う晴だし、そこまで俺たちの交際が公になっているのならば多少手を繋いでいたところで誰も問題にしないのでは、と思ったのだ。
ところが、俺がやったアジフライに美味そうにかぶりついていた晴は、俺の視線に気付くや否や目尻をきりりと吊り上げた。
「駄目でしょ」
何を言った訳でもないのに撥ね付けられて、俺は肩をすくめる。
「何が?」
「――景久君が手を繋いでくる……癖?」
松山に問われて、晴は自信なさげに首を傾げている。そんな癖あるもんかと、自分自身が半信半疑なのだろう。
ところが松山はひゃはっと笑った。
「癖な! こいつ無意識だもんな、癖に違いないわ」
「ええ? 癖認定すんの?」
俺は晴と交換したハンバーグを食べ始める。ハンバーグをおかずに食べる米が美味い。
「だって無意識だし。なくて七癖のひとつなんだろ、すでに。――てか、手ェ握るのに顕著に現れてるってだけで、基本の癖は『晴が好き』なんだからさ――……ねぇ?」
松山ににやにやと笑われ、意味深な台詞を理解した晴は真っ赤になっていた。
「ま、まっつんの馬鹿……! そんな風に言われたら景久君をとがめらんないじゃん⁉」
「だって景久って、晴が気付いてないだけで、晴が好き由来の癖がまだあるんだもんなー」
「え! なにそれ⁉」
「景久はなぁ、むっつりすけべの無意識野郎なんだから、矯正は不可と見た」
松山は俺をかばいながらもけなしてくる。俺は味噌汁を啜りながら、晴の食べているものが美味そうに見える癖以外にも何かあったろうかと思いを巡らせた。
「どう見たってマツの方が直情馬鹿っぽくて景久君の方が理性的なのにさあ、実際は逆っていうのが不思議だよねえ」
「え? え? 逆なの?」
松山にも翔也君にも理解不能なことを言われ続けて、晴は途方に暮れている。そして困ったように俺をちらりと見上げてくるのがかわいくて、思わず頭を撫でてしまう。
向かいから突き刺さる松山と翔也君の視線が、『そういうとこだよなぁ』と告げていた。
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