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02.【 晴/はじまり2/3 】
――で、休憩を挟んだ後の稽古。基礎練習やらを一通りやり終えた後の互角稽古で、俺と景久君は対戦した訳なんだけど……。
俺は正直がっかりしてしまった。強いと評判の景久君だけど、別に他の子と変わらないじゃん? 手こずることなく勝てちゃう程度じゃん?
景久君は面の奥でそりゃあ口惜しそうにしてた。それでも、何回も挑んできた。結局互角稽古の間じゅう、俺としか組まなかったと思う。何回やっても俺が勝って、景久君は負けた。
舟木の師匠はそれを見て頷き、榊道場の師範――つまり景久君のお父さんかな? は、溜め息を付いていた。
初日の稽古は俺の圧勝で終わった。景久君は俺に一回も勝てなかった。
きっとそれがショックだったんだろうな……景久君、その後は俺の方を全然見ないし、話しかけてもくれなくなった。……まあ、あるんだよね。腕に自信があってプライドが高いほど、俺に負けるとショックが大きいらしい。
で、夜になると俺たち舟木の子は広間に布団を並べて寝て、景久君や榊道場の子は家に帰って。
翌朝の午前中は舟木の子と景久君で早朝稽古から朝食、自由時間となる。早朝稽古でも景久君とやり合ったけど、やっぱり俺の勝ちだった。
自由時間には、子ども達全員で外に出た。
景久君が前に立ち、石畳で舗装された山道を案内してくれる。去年もこの合宿に参加した六年生とは景久君は仲が良いようだ。和気藹々としながら颯爽と前を歩いて行く。昨日の稽古後から景久君と口を聞いていない俺は、どことなく場違いさを感じながらも一番最後を付いて行った。
着いた先は神社で、この辺り一帯はこの神社の土地で、神主を代々榊家が務めているらしかった。
「この奥に滝があるんだ」
古めかしい神社はほぼ素通りで、その裏手の山道を登っていく景久君。途中川を渡らないといけなかったんだけど、橋なんてない。慣れている子達はぴょんぴょん岩を飛んで行く。
俺の前を歩いていた翔也は、怖じけた風に立ち止まった。あ、翔也こういうの苦手なんだよな。
こういう時は、いつも俺が助けるのだけど。
「怖い?」
――すかさず助けの手を伸ばしたのは景久君だった。彼はここでは先頭を行かず、皆が川向こうへ渡るのを見届け最後尾に付くみたいだ。
「翔也ー! 大丈夫だぞ~!」
先に渡りきった子達が向こう岸で跳ねている。向こう岸と言っても、二メートルもないような細い川だし、いいとこ臑半ば程度の浅さなのだ。なんなら足を突っ込んで歩いてもいい。
「俺が支えるよ」
景久君はてらいのない様子で翔也の手を取った。翔也はぱっと頬を赤くして、泣きそうな顔を俺に向ける。
「晴ぅ……」
「大丈夫だよ~。行けるって」
俺が笑ってみせると、翔也は頷いた。
「ありがと、景久君」
「うん。ほら、まずはこっちに足をかけて……手はここについてね」
物慣れた様子で、景久君は翔也を誘導していく。翔也は景久君の手を硬く握りしめながら、必死で岩場を渡っている。かなり体重を掛けられているだろうに、景久君は足元を揺るがせもしないし、翔也に向ける笑顔を絶やしもしない。ずっと笑いかけて声をかけ続けて、ビビって身体を硬くする翔也を励ましている。
俺は二人を追いかけもせずに、その様子をじっと見ていた。
やがて翔也は一度もバランスを崩すことなく対岸にたどり着いた。振り向いて俺に手を振る顔は、晴れ晴れとしている。
景久君は翔也の手を離し、こっちを振り向いた。
その顔からは、翔也に向けていたような頼もしくも優しい表情はすうっと抜け落ちていた。
「お前はひとりで渡れるよな?」
……そりゃあ渡れるけど。
「早く来いよ。みんな待ってるだろ」
景久君が冷たくせかしてくるものだから、俺はぱぱぱっと岩を飛んだ。その様子を流し見て、ひと言もなく先頭へと戻っていく景久君。
「ごめんね晴。待たせちゃって。先に渡ってもらえばよかった」
翔也がそう謝ってくるのへ首を振る。翔也はなんにも悪くない。だけどなんだか、俺は気分が落ち込むのを感じていた。
神社の裏には傾斜のゆるい小さな滝があって、滝壺も平べったく広がっていた。深さも見通せる程度で、小学生にとっては格好の遊び場だ。
率先して景久君が飛び込んだものだから、皆我先にと飛び込んで泳ぎはじめる。勿論俺だって。服? 着たままだよ。気が付いた子は上だけ脱いだみたいだけど、俺はそのまま飛び込んじゃった。どうせ夏だしすぐ渇くって。
翔也は飛び込まずに、膝ぐらいまでの浅瀬で遊んでる。俺はたまに翔也に絡みついたりしつつ、基本的に滝壺で泳いでいた。そしたらひとりっきりの翔也に、景久君が声を掛けたみたいだ。翔也と喋ったり、岩に誘導して翔也が岩飛びをして遊ぶのを支えたりしていた。
その甲斐あってか翔也は帰りには、景久君の補助なしでひとりで岩を渡れるようになっていた。
先に立って翔也を見守る景久君と、おっかなびっくりだけど自力で渡りきった翔也。ふたりは対岸で歓声を上げている。
翔也が俺に手を振り、景久君が俺に視線を流す。俺を見る目はやっぱり冷めている。俺がひとつめの岩に足を掛けると、彼は翔也に手を振って行ってしまった。
「晴、見てた? 俺ちゃんと出来たよッ」
俺が渡りきると翔也が飛びついてきた。
「見てた見てた」
翔也はあまり運動が得意じゃなくて性格も引っ込み思案なところがある。でも頭がいいから。運動神経ばっかりの俺と頭でっかちの翔也。お互いに補い合う感じで上手くやれていたと思う――なのに俺はこの時はじめて、翔也を疎ましく思った。……疎ましいというか、うらやましく思った。
「……いいなあ。景久君と仲良く出来て」
「リーダーっぽいから、面倒見てくれただけだよ」
翔也はすかさずそう返してきたが、それでも嬉しそうだ。
「晴は景久君より運動神経いいし、面倒見るところがないだけだって」
まあ確かにそうなんだろうけど。……でもやっぱ俺にだけ冷たいのも確かじゃん……。
子ども達を率いた景久君は、俺たちを放って随分と前まで行ってしまっている。
俺はこの時初めて、自分の運動神経の良さを後悔したのだった。
その後の稽古でも、景久君はムキになってるみたいに俺に勝負を挑んで来て、その度に俺は彼を負かした。
それでも自由時間にハブられる事は無く、必要とあらば声だって掛けてくれるけど、俺と遊んだり笑顔を向けてくれはしなかった。
結局五年生の合宿は、景久君とちっとも親しくなれないままに終わった。
そして、六年生の夏。
迷わず今年も参加したその合宿で、俺はとんでもないことをしでかしてしまう――。
最初は、ただの出来心だった。
一年ぶりに会った景久君が、翔也にはにこにこと話しかけたのに、俺にはぶっきらぼうに『よお』とだけ言ったから。初参加の舟木の五年生ひとりひとりに声を掛けて、相変わらずの頼もしさで面倒を見ていたから。
――景久君に負けたら、俺も優しくしてもらえるのかなぁ。
って、憧れてしまったんだ。
だから。
去年と変わらず互角稽古を挑んで来た景久君に、俺は負けた。彼の動きに合わせて小手を打たせ、本来なら届くはずのない面への打突を通らせた。
そしたらね、場が凍った。
面を打ったまま、残心すら忘れて景久君は立ち尽くしているし、見学していた師範達も絶句している。
俺はどうしたらいいのか分からなくて、ひとまず一歩下がって礼をした。景久君が二本取ったのだから、この稽古は彼の勝ちで終了したのだ。
だがそこに、景久君が飛び込んできた。竹刀を投げ捨てて俺に突進してきたのである。
「ふざけんなお前――ッ! わざと負けるとか一体どうして……!」
強く胴を突かれて、俺は踏みとどまれずに尻餅を付いた。景久君は俺に追いすがると、馬乗りになってきた。彼が拳を振り上げたのが分かる。面を殴ってくる気だ。避けようとは思わず、俺はぎゅっと目をつぶる。
「竹刀を拾え!」
師範の大音声が響いたのは、拳が振り下ろされる直前だった。
「竹刀を拾え! 構えろ! 仕切り直しだ!」
その声に圧倒された俺と景久君は、言われるままに起き上がり、竹刀を握って構える。
「今度は真面目に。始め!」
師匠の声で再び互角稽古を開始する俺たち。
勝敗はすぐに付いた――勿論、俺の勝ちである。
礼をしてすれ違いざまに、景久君は、
「お前なんか大っ嫌いだ」
と囁いてきた。
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