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03.【 晴/はじまり3/3 】
その後のことは、正直あまり覚えていない。翔也がずっと俺にぴったりくっついてくれて、合宿自体は波風立てずに終えることが出来たんだと思う。
そして合宿の話は母にも連絡が行っていたらしく、自宅に帰って落ち着くと、二人きりの時に問われた。
「どうしてそんなことしたんだ?」
と。
「ご、ごめんなさい……」
景久君や師匠たちの反応からも、あれがとても悪い行いだったことは理解していたから、俺はまず謝った。だが母は首を振って、悲しそうに俺を見てくる。
「景久君て、晴が去年『格好良くて優しくて頼もしい』って褒めてた子だよね?」
俺は目を伏せた。
「うん……でも、景久君が『優しくて頼もしい』のは翔也とか他のみんなにだけで……俺には全然……。俺が勝ってから景久君俺には笑ってくれなくなって……今年も、最初の挨拶の時、俺には『よお』としか言ってくれなかった……! 翔也には笑顔で一杯話しかけたのに……ッ他の子にも優しいのに俺にだけ……! だから――――ッ」
「……だから負けてみたの? そうしたら景久君が優しくしてくれるかも、って思ったの……?」
母の推測通りである。
「うん……。でも最初からそんなつもりだった訳じゃないよ……向かい合った時に、魔が差したっていうか……最初から企んでたわけじゃない……」
学年が変わって初めての対戦だ。一年分の成長は景久君の方が大きかったことにしようとか、そんな計画を立てたんじゃないんだ。
「――出来心、ね……」
母は腕組みを崩すと、はーっと溜め息を付いた。
「晴、その子に恋しちゃってたんだねえ……大好きな剣道で負けてみせてもいいくらい、好きだったんだね」
母の言葉に、俺は驚いた。
「恋――……」
でも確かにそうかも知れない。初めて会った時、ずっと目が離せなかった。すごく格好良い子だなあって、すごく目が惹きつけられた。
あれは、一目惚れだったのかもしれない。
そう納得すると、今度は泣けて来た。
「でも……景久君は『お前なんか大っ嫌いだ』って言った……‼」
それどころか、俺のこと押し倒して殴ろうとした。だからあの言葉は嘘じゃない。俺はそれだけ彼に嫌われたし軽蔑されたんだ。わざと負けたりなんかしなければ避けられるだけで済んだのに、馬鹿な俺は自分から嫌われに行ってしまったんだ。
自覚した恋はその瞬間に破れて。わんわん泣きじゃくる俺を、母は抱き寄せて慰めてくれた。
そして時は過ぎ。
小学校を卒業した俺は、中学へと進学した。
部活は勿論剣道部。翔也も一緒である。
初夏の郡市大会から真夏の全国大会へと、部は順調に勝ち進んだ。一年生なので個人戦の選手に選ばれる事は無かったが、団体戦では次鋒に入れて貰えた。
二年生では、団体戦でも個人戦でも選手に選ばれた。俺は順調に勝ち進み――やがて、全国の準々決勝まで駒を進めた。
準々決勝の相手は隣県の中学で、ゼッケンには〝榊〟とある。
約二年ぶりの再会だったけど、俺が伸びた分だけあっちも伸びたみたい。体格もそんな感じで、差は変わらず――一瞬、あの夏の日の榊道場にいるのかと錯覚したけれど……もう二度とあんな失態を犯すわけにはいかなかった。絶対に負けてはいけない相手だからね、全力で臨んだよ。……最終的に俺が優勝を決めた後には、あの準々決勝の二年生同士の対決こそが事実上の決勝のようだった、なんて言われた。そのくらい俺たち、熱くなってたんだな。
で、三年生でも勿論当たった。今度は景久君と俺は別グループに振り分けられていた為、決勝で当たったんだ。
そして決勝も終わり、表彰式――。
金のトロフィーを抱いて表彰台のてっぺんから飛び降りた俺に、声が掛けられた。
「晴……ッ。仁科晴!」
覚えているよりも低い声に、どきりと胸が高鳴る。
振り返ればやはり景久君で――銀のトロフィーを掴んだ彼がすぐそこまで迫っていた。
「……何」
翔也は去年も今年も彼を見かけるなり挨拶に行っていたけれど、俺は行かなかった。つまり、俺が彼と言葉を交わすのは、小六の合宿以来だった。
「あのさ、お前――」
身構えた表情の俺に言い淀んだのか、景久君が視線を彷徨わせる。
その分だけ余計に彼を眺めることが出来た俺は、相変わらず格好いいなあと切なくなっていた。
「お前、高校でも剣道するんだよな? 次も絶対に全国に来いよ。そしたら今度こそ、俺が勝つ!」
やがて景久君は、意を決したかのように一気にそう言い切った。声も大きくて、周囲の注目を浴びて俺はちょっと吃驚してしまう。
「高校でも剣道はする予定だけど――」
そこまで声にして、はたと気付いて景久君にとことこと駆け寄る。彼を見上げて耳打ちを求め、寄せられた耳にこっそりと囁いた。
「でもごめん。俺オメガだからさ、アルファっぽい景久君とは、多分もう戦えないよ」
つまりは今年が、俺と景久君の最後の対戦だった。
景久君がアルファだろうっていうのは根拠の無い推測だけど、間違いじゃないと思う。俺には兄がいるんだけど、あの落ち着きの無い残念な兄ですらアルファなんだぞ? だったら、こんなに格好良くて優しくて頼もしくて強い――俺に敵わないってだけで、全国準優勝者の景久君は十分強いはずだ――景久君がアルファじゃないはずがないじゃん。
そして俺がオメガなのも間違いない。去年の第二性種診断でそう告げられている。そもそも俺は、男オメガの母と姿形も性質も似ているから、オメガだろうとは昔から予想していた。
「……⁉」
景久君は驚いた顔をして、二の句も継げずにいるようだ。突然第二性種なんてプライバシーすぎるものを公表しちゃってごめんな。でも、嬉しかったんだ。大嫌いな俺にこうして声を掛けてくれるなんて思っていなかったから。とても嬉しかったから、曖昧な返事でごまかしたくなかったんだ。
「ばいばい景久君。対戦、楽しかったよ。今までありがとうね!」
きっと話をするのもこれが最後だろうから――俺はとびっきりの笑顔で、彼に手を振った。
――のに。
「え? 翔也見て? あれ景久君じゃない? なんで居るの?」
進学希望の高校の入試会場に彼の姿を見つけて、俺はじたばたしてしまった。
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