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05.【 晴/高校入学 】
「ちょっ、翔也訊いてみてよなんでいるのかって!」
今日は志望先の高野台高校の受験の日である。翔也と一緒に来た俺は、宛がわれた教室に入ろうとしてその中に景久君がいるのに気付いた。慌ててしゃがみ込み、翔也も巻き込んで廊下に撤退したのである。
声をひそめてヒソヒソと翔也に懇願すれば、翔也は呆れた眼差しを俺に向ける。
「もー! 参考書見返したーい!」
ひと声大きくわめいた翔也はすくっと立ち上がると、腕にすがりついた俺をぶら下げたまま、ずんずん教室へと入っていった。
「景久君お久しぶり~」
そして景久君が着いている机の脇に立ち、にこやかに挨拶を仕掛ける翔也。すごい……俺には無理だ。
「翔也君。久しぶり――晴はなんで隠れてるんだ」
「お、お久しぶりです……」
吃驚。景久君が声を掛けてくれた。
「景久君はなんでいるの? 家、隣の県だよね?」
とにかく速攻済ませて最後の追い込みを掛けたいらしい翔也は、テキパキと問いかけた。
「越境入学だな。うちは県内の高校の方が遠いから、こちらも学区として入学を認められているんだ――県境だと良くある」
「へえ。……だってさ、晴。じゃ、健闘を祈る!」
聞くだけ聞いて、翔也はさっさと行ってしまった。
「あ。……じゃ、景久君もがんばって」
俺はぺこぺこしながら景久君の前を横切り、自分の受験番号の貼られた机に座る。
――ええええ……、じゃあ、もしもお互いに受かったら同じ学校なのかあ……。
てことは当然剣道もだろ? 一年生部員同士ってことになるのか。
――うわあ緊張する……ちょ、大事な受験前になんでこんな衝撃。落ちたらどーしてくれんのさ。
危機感を感じて俺も時間いっぱい教科書やノートを見返し、昼食や休憩時間も復習を頑張った。
まあ、手応えがあったんだかなかったんだかは良く分からないけれど、全教科やり終えて――俺は机につっぷして休んでいた。このまま寝たい。
そこへトン、と机に衝撃があり、頭を撫でられる。これは松山だな。翔也も含めて同じ小・中の奴である。
「晴生きてるか?」
「死んだ」
つーか松山来んの早くねえ? 教室別だったろ? いや、翔也が遅いのか。
むくりと起き上がって振り返ると、翔也は景久君と話していた。……あっそう。
「あいつ誰?」
「榊景久君。翔也のお友達?」
うん。俺と景久君なら単なるライバルだけど、景久君と翔也は友達だと思う。
「なんで疑問形?」
「わかんない」
溜め息を付きながら松山の質問を流し、荷物をまとめる。
「まっつんチャリで来た?」
「遅刻しかけたから親に車で送ってもらった。晴後ろ乗せて」
「最悪じゃん。ま、でもどうせまっつん頭良いもん。受かってるに決まってる」
「余裕ぶっこきすぎたよね。――おい、翔也、帰るぞ~?」
俺がリュックを背負うと、松山が翔也に声を掛けた。
「あ。マツいつの間に居たのさ。――じゃ、景久君またね」
景久君の机から離れて翔也がこっちに歩いてくる。それを松山は両手を広げて迎えるのだが、翔也は無視した。
「晴~、翔也がつれない」
だからって俺に絡みついてくるんじゃない。歩きにくいだろ。
「まっつん邪魔」
松山の臑を蹴りつつ歩き出すと、視線を感じた。振り向けば、景久君がこちらを見ている。俺は目礼のみを送り、教室を後にした。
「で、あいつ誰」
俺の肩を抱いたまま松山は翔也に問いかける。
「ああ、景久君? 俺と晴が通ってる道場の師範の親戚の息子さん」
「……なにその微妙な関係。なんでそんなのと知り合いなの」
「道場で合宿に行って、その宿泊先が景久君家の道場だったから。てか晴に聞けばいいじゃん」
翔也は俺に意味深な視線を投げてくる。
それを受けてうつむいた俺に、松山ががしっと体重を掛けた。
「だよなあ。それだったら晴だって知り合いだよなー?」
「……だって俺は」
『大っ嫌いって言われてるから友達じゃない』と喉元まで出掛かったのを、慌てて飲み込んだ。そんな陰口みたいなことは言っちゃいけない。景久君の印象が悪くなってしまう。
「――もう気にしてないと思うけどね」
更にうつむいた俺の肩を撫でてそう言うと、翔也は松山を引き剥がした。
「ほら、ひとりでキリキリ歩きな。マツでかくて重いんだから晴が潰れちゃうだろ」
「翔也が抱きしめさせてくれたら頑張って歩く」
「馬鹿じゃないの」
あの合宿に参加していた翔也は、当然俺が景久君に何をしたのかを知っている。景久君に何と言われたのかも、ひとりで抱えきれなかったから、翔也には話してしまっていた。
――もう気にしてないなんて、あるのかなぁ……。
さっきも話しかけてくれたし、あるのかもしれない。
――でも、俺の方が忘れられないんだ。
ああまで言わせるほど酷い事を彼にしてしまった事実は、忘れちゃいけないと思う。
自転車置き場に着くと松山はさっき言ってた通り、俺の後ろに乗ろうとした。
そしたら翔也が、
「馬鹿マツ! 晴がしんどいだろ! せめてお前が漕げ!」
と怒って――松山は嬉しそうに降りると、
「じゃあ俺が漕ぐから翔也は俺の後ろね」
翔也の自転車を強奪した。
「なんで⁉」
「だって晴の自転車ちっさいもん。俺膝つっかえちゃう」
タイヤのサイズは一緒だぞ。ちょっとフレームの形が違うだけで――だからまあ、結局は松山の目論み通りの流れなんだよねこれ。多分翔也は気付いてないと思うけど。
松山を先頭に走り出した俺たちは、入試の終わった解放感もあって適当に道路を爆走した。最終的には丘の上の公園まで登って、途中の自販機で買ったジュース片手に騒いでた。
三月とはいえ上旬の今はまだ冬だ。寒いし夕闇の訪れも早い。街に落ちる夕陽を眺めながら、これからどうなるのかなあと思った。
「晴、今、日が昇ってるの落ちてるの?」
ジャングルジムの中でこうもりみたいに逆さまにぶら下がっている俺に、翔也が不思議そうな視線を向けてくる。
「ちゃあんと落ちてるよ」
自分が逆さまなことは把握しているもの。
ふうん。と気のない返事を返して、翔也はジャングルジムにもたれかかった。松山はジュースを溢したとかで手を洗いに行っている。
「景久君、舟木道場に下宿するんだってよ」
「……じゃあ稽古も舟木に混じんのかなー」
部活も道場も一緒とか緊張する。
「晴どーすんの? 今までみたいに避けてられなくなったね」
「そーだよなあ~……」
俺としては、全国の最後のあのきれいなお別れで終わりたかったんだけどなあ。
まあでも、景久君の心情を思うと、俺が負けて終わった方がいいに決まってる。
「――ねえ翔也ぁ、オメガの俺がアルファの景久君よりも強くいられるのは、どのくらいかなあ……」
「……高校三年生だと確実にアウトだろうね。早いと高一の冬とかじゃない」
「高一の冬とか今年の終わりじゃん……みっじかぁ……。まあ、それまではビシバシ剣道をやるしかないんじゃないかなー」
同じ部になるってことは一緒に稽古が出来るってことだし。公式戦では戦えなくても互角稽古くらいは出来るだろう。実力が逆転するまでは、丁度良い稽古相手として役に立てるだろう――うん、なるべく長く稽古相手でいられるように、俺も今以上に頑張って強くなろ。
決意を込めてくるんと上体を起こし、ぱっとジャングルジムの上に立ち上がる。
「晴、無理しないでね」
振り向くと、翔也が足元から心配そうに見上げていた。
「大丈夫。このくらいじゃ落ちないってば」
一週間後の合格発表では、俺たちは三人そろって合格してた。景久君がどうなったかはその時は分からなかったけど、春休みの間に舟木剣道場の稽古に出るようになったから、多分合格したんだと思う。
受験が終わったので、半年近く我慢していた剣道も再開できるんである。俺は春休みの間ほぼ毎日道場に通って受付のおねーさんに呆れられ、師範たちには苦笑され、景久君には冷めた目を向けられた。なんだよ、毎日会うってことはそっちだって俺と同じだけ稽古に出てるだろ、一緒じゃん。
――そう、俺たちは特に仲がいい訳ではないんである。稽古の時には示し合わせたように二人で組むけれど、それだけだ。まあ、昔が昔だし、仕方ないよねえと割り切っている。
そしてほどなく高校の入学式となり――。
「晴ぅ……」
ご近所乗り合わせということで、父が翔也の家の前に車を横付けにする。助手席には母が座り、二列目には翔也のご両親、三列目に俺と翔也が座った。
翔也は落ち尽きなく首元をいじって、べそをかきそうな表情をしている。その顔、昔っから変わらなくて笑えるんだけど。
「大丈夫だよ」
実は俺も首が窮屈だ――だって、プロテクターを嵌めているから。
オメガ診断を受けた者は、高校生になるとプロテクターの装着が義務づけられる。それと、月一回のオメガ科への通院と、各種フェロモン剤の服用。発情期に抑制剤を使用するのはもちろんだが、誘引フェロモンを抑える薬剤の常用――オメガが発するフェロモンには、発情フェロモンと誘引フェロモンの二種類がある。発情フェロモンはまさしく〝発情〟――アルファの発情を促し交尾する為のものだが、誘引フェロモンは常に漏れ出て〝アルファに好意を抱かせる〟ものだ。良い香りで常日頃からアルファを魅了し好感度を高めていて、いざ発情って時に発情フェロモンでアルファをゲットするって仕組みらしいよ。
この誘引フェロモンはオメガの心拍数で濃度を増し、濃いものはアルファの正常な思考力を奪うらしい。なので誘引フェロモン抑制剤が無かった頃は、オメガは心拍数を上げる行動そのもの――つまり運動――を禁止されていたんだ。
だけど、最近出た薬剤を常用することによってオメガの運動が許されるようになった。そのお陰で俺は、高校でも剣道が続けられるのだ。
だから薬さえ飲んでいればオメガは、ベータと変わらない生活を送ることが出来る。けれどプロテクターの装着は義務なので、どうしたってオメガがオメガであることはバレるのだ。
――そして翔也はそれを恐れている。
俺なんか昔っから『俺はきっとオメガだから』って公言してたもんでどうってことないけど、翔也はそうじゃない。なまじ頭がいいもので、アルファでなくてもベータだと思われているだろう。まあ、オメガの頭が悪いなんてのは偏見なんだけどね……俺は勉強が苦手だけどっ。
「……あーあ、とうとうオメガだってばれちゃうんだなぁ……」
ブレザーの襟の中にプロテクターを押し込もうとしながら、翔也は溜め息を付く。
「まあまあ、平気平気。俺昔っからばらしてるけどどってことないし。〝ふーん〟程度だよ」
とか言って励ましつつも、ふーんで済まない奴に心当たりがあるけど。でもあいつの場合は速攻うなじを咬みに来そうだから、プロテクターはむしろ必需品だぞ翔也――ってことを、翔也は思い当たっているのやらいないのやら。
で、学校に着いてクラス分けを見てみると、俺と翔也はD組で同じクラスだった。
「昔っから、オメガは最後のクラスに固めるんだよね。で、アルファがA組」
と言うのは、この高校のOB・母である。
「でもそれも来年からは崩すって噂、聞いたわ」
と言ったのは、翔也のおかーさん。
「誘引フェロモンを常時抑制出来るようになったから、クラス分けに意味がなくなったんだねえ」
俺の父がしみじみと呟くのへ、俺と母は深く頷いた。
「――時代が変わったんだなあ。晴も剣道続けられるし。良かったな」
「うん」
A組の名簿には『松山裕吾』と『榊景久』の名前がある。やっぱ景久君はアルファなんだろうな。
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