午後十時:蚕月製糸場前

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****  雛の話を聞いて、暮春は口元を抑えていた。  おしら様とかいう、もう神と呼んでもいいのかどうかわからないものに、「裏切者」とレッテルを貼った者を食わせる……。とてもじゃないが正気とは思えなかった。  桃井もまた、顔を青褪めさせて言葉を失っているが、冷静なままの花月だけが口を開く。 「それ、助けた従業員が言ってた話か?」 「うん……おじいちゃんがなんとか介抱して聞き出したけど、既に助けた人は壊れていて、そのあと病院に入院したけど、もう話を聞くことはできず、そのまま亡くなったんだって」 「なるほどなあ……つうか蚕の神様って、基本的に肉を与えるのは禁忌じゃなかったか?」  花月はそう言って髪を引っ掻きながら、目を細めてゆらゆらと歩き回る蚕の木人形を見る。  蚕の木人形から暮春が感じる禍々しい気配は、蚕月製糸場の中に入ったときに酷似していた。おしら様のお使いというものの理屈はわからないが、おしら様の力を与えられているとなったら、そうなるのかもしれない。  花月の問いに、雛は風呂敷を抱えたまま答える。 「本当なら、おしら様に与えるのは禁じられているんだけど……既におしら様は反転してしまっているから。多分だけれど、供物も反転してしまっているんだと思う」 「ふうん……でもそれだったら、お前の言ってる儀式、できんの? 俺が知ってる限り、蚕の神様に与えるものっつうのは、桑の木でできた人形に、新しい着物を着せるっつ奴だと、肝心のおしら様がご所望なのは人肉だったら、儀式自体ができなくね?」  花月の指摘に、暮春は口の中で「ひぃ……っ」と呻き声を上げる。雛の儀式の手伝いをしたら、供物として捧げられる。断ったとしても桑の木人形に捕まったらどっちみち供物として捧げられる。雛の話が本当だとしたら、供物にされてしまったら最後、食い殺される。  桃井は困り果てたように、「あの、雛さん……?」と尋ねるが、その声は弱々しい。  雛はそれに小さく首を振る。 「現状、今年の分のおしら様の儀式は成立していないから。反転した分のおしら様の儀式も、本来のおしら様の儀式も」 「ふうむ……?」 「……先に儀式が成立したほうが、今年一年のおしら様の性質になるから。おしら様は属性が反転しても、正しく祀れば元に戻るはず……村の人たちは、すぐにおしら様を反転させてしまうけれど、それでも一年は無事なはず」  雛の言葉に、花月は目を細める。 「お前もしなくていい苦労してんのなあ……」  そう言って労うように雛の肩をポン、と叩くと、辺りを振り返った。  蚕の木人形たちは、製糸場の入り口付近をゆらゆらと歩いている中、蚕の木人形たちがなにやら運んでいるのが見えた。  それは、人の大きさほどの繭玉であった。ここに来ている観光客であろうか。 「ちょ……誰か捕まってるじゃないですか……!」  暮春は血の気が引いていくのを感じる。雛が聞いたところどころ怪しい話も一部には本当のことが混ざっていたのだろう。  花月は「んー……」と腕を組む。 「なあ、雛……だったか。ここで行われてた儀式ってどうやるんだ? 手短に言え」 「……桑の木でできたご神体に、新しい着物を着せるの。今年は呪われていない繭玉がほとんどなくって、着られる服はこれだけだったんだけれど」  そう言いながら、雛は風呂敷を少しだけ解いて中身を見せた。  真っ白なハンカチほどの大きさの布と、ご神体だと言われなかったらまずわからない、頭もなければ手足もない、胴体しかない桑の木の棒が、着物を着せられていた。  それに花月は「ふうん」と言うと、「暮春」と呼ぶ。  嫌な予感しかしないというよりも、蚕月村に関わった時点でいい思いなんてしていないのだから、面倒なことにしかならないことを言い出したような気がする。 「あのう……花月先生、まさか」 「俺たちはあっちの桑の木人形追いかけるぞ。まあ、あの繭玉を回収できるかは知らんが」 「やっぱり! なんでですか!? 素直に三人で雛さんの儀式が終わるのを待てばいいじゃないですか! なんでわざわざ危ない方向に……」 「いや、護衛だったら三人で集まっても大したことができねえんだから、俺らが桑の木人形のほうで騒ぎ立てれば、その間、雛と桃井で頑張ってもらえばいいだろ」 「分断したほうが便利とかいうの、戦闘慣れしているような人だけでしょ。俺たち、戦うことなんてできないのにバラバラになってどうするんですか……!」 「だから塩ばら撒きゃいいだろ。なんのためのお清めの塩なんだよ」  お清めの塩だけで、あの大人数をどうにかしないといけない。どんなに装備がしょぼいと言われている和製ホラーゲームだって、もうちょっとマシな鈍器などの武器を与えられているのに、こんなんで本当に大丈夫なのかと、暮春はがっくりと肩を落とした。  雛はおろおろと花月を見る。 「あの……あの人数はいくらなんでも……無理だと思う」 「無理かどうかは、やってみねえとわかんねえし」 「なんでそんなに行き当たりばったりなの……!」 「お前も俺たちのこと心配してるより、どうやって製糸場の中に入りゃいいのか考えたほうがよくねえか?」  花月に言われて、雛は風呂敷を抱えて押し黙る。  どっちみち、ここでずっと立ち話をしていても、供物がおしら様に与えられた時点でおしまいなのだ。少なくとも今年一年は。  暮春はちらりと桃井を見る。桃井もおろおろしているばかりだが、雛から離れようとしないのを見る限り、彼女を守る気なのだろう。  こんな運動不足な人間ばかりで、ゾンビと戦えなんて、いくらなんでもひど過ぎると思いながら、暮春は塩を入れた袋を強く握った。  覚悟なんてしてなくても、どっちみちこのままだと詰むのだ。どのみち宿泊施設にだって桑の木人形をどうにかしなかったら帰れないのだから。  花月が言う。 「俺らが暴れるから、それで製糸場に入る出入口は少しは手薄になるだろ。その間に儀式を済ませてこい」  雑過ぎるが、それ以外に方法もなさそうだ。製糸場の中に人型の繭玉が担ぎ込まれた以上、その繭玉が食べられる前に奪還しなかったら、詰む。  雛はぎゅっと風呂敷を抱き締め、桃井が固い表情で頷く。  花月は「行くぞ暮春」と声をかけると、ふたりは桑の木人形に向かって走っていった。 ****  蚕月製糸場前でゆらゆらとした桑の木人形を見ながら、花月は顔をしかめる。 「あの……花月先生。この人たち、ゾンビにされましたが、助かるんでしょうか……塩をかけましたけど、成仏してくれるんでしょうか」 「さあなあ。俺、まだ前科付きたくねえんだけど。まあ、所詮は私有地で起こってることだから、ここの土地のオーナーが被害届でも出さない限り、大丈夫じゃねえの?」  さらりと怖いことを言っているのに、暮春の喉はヒュンとなる。  やがて、こちらの足音に気付き、ぐるんっと桑の木人形たちが振り返った。どれもこれも目線が合わず、人なのかどうかも怪しい、ゆらゆらとした動きをしている。 「あれかねえ……ゾンビものでもいろいろあるけど」  そう言いながら、花月は袋の塩を掴むと、一気に桑の木人形にばら撒く。桑の木人形たちは絶叫することもなく、まるで糸を切られた人形のような関節を無視した倒れ方をする。それを飛び越えながら、「やっぱなあ……」と呟く。 「なにがやっぱなあなんですか」 「あいつら、おしら様のお使いって雛は言ってたが、おしら様のお使いっていうより、人形なんじゃねえの。まあ、(くわ)()人形(にんぎょう)で、()()人形(じんじょう)だから正しいのかもしれねえけど」 「ええっと……ゾンビじゃなくって、生きてる人間が操り人形にされてるってことですか?」 「というかさあ、暮春。ぶっちゃけお前はどう思うのよ? 俺は残念ながら零感だから、こいつらの気配なんてわっかんねえし、ゾンビの知識はあれども区別なんてできねえよ」  そう言われても、と思いながら暮春は彼らを見るものの。  そもそもこの地はあまりにも寒気も怖気も多過ぎて、霊感はあれども正確に見極めることができない暮春では、彼らが元に戻ったのか、おしら様のお使いのままなのか、わからないままだった。 「わかりませんよ……俺だって見えるだけで、祓うことだって区別することだってできやしないんですから」 「だろうなあ」  花月はそう間延びした中、不意に彼女が暮春の頭を思いっきり掴んで、地面へと伏せた。この寒気と怖気の中でも、舗装されたアスファルトは昼間の熱を含んで熱い。 「な、にすんですかあ……」 「……あーあー。こいつどうなったんだろうと思ってたけど、お前なあに、やってんだ。桜」 「え……? ええええええ……」  暮春は思わずアスファルトから顔を上げて、愕然とした。  軽薄な顔で、女の体以外になんの興味も示さなかったとはいえど、まだ大学生かそこらだろうに。何故か桑の木人形の中には、ツアーを一緒に過ごしたはずの桜が混ざり、あろうことか鞄を振り回してきたのだ。中になにが入っているのか、転がり避けるたびに、ガツンガツンという音が響く。 「さ、桜くん……! 君、どうして」 「あーあー、だから言っただろ。このままいったら不能になってもおかしくねえって。ゾンビって勃つのかねえ」 「あんたなに言ってんですか、こんなところで!?」  知人が操り人形にされていたら、少々やりにくいと思うものだが、花月はどうにもいつもの調子のままだった。それのせいで、暮春のほうが調子が狂いっぱなしだ。  一方桜はというと、執拗に鞄を振り回して、それで花月たちの頭を狙ってくる。さっきから聞こえる大きな音。中に履いているのは鈍器かなにかだろうか。少なくとも、軽いものしか持っていなかったと思われる桜は、そんなものを持っていなかったと思う。 「あら……彼のお知り合い……?」  くすくすと笑っている女性が出てきて、暮春は唖然とする。  エプロンを纏った、どことなく雛に似た女性の肩には、繭玉が載っている。しかし繭玉は本来は動かないし、ましてや芋虫のように蠢いたりしないし糸を引いたりしない。彼女は粘りのある繭玉にされるがままになって、鮮やかに笑っていたのだ。  あまりにもおかしい光景だが、なによりも彼女が来た途端に、暮春の鳥肌も怖気も強くなり、自然と歯が鳴りはじめる。  まるで彼女からする気配は、昼間の蚕月製糸場の中を歩き回ったときと同じ。なにかの腹の中を歩いているような薄気味悪さよりもなお、たちの悪いものであった。  花月は桜が鞄を振り回してくるのをどうにか自分の鞄を盾にして避けつつ、ちらりと彼女を見る。 「あんたは? そもそも土産屋にお前、いなかっただろ。どこでそいつをたぶらかしたんだよ。可哀想だろ、一生勃てなくなって」 「だから花月先生、そういうの止めませんか!?」  普通、下ネタ言って突っ込み入れられるの逆な気がするんだが、と暮春の突っ込みが頭を掠めたのはさておいて、彼女はくすくすと笑う。 「彼、優しいのよ。私を見つけてくれたから。一緒に桑の実酒で乾杯したの。だから一緒に桑の木人形になりましょうって、決めたのよ」  彼女の言葉に、暮春は唖然とする。彼女の肩を、服の裾を、エプロンの中を、平気で繭玉が動き回っている。それがハムスターだったり子猫だったりしたら微笑ましい図ではあるが、芋虫のようにぶよぶよして粘着質な繭玉だったら、おぞましさのほうが先に出る。  桜は花月の頭を狙って鞄を大きく振り回すが、花月はガツンッと音を立てて自身の鞄で頭を守る。ギリギリと音を立てるのに、彼女はますますもって顔をしかめるのだ。 「ふーん……あんた、しゃべれるし、へなへなした動きをしないし、他の桑の木人形とどう違うんだよ」 「だって、他の人たちは他所から来て、おしら様のご加護を受けてないもの。私は従順なおしら様の僕……体を差し出したのだから、他の桑の木人形と一緒にされては困るわね」 「……ふーん。つまりあんたに騙されて、桜は不能になったと」 「騙してないわ、一緒におしら様の加護をいただいただけなんだから」  つまりは、蚕月村の人間だから加護にこそなれど、桑の木人形になることは彼らの自由を拘束するものではないと。  花月が嫌な予感がするからと、蚕月村のものを一切口にしなかったのは、正しかったようだ。おしら様の加護というものが原因で、桜の様子がおかしくなってしまったのなら、彼も不運としか言いようがない。
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