午後一時三十分:旧蚕月村跡

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午後一時三十分:旧蚕月村跡

 カメラのシャッター音を鳴らしながら、桃井は村を見回していた。レンズ越しに見る光景は、なんとも言えずチグハグだなと桃井は思う。  桃井は仕事でカメラマンをする傍ら、仕事の合間を縫って日本各地の廃工場や廃屋まで出かけていって、それらをカメラに収め、年に二回ほどある大型同人誌即売会で各地で収めた廃工場、廃屋の写真集を売っている。おそらくこれだけの数の廃工場や廃屋を見た人間は、日本でも数人いるかいないかだと思うが、旧蚕月村に入ってから、なにか違和感を覚えていた。  大正から存在している建物や家、それの朽ち方と違うような気がするのだ。色のくすみ方、建物の腐敗の仕方、壊れたまま放置されているものなど……。  赤黒く錆び付くだろうと思う金属の看板は、何故か黒くなっているし、木で出来ているものには穴が空いている。経年劣化で古くなって脆くなったものがどこかへしゃげることはあるが、穴が空いているのはあまり見た覚えがない。  ここは観光地となっているが、今は私有地だと聞いている。本来の蚕月村の上に観光地をつくったのだとしても、経年劣化の古び方と違うように思えるのは何故なんだろうか。  草木も気のせいか、この地域に生える草木よりもくすんで見えるが、まだ枯れるには早い気がする。  ホラー作家であり、各地のオカルトのうんちくを持っている花月や、オカルト雑誌の編集者である暮春であったらもっと詳しいことがわかるんだろうが、桃井はただ古びたものにロマンを見出すだけのカメラマンだ。そんなうんちくは持ち合わせていない。  写真の違和感をぬぐえないまま、ひとまずカメラを下ろして首にぶら下げておく。  どうも古びた美学とは異なる写真ばかりが撮れたような気がする。次の写真集は、もう蚕月製糸場だけ使うしかないかもしれないと思いながら、ふとお土産屋の前を通る。  他の観光地でパッケージを変えて売っていそうなものばかり並んでいる中、鮮やかな紫色が目に入った。  どれもこれも変わり映えしないお土産の中、紫色の小瓶だけはひどく鮮やかに映ったのだ。 「おやお兄さん。桑の実ジャムはお好みですか?」  のほほんとした年老いた店員に声をかけられ、桃井はびくんと肩を跳ねさせる。宿でいただいた昼食は、どれもこれもよくこれだけまずくできたものだというくらいにまずく、食べ切ることができなかった。クゥー……と腹の虫が鳴ったのに、桃井は赤面する。  店員は瓶をひとつ開けると、スプーンで中身を取り出す。 「味見くらいでしたらできますよ。この地の桑の実でつくった手作りジャムです。おいしいですよ」 「あ、ありがとうございます。いただきます」  店員が差し出してくれたスプーンを受け取ろうとしたとき。急に冷たいものが桃井の太い手首を掴んだ。  先程いなくなってしまった少女、雛だった。 「駄目。やめておいたほうがいい」  そう言って雛は強い力で桃井を引っ張る。それに店員が初めて目を釣り上げて雛を睨んだ。 「お客様になにを言ってるんだい、雛!?」 「……行こう」 「裏切者の子が、なに今更……っ!!」  店員が急に形相を変えたのにも驚いたが、雛は乏しい表情ながら懸命に自分を引っ張っていくのだから、桃井はそれについていった。 「えっと……君はさっきの子、だよね……? えっと、さっきの店員さんとは、知り合い……?」 「……あの人は、元々蚕月村の人。潰された村の思い出にすがっている可哀想な人」 「潰されたって……合併したんじゃ……?」  ほのかからそう説明を受けていたが、当事者……の子供、だろうか……雛は違うように取っているようだ。  ようやく雛が手を離したときは、既に村外れで、荒れた道があるばかりだ。 「……正確には吸収合併で、村は無理矢理解散させられたっておばあちゃんから聞いてる。ここに住んでた人たちは、無理矢理コミュニティーを壊されたの。ただ、罰当たりな製糸場のやり口を止めただけなのに」 「罰当たりって? そういえば花月先生が工場見学のときもずっと『やばい』を連呼してたけど」  桃井は写真を撮りながらも、花月が暮春になにやら浮かない顔をして話をしているのをちらりと聞いていた。全部は聞こえなかったが、ホラーのうんちくに富んだ人が「やばい」というのは、相当まずいのではないだろうかとは思っていた。  それに雛が「あの人、小説家だって名刺に書いてたけど、そこまで詳しい人なんだ」と少しだけ感心したように瞬きをしてみせた。 「……元々、蚕月村は大昔から養蚕で生計を立てている村だった。私の家は、代々この村を取り仕切る神社の家系だった」 「神社? あれ、でもそんなの……」  村をぐるりと一周したものの、それらしいものはひとつも見つからなかった。  養蚕の蚕は森で自然生育させているのなら、わざわざ村の中に桑の木畑をつくる必要もないのだろうが、今の蚕月村跡には、ここで生活を営んでいた形跡も、村の生活を支えていたもろもろも抜け落ちていて、いまいちわからない。  雛は小さく頷く。 「神社は取り壊されたから。そのときの宮司だったおじいちゃんは、本社からの命令で、他の社にまで飛ばされた。村がほとんど無理矢理解散させられたとき、おじいちゃんもおばあちゃんも『裏切者』とずっと罵倒され続けたと聞いている。おじいちゃんは本社の命令に逆らえなかったし、おばあちゃんもひとりで村に残る訳にはいかなかったから。そのまま村は潰され、ならされ、その上に製糸場はつくられたけれど……そこで罰が当たった」  神社は同じ神を祭っている本社と分社が存在している。分社には基本的に本社の命で宮司が派遣される。本社からの命令では、いくら抵抗しても分社の宮司は逆らうことができない。  宮司にも身分が存在し、それにより物言いできる部分とできない部分とできるのだから。本社の宮司に逆らうことができなかったのも、立場が上の人間とオーナーの癒着があったのだろう。 「神社が潰れたから……それで罰が当たったの?」  オカルトに詳しくはないが、同人誌即売会で写真集を売っていると、ときどき見える人から話を聞くことがある。  絶対に神社関係のものに関わるのはやめておけと。  見える人たち曰く、問題物件でも霊などはそこまで大したことがないらしいが、神の祟りは洒落にならないものが多いから、それには絶対に関わるなと。何人も同じことを言うものだから、それは本当のことなのだろうと桃井も理解していた。  雛は小さく頷く。 「この辺り一帯は、代々おしら様を祀っていたから。年に一度きちんとお祭りをして、今年できた絹を奉納していたけれど……外からやってきた製糸場のオーナーは、立地条件が一番いいのはおじいちゃんたちのいた神社だとして、神社の移動と製糸場の建築を持ち掛けてきた。村一同で反対したら一旦引いたけれど、オーナーは懲りることなく、今度は大きな市に賄賂を送って蚕月村の合併をするよう促してきた」 「それは……でも、証拠は?」  雛は小さく首を振る。  状況証拠しかないんじゃ、村の吸収合併を止めることはできなかったのだろう。 「おじいちゃんは本社に、せめて今年の儀式が終わるまで待って欲しいと嘆願したけれど、本社はオーナーからのお金に目がくらんでしまって、おじいちゃんの嘆願は揉み消されてしまった。おじいちゃんたちは村の人たちから憎まれながら、村を後にしたけど……儀式が終わっていない間に、村をならして製糸場をつくったのは間違いだった」 「……それで、ここでなにがあったの……?」  桃井が尋ねるが、雛は首を振った。 「……これ以上は言えない。よそ者のあなたたちを巻き込みたくないから」 「え……?」 「お願いだから、夜は絶対に宿から出ないで。夜が明けたら、あなたたちは帰られるはずだから……夜に外に出たらどうなるのか、私もわからない」  それだけ言うと、雛は立ち去って行った。  桃井は茫然として、去っていく彼女の小さな背中を見送っていた。真っ黒な髪に真っ白な肌。コントラストがまぶしいが、それよりも桃井の目に鮮やかに映ったのは、彼女の悲壮感に満ちた、歯を食いしばる危うい美しさであった。 ****  ほのかは怒っていた。ものすごく怒っていた。 「ああんっ、もう……!!」  枕を布団にボスンッと投げる。力任せに投げても、それで職員施設を壊す勇気も、弁償代を支払う気もないのだから、所詮は気の小さい女であった。どこぞの小説家に「小物」呼ばわりされて逆上しかけたが、それはあまりにもその通りだという自覚があったため、それを認めるわけにはいかなかったからだ。  彼女は布団を引っ張り出して、その上でごろごろと転がっていた。明日の朝までは自由行動だが、今回のツアー客がこのなにもない村で探索して、暇を潰せるのかは知らないし、知ったこっちゃない。  そもそもほのかは、こんな訳のわからない見学ツアーのバスガイドになりたくって、厳しい研修を受けた訳ではない。  旅行が好きで、観光が好きで、その中でハキハキとしゃべるバスガイドに憧れて、自分も同じ道を進みたいと思うのは、至極当然な行動であったが。彼女の入った会社はいわゆる「ハズレ」であった。  営業がトンチキなのか、会社の偉い人がアホなのか、この会社の企画、会社の企画が奇妙奇天烈なものばかりだったのだ。  ほのかが入社したばかりの頃は、まだ果物狩りツアーやお菓子工場見学ツアーなど、バスツアーとしても至極真っ当なものしかなかったが。  営業がなにを思ったのか「廃村七不思議体験ツアー」なんて奇天烈な企画を出して、それが会社の規定以上の売り上げを叩き出してしまったのがいけなかった。  それ以降「縄文時代体験ツアー」で縄文土器をつくったり貝を食べたりするひもじいツアーが行われたり、「夜間工場見学ツアー」で夜間に工場の明かりを見守るだけのツアーが行われたりと、どれもこれもしょっぱいものであった。  付き合ってられないとさっさと退社する者が増え過ぎたせいで、乗り遅れたほのかは会社を辞めることも、転職することもできずに、こうして今もやる気のないバスガイドをしているが。  今回のはいったいどういうことなのか。  会社の偉い人が買い取って観光地にしたという蚕月製糸場に行くと聞いたら、転職した先輩から「悪いことは言わないから、あんたは絶対に先に神社でお祓いしてもらってから行け」と言われたので、高いお金を支払って神社で祈祷をしてもらってから来たが。  ツアー参加客が変人ばかりなのは、まだギリギリ許容できる。真っ当なツアーには真っ当な客しか来ないが、こんな変人しか寄ってこないようなツアーに参加するような客は、女目当てな脳内下半身男か、生粋の変人しかいないのだから。だが他は我慢できない。  蚕月村付近に着いた途端に寒気が止まらなくなったのだ。昔から人が感じないような気配にはちょっとだけ敏感なほうだとは思っていたが、ここまではっきりと感じたことなんてないし、うちの会社なにこんなやばいことやっているんだと、寒気が止まらないのだ。  私有地には得体の知れない子供が不法侵入してくるし、蚕月製糸場には、粘ついた気持ちの悪い気配が付きまとっていたので、頑張って覚えた解説内容もところどころ飛んでしまっていた。仕事な上に、明日まで東京に帰れないって条件さえなければ、Uターンして会社に辞表を叩き付けるところであった。  職員用施設で食べる食事はまずいし、宿泊室はボロいし、下手したら制服が井草だらけになるから、布団を敷いてその上に転がることしかできなかった。 「もういや、もういや、絶対にいや、もう東京に帰ったら絶対に辞表出してやるっ……! 私は充分に頑張った! セクハラにもモラハラにも耐えたし、営業死ねと思いながら変態ツアーにも充分耐えた! でももう我慢ならない! 絶対に辞めてやるんだからぁぁぁぁ……!!」  ほのかがひとり、がなり声を上げている中。  カサリ……と窓から音がした。それにほのかは「ひいっ……!」と悲鳴を上げる。残念ながら今は先輩も嫌いな営業も上司もいないため、虫が出てきてもひとりで対処するしかない。  おそるおそる振り返ると、そこにはプリプリと太った芋虫が転がっていた。 「な……なによぉ……私、虫触れないのにぃ……」  触れない以上、見なかったことにするしかない。ほのかは虫に背中を向けるが、見ないようにしようとすればするほど、虫の気配が強くなるような気がする。  結果。布団をかぶって不貞寝を決め込むことにしたのだ。  こんな真昼間からなにやってるんだとか、ツアー客どうするんだとか、もう知らん。明日の私が考える。  ほのかは自棄を起こしていた。
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