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今回ほどハズレな廃屋ツアーはねえな、と桜は思いながら、作り物めいた廃村をプラプラと歩いていた。
桜はそこそこ有名私大に通っている大学生だが、とにかく女遊びが激しかった。
合コンで女子のドリンクに細工をして持ち帰ったり、新入生がキャンパス内を迷子になっていたら親切に声をかけてみたり。遊び慣れているような女子は、ほとんどは桜を相手にしない。彼に引っかかるのは、生真面目が過ぎて男慣れしていない女子ばかりだ。
しかしこうも女子が同じ反応ばかりするので、だんだんつまらなくなってきたために、桜が次に目に付けたのは、バスツアーだった。
城巡りや御朱印集めなど、渋い趣味を持っている女子の大半は男慣れしていないために、そこに紛れ込んで、適当に甘い言葉を囁くようになった。しかし趣味に生きている女子は意外と身持ちが固く、桜の声によろめくようなことが意外とない。ときどき引っかかる女子もいるが、あまりに面白みがない上に処女は面倒だった。嘘のアプリIDを教えてポイ捨てを繰り返しているうちに、だんだんそちらも飽きてきた。
そこで思いついたのは、廃屋ツアーや廃村ツアーであった。田舎の人間は内部はともかく、外部の人間には基本的には親切だ。おまけに下手にネットに強い人間もいないので、悪評を世界中にばら撒かれることもない。
旅の恥はかき捨てだと、行きずりの女子と遊ぶために参加しているのだが、このところどうにもハズレしか引かないのだ。
今回のツアーは参加客があまりにも少なかった。おまけに女はポンコツなバスガイドしかいない。あの小説家とか言っていたものは女判定する気には、桜はどうしてもなれなかった。この地にやってきた女の子はなかなか可愛かったが、あのカメラデブに止められてしまったし、またもあの小説家に邪魔されてしまった。
もういい加減、マシな女がいないから、この手のツアーに参加するのはやめておこうか。萎びた廃村では、どのみち若い女を引っかけることはできなさそうだ。
桜はひとしきり自分本位な考えをまとめ、夕食までどう過ごすか考えていると。
「桑の実酒はいかがですか?」
お土産屋の一画に、若い女性が店番をしているのが見えた。この辺りでお土産屋を構えているのは年寄りばかりだと思っていたが。黒髪に切れ長の目と、なかなかな美人である。
桜はきょろきょろと視線をさまよわせる。今回のツアーでさんざん邪魔をしてきた小説家と舎弟らしいメガネは見つからない。
鼻の下を伸ばしながらやってきたら、店先には鮮やかな赤紫の見えるリカー瓶が並んでいた。
「二杯もらえる?」
「……水で割ってますけど、二杯も飲まれたら悪酔いしますよ?」
「君の分だけどさあ」
彼女はきょとんとしているのに、桜は笑う。彼女の反応は男慣れしていないから、上手くやれば夜の相手くらいにはなるだろう。
「俺ひとりだと味気ないしさあ。君も一緒に飲もうよ。お金は払うから」
「ええっと……それなら、飲みましょう」
彼女はグラスに氷を入れ、リカーから赤紫色のお酒を入れ、水を注いでかき混ぜてから、桜に差し出した。桜はお金を支払いながら、彼女と「乾杯」とグラスを鳴らす。
こんな味気のない旅で、面白みのないツアー客、まずい飯と見るところのなかった旅が、初めて楽しいと思えた。勧められた桑の実酒は初めて飲むが、甘酸っぱくて美味い。ベリー酒の一種みたいだ。
「美味いなあ……桑の実って、外の森の?」
「はい。桑の葉は蚕にあげて、実は人間が食べるんです。桑の木に生かされてたんで、この村は」
「ふうん……詳しいねえ。お土産屋やってるとそうなるの?」
たしかほのかも棒読みながら、説明はしていた。既に村は廃村になっている以上、彼女もお土産屋のために覚えたんだろうかと桜は暢気に考えていたら、彼女は少しだけ笑みが浮かぶ。
ずいぶんと、蠱惑的な笑みで、桜はゾクリとした。
「この地で暮らしていたら、愛着が湧くんですよ。あなたはどうですか? 故郷ってそんなものでしょう?」
彼女と桜はカウンターひとつ分距離を空けている。しかし、何故か彼女の言葉のひとつひとつが、桜の鼓膜に直接ふっと息を吹きかけられたかのように、甘く痺れるのだ。
少量な上、目の前で水と氷で割られたにもかかわらず、アルコールがひどく回ったようで、やたらと体が熱い。
「いやあ……どうだろね? 東京だったら……あんまりしがらみもないし、コミュニティーも希薄だから」
「そうですか? 蚕月村は今でこそ皆バラバラにされてしまいましたけど、いつかは必ず戻ります。無くなってしまったのなら、やり直せばいいだけなんですから」
彼女の言葉はひどく耳に心地いい。ひとつひとつが、今口にした桑の実酒のように染みわたっていく。
あれ? 蚕月村は既に吸収合併で消失したとか言っていたような。あれ? 無くなった村をやり直すってどうやって。あれ? あれ?
だんだん頭がまとまらなくなってきた。
ぐるぐる。まるで頭から糸が出るように、絡みついて、絡まって、わからなくなってきた。
「あなたも、私と一緒に行きませんか? 今晩、お祭りなんです」
そういえば。製糸場前で出会った子が、夜は宿にいろと言っていたような。村を挙げてのお祭りか。よそ者は参加しちゃ駄目なのか。
……まあ、いいか。
一瞬頭が絡まってぐちゃぐちゃになり、アルコールのせいか頭がふわふわしていたようだが、急にすっきりしてきた。
……あれ、さっきまでなにを話してたんだっけ。桜は思い出そうとしたものの、たしかに聞いた話をひとつも思い出せないことに、ただ首を傾けた。
「あー、ごめんね。アルコール回って、一瞬だけ意識が飛んでたわ。あ、今晩空いてる? 連絡先とかある?」
彼女はにこりと笑った。初心な笑い方だった。彼女は綺麗な手でさらさらとメモを書いてくれた。アプリを入れない主義なのか、スマホの番号だった。
「夜、遊びに行くから」
「ええ、楽しみにしています」
彼女の口角は、きゅっと上がった。
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花月と暮春は、宿の売店で買えるだけペットボトルのドリンクを買っていた。東京でも販売されているメーカーのものだけを選んだ。
「多分、これで大丈夫とは思うけど。それじゃ、行くか」
「はい……ですけど、蚕がまずいっていうのはどういうことですか?」
「んー……どこから説明するのが妥当かなあ」
村のお土産屋の並びを歩きながら、花月は空を見上げる。平和な田舎の光景にも見えるが、これだけだだっ広いところに森だけ広がっていて、民家がひとつもなく、あるのがお土産屋と宿場しかないというのは、どことなく落ち着かない雰囲気になる。
ひとまず村をぐるっと一周しようと歩きはじめる。
「古事記にも養蚕の話が出てるって言っていましたよね。俺、該当部分はあまり知らないんですけど」
「まあ、養蚕に限らず、生き物や食べ物取り扱っているものにはだいたい神が関わっているのがこの国だよ。特に生き物の飼育の場合は、人間の手だけでなく、人間の手の及ばないところ……冷害だったり、水害だったり、逆に日照りだったりな……そこをどうにかしてくれとなったら、神頼みに発展する。特にここ、蚕月村じゃ、蚕は養蚕じゃなくって、自然で育ったものを収穫して糸を採っているんだから、余計に自然にすがるし、神頼みもしたくなるって訳だな」
「そうですか……たしかに水不足でも、水害でも水の神に祈祷をしたりするっていうのは、平安時代から存在しますよね」
「そうそう。で、養蚕の神様っていうのも古事記レベルで大々的に祀っている神社もあれば、民間レベルで民家にそれぞれ祀っているレベルのもある。おそらく、蚕月村では、村の名前にわざわざ「蚕」なんて入れているくらいだから、相当根深い蚕の神を祀っていたはずだけれど、ここにはそれを祀るものがひとつもない。製糸場の付近に祠でもあればよかったけれど、それがひとつもなかった」
「うーん……それは、村が合併で消失するときに、なくなったってことでしょうか……」
「そこなんだよなあ。まずいなあって言ってるのは」
「ええっと? すみません。まだ全部はわからないんですが」
花月は空を仰ぐ。ちぐはぐな雰囲気な村も、空だけはどことも同じ青い色が広がっている。
「蚕の神っていうのは、どれもこれも信心深い人間に対しては優しい神様だよ。きちんと敬ってくれて、記念日になにかしらもてなしてくれたら、悪い気になる奴ぁいないわな」
「花月先生、それじゃ神様が人間臭すぎませんか?」
「似たようなもんだよ。だが、いきなり上げられていたのを落とされたら、誰だって面白くないもんだ。蚕の神もそれは同じ……というかあれだな。逆か」
「逆……?」
花月の話があっちこっちに飛ぶので頭が痛くなりながら、どうにか暮春は彼女の話についていこうとする。
彼女はぽん、と思いついたように言う。
「神にしろ妖怪にしろ、呪うし祟るもんだ。祟られたくなかったら、祀り上げるしかないだろ。多分だけど、工場を建てた奴は、この村で信仰されてたもんに対しての見通しが甘かったんじゃねえの?」
「見通しが甘いって……」
「名前が通っている神様だったりしたら、その神様は力を持っているから、わざわざ喧嘩を売ろうとせずに諦めたかもしれねえけど、ここで祀られている神様は蚕の神くらいしか言われてねえ。だから、ただの村の因習だと舐めてかかって、祠ひとつつくらなかった。結果として、現在進行形で暮春が寒気が止まらないっていうな」
「ああ……なんとなく、わかりました」
村をほぼ乗っ取り同然で潰して、その上に工場を建てた。しかしその途端に呪われてしまった……それだったらまだ話が通りそうだが。
しかし、暮春はウェストポーチの塩に触れながら首を傾げる。
「だとしたら、あの村の子はなんなんでしょうか? ここで働いている人たちは、ここの観光地で雇われている人ってことですよね? あの子だけは説明付かないんですけど」
「うーん、そこなんだよなあ。そもそも今晩、なにがあるっつうんだ。あの子、今晩は絶対に宿から出るなと言ってたってことは、逆に言えば、今晩なんかあるんだよなあ?」
花月はガリガリと頭を引っ掻く。今晩、この村でなにかが起こるらしく、巻き込まれたくなかったら宿で知らぬ存ぜぬをするべきなんだろうが。
実際、暮春本人としてみれば巻き込まれるのはごめんだった。彼は見えるし、聞こえるし、ついでに言えば触れてしまう。なによりも相手は祟ってくるとはいえど、この村で信仰されていた神らしきなにかだ。そんなものと関わりたくなんてない。が、花月は暢気に「いつ宿を出よう」と言っている。
……担当作家に死なれてしまっては、次の原稿が取れない。
「まさかと思いますが、あの子が忠告してくれたのに、外に出る気ですか? あの子、赤の他人のことなんて放っておいてくれてもよかったのに、教えてくれたでしょう?」
「んー、お前は見えるし聞こえるから、いろいろと駄目だろ。でも俺、零感だしなあ」
「相手、土壌神かもしれないんですよ!? やめときましょうよ!」
暮春が悲鳴を上げても、花月は暢気に笑うばかりだった。彼女は答える代わりに、ウェストポーチから煙草のカーポンを取り出し、ライターで煙草に火を点けた。
揺らめく紫煙をくゆらせながら、彼女は笑う。
健康被害とか、煙草税の増税とか、禁煙の場所が増えたとかで、このところ煙草を吸える場所は減ったが、それでも彼女は煙草を欠かしたことはなかった。ミントタブレットで口寂しさは誤魔化せても、喫煙欲は薄れることはないのだから、禁止されていない場所で吸うしかない。
彼女が煙草を吸うときは、大概は自身の考えをまとめたいときだ。彼女は現状、状況判断だけで村の出来事を推測しているに過ぎず、真相とどこまで近いのかはわからない。わからないのなら、足で情報を拾うしかない。
「悪いなあ、暮春。やっぱ俺ちょっと行ってくるわ」
「あのですねえ、花月先生。いくら長身で一見どっちかわからなくっても、あなた女性なんですよ!? そんな人をひとりで夜間に外に出せる訳ないでしょ!」
「えー、見える奴外に出す訳ゃいかねえだろー。いいよ、俺は。ひとりで見てくるから」
「ああん、もう! わかりましたよ! 行きゃいいんでしょ、行きゃ!」
本当にこの作家といると、ろくでもない。しかしたとえ女に見えなかろうが、零感だから祟りとか呪いとかそもそも効くのかも怪しかろうが、この人ひとりで行かせて万が一のことがあってもいけない。
危ないと判断したら、さっさと逃げられるように、ひとりで行くよりもふたりで行ったほうがましだろう。
どこかでポタリ。と音がしたような気がした。
それにビクッと暮春が振り返ると、何故か太い蚕の芋虫が蠢いていた。
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