午後六時:旧蚕月村跡宿場

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****  職員用宿泊施設に戻ったほのかは、自室に戻ると化粧を落とし、制服から寝間着に着替えると、そのまま布団を被ってガタガタと震えていた。  今は空調すら付けていないというのにひどく冷え、布団を被っても寒気が止まらないのだ。 「なんなのよ、いったい本当になんなのよ、ここは……!」  今までも、さんざんひどい目に遭ったとは自負していたほのかであったが、今回みたいなことは初めてだった。  私有地に不法侵入者が現れるとか、客が身勝手だとか、そこら辺までは嫌な話、さんざんキワモノツアーの際に出くわしてきたが、客を泊めていた宿が火事だったなんてのは初めてだった。幸いどの客も火事に巻き込まれて死ぬことはなかったが、なにかあった場合、ほのかの会社が訴えられてもおかしくはない。  このまま大人しく職員用宿泊施設で寝てくれればいいが、土産物屋の人間とよろしくやりに行ってしまった桜以外は、何故か神妙な顔つきで小皿に塩を盛り、並べはじめたのだから、勘弁して欲しい。 「な、なにやってるんですか! もう大人しくしてください、部屋に戻ってください」  もうこいつらのお守りはごめんだと思っているほのかの気持ちに嘘偽りはないが、客は真面目だ。暮春と名乗っていた細いほうのメガネは、気を遣ったような声色を向けてきた。 「あの、俺たちはちょっと用事がありますのでこれから出かけますけど。結界を張りますから、どうかそこから先には出ないでくださいね」 「結界ってなんですかあ……」 「盛り塩の結界なんてたかが知れてるけど、なにもしないよりはマシって感じだからなあ。姉ちゃんも早く休めよー」  いい加減にしてくれ。他の職員にどんな顔で言い訳すればいいんだ。ほのかはもうなにも突っ込みを入れる気力もなくなり、「用事終わったら大人しく眠ってくださいよー」とだけ言って、自分の部屋に戻った次第だった。  布団の中で、ほのかはバタバタと足を動かす。 「東京に帰ったら辞表出してやる。頑張って勉強してもこんな意味わかんないツアーばっかり任されるんじゃ……次はもう観光業界辞めてやる……」  ほのかは溜まった鬱屈を吐き出しながら、枕に顔をうずめている中。  布団を敷いている畳がカサカサ鳴ることに気付き、耳をそばだたせる。  先程どこからか落ちてきたねっとりとした芋虫が、這っていたのだ。それがほのかめがけて這いずり出したことに、ほのかは顔を青褪めさせる。 「な、なによぉ……ここには桑の葉もご飯もないんですけどぉ……」  気持ち悪いし、そもそも蚕の幼虫はこんなんだったんだろうか。ほのかは布団を抱きしめたまま、後ずさりするものの、芋虫は粘液を垂らしながら、ほのかの元へとやってくる。  やがて。芋虫は粘液をほのかに吐き出した。これじゃあ芋虫ではなく蜘蛛じゃないか。そんな突っ込みを入れる暇もなく、ほのかは白い粘液を次々と吐き出される。 「ちょっと……なによぉ……これ……やだ、取れない……」  その粘液を取ろうとすればするほど粘液は固まる上に、その固まった粘液は、指で触るとつるつるとする。  蜘蛛の糸であったら人間の力で簡単に切れるというのに、生糸……絹糸は、世界中で研究開発されている化学繊維は全て絹糸を参照してつくられている。天然の強度を誇っているのが、絹糸なのだから、手で千切ろうと思っても千切れるものではなく、切るとなったらハサミが必要だ。  じたばたともがけばもがくほどに、糸がきつくほのかを縛り上げていく。やがて、糸は完全にほのかを覆いつくしてしまい、彼女の視界は絹糸の白で覆いつくされてしまった。  部屋を俯瞰して見たのなら、人ひとり分の大きさの繭玉がごろりと転がっているように見えるだろう。ほのかはそれでもばたばたとどうにか糸をほどこうとするが、今はこの職員用宿泊施設には、客はいない。 ****  空を見上げたとしても、闇が広がるばかりで星ひとつ見つけることができない。うっすらと雲が広がり、空から蚕月村を隠してしまったのだ。  旧蚕月村には宿場町以外に外灯は並んではおらず、田舎道の足場も不安定だ。そこをタッタと砂を蹴って走る音が響く。  雛は闇に紛れて走っていた。  白衣に緋袴。手には風呂敷を抱えている。闇の中で白は目立ち過ぎるが、儀式を終えるためには仕方がない。黒く長い髪は、邪魔にならぬように縛り上げた。  密やかに声が聞こえることに、彼女は顔をしかめた。 「桑の木人形は?」 「今夜はひとりだけ。でも去年の分や一昨年の分の備蓄があるから、もう少しだけもつと思う」 「供物は?」 「少し見た限りでは、観光客が三人ほど。あとひとり宿にいたから、繭玉を放り込んでおいた。これで供物になる」 「四人か……今年はまずまずか」 「おしら様もずっと腹を減らしてらっしゃるのだから」  そこまで聞いて、雛は泣きそうになりながら、走っていった。  もうこれ以上、蚕月村に関わるべきではないと、雛の母も父もきつく言っていた。祖父が無念の内に死んだあと、祖母も同じようなことを言っていた。  それでも、雛は諦めることができなかった。  雛は蚕月村が繭玉を集め、それぞれの家で糸を繰り、絹を織っていた頃を知らない。おしら様を祀り、敬っていた頃を完全に知っている訳ではない。全て宮司だった祖父から聞いた話であり、あの村で起こった呪いを全て知っている訳ではない。  儀式を滞りなく終わらせることができたとしても、全てが元通りになって、めでたしめでたしになることはありえない。この村が失ったものがあまりにも多いのだから。  ただ、怨嗟を幾ばくか和らげるだけ、この地の呪いが少しだけ祓われるだけだが、この地の呪いを完全に消し去ることは不可能だろう。 「……せめて、あの人たちが無事だといいんだけれど」  話を聞いた限り、既にふたりほど村民に捕まってしまったらしい。あと三人いると聞く。  彼らの無事を祈りながらも、雛は走っていった。  蚕月製糸場。本来、蚕月神社が存在していた場所。儀式を行うべき場所。そこで儀式を終えることができたら、今年一年は安寧のはずなのだから。 ****  花月と暮春、桃井は息を殺して、辺りを伺っていた。  自分たちを追いかけてきたゾンビのような得体の知れないゆらゆらした動きの人間。彼らに追い掛け回されてわかったことがいくつかある。  彼らは人を見つけたら追いかけてくるが、距離が一定間離れたら追いかけてこなくなること。  見て判別しているのかと思ったが、どうも足音や声で人を判別しているらしい。 「んー……あのゾンビ本当なんだろうなあ」 「花月先生、止めましょうよ、その言い方……」  暮春は顔を青褪めさせて、鳥肌が立っている肌を衣擦れがしないようにゆっくりとさすって抗議する。  桃井は渋い顔で、辺りを伺っていた。  得体の知れない動きをするゾンビのようななにかは、ゆらゆらした動きでゆっくりと歩き回っているが、それは明らかに自分たちを探しているようだ。 「あのう……自分はてっきり、神社で祀られていた蚕のせいで、村は呪われたって思っていたんですけど……どうしてゾンビなんでしょうか? ゾンビはバイオハザード……科学工場の災害の産物ですよね?」 「んー……俺たちを目で居場所を判断してないこと、音で場所を特定している特徴、あのゆらゆらした動きを見て、ゾンビじゃねえのって言ってるだけで、ここで起こったっつう事件がバイオハザードだとは断定してねえよ。そもそも製糸場で繰糸の工程を見てたけど、それでバイオハザードが起こりようがねえだろうが」 「そうなんですけど……雛さんが夜に出歩くなと言っていたのは、こいつらのせいでしょうか?」 「さてねえ……土地勘がねえ俺たちがこいつらに見つかったら詰むって思ったのかもな、あの子も。なあ暮春」 「……なんですか」  暮春は未だに寒気で袖を擦り続けている。 「あいつら、俺たちが職員用宿泊施設から出たのを見計らって追いかけてきたよな? どうして中に入ってこなかったんだ? 入ってきたら全滅しただろうに」 「そういえば」  思えば、雛も「夜は宿から出るな」と言っていたのだ。あのゾンビは建物の中に入れないんじゃないだろうか。それは四方の盛り塩でつくった結界が原因なのか、建物に入っていたのかは特定できないが。  そして花月は暮春を見た。 「それに、お前が寒がってるってことは、どう考えてもあいつらはバイオハザード系のゾンビじゃなくって、怨霊か神か知らねえけど、それのなり損ないのほうだろ。暮春、塩はあとどれだけある?」  それに驚いた暮春は、ウェストポーチから塩を取り出す。まだ三袋分は優にある。手に少し盛ってみても、ゾンビらしきものを追い払うのには充分対処できるだろう。  ひと袋分ずつ、全員に塩を配る。 「ちょっと音を出せ。それでゾンビが大量に表れるかもしれねえけど、冷静に対処しろよ」 「冷静とか……無茶言わないでくださいよ……ゾンビが来てどうして冷静に対処できるんですか……」 「実験でくたばったら世話ねえし、どっちみち製糸場に辿り着かなかったら意味がねえだろ」  そう言うと、桃井は手を挙げる。 「シャッター音で、充分ですか?」 「多分な。じゃ、塩が効いたらこのまま強行突破で製糸場まで走る。塩が効かないんだったら、次の対策練るまで逃げる。それで行こう」 「花月先生~、それ投げやりですよ……」 「バッカ、俺はホラーのうんちくは語れても対処なんてできねえし」  それもそうかと暮春が納得したところで、桃井が「行きますよ」と言いながら、首にぶら下げたカメラのシャッターを切る。  カシャッという音が響き、ゆらゆらとしていたゾンビたちが一斉にこちらに向く。そのままゆらゆらした動きのまま、走ってきた。それを見た途端、花月は手に塩を掴んで、「おら……!」と声を上げながら振りかぶった。  塩の粒が当たった途端、ガクン、と膝をついて、そのまま倒れてしまった。 「あの……ゾンビは倒せたんですかね!?」  暮春は鳥肌が立ち、寒過ぎて吐き気すら込み上げるのに耐えながら、塩を撒くべきかためらっていたが、花月は声を張り上げる。 「んなもん、確認してる暇ねえだろ!? 倒れたんだったらそれでいいんだよ。そのまま塩撒きつつ走んぞ……!」 「はいぃぃぃぃ……!」  ゾンビなのか人なのかわからない奴が、塩を撒けば倒れていく。これが神社でもらったお清めの塩だからなのか、そもそも塩に弱いのかがわからない。  ただ、桃井が時折シャッター音で威嚇をしつつ、ゾンビを集めて花月と暮春が塩を撒くというのを繰り返していたら、ようやくゾンビらしきものもいなくなってきて、製糸場のほうも見えてきた。が。  製糸場のほうを見てみれば、明らかにゆらゆらとしたゾンビらしき連中の数が増えてきていた。 「なんでしょう……あいつら、ここに用でもあるんでしょうか?」 「うーん……どうもしっくり来ないんだよなあ」  製糸場近くの桑の木に身を潜めながら、花月は首を捻る。それに桃井が尋ねる。 「花月先生? しっくり来ないっていうのはどれのことですか?」 「うーん、仮説すら情報が足りなくって立てられねえから当てずっぽうだけど。このゾンビっぽい奴らが、俺たちを捕まえようとする理由はなんとなくわかるんだよな。もしおしら様を穢された、よそ者なんか皆死んでしまえって思ってるんだったら、よそ者である俺たちを供物として捧げるだろうなあと。でもそれだったら、ここでゾンビたちが通せんぼするとは思えないんだよな。だって、製糸場が神社跡なんだから、そkにゾンビが群がってたら、普通に邪魔だろ」 「……それもそうですね。ゾンビを大量に群がらせるよりも、門番みたいなものを配置したほうが効率よさそうです」 「むしろ、ここで行うことを邪魔してそうな気がするんだよなあ。なんというか」  花月は何度も塩を振りかけたせいで塩粒できらめいてしまった手でピースサインをつくった。 「儀式、ふたつあるんじゃねえの? ゾンビを操ってるほうと、あの子がやろうとしているほうと」  それに、暮春は絶句する。  桃井は声を上擦ったまま、花月に言葉を漏らす。 「……ちょっと待ってください。雛さんがやろうとしていることを、ゾンビがやめさせようとしているってことで、雛さんが阻止しようとしているのは、ゾンビがしようとしている儀式……!? 同じ蚕月村の元住民なのに」 「うーん、雛って子は、もうまた聞きで蚕月村のことを完全に知ってる訳じゃなさそうだったけどなあ。でもそこにゾンビたちがいるってことは、まだあの子も中にはいない……」  そこまで花月が言ったところで。暮春の背中がとんとんと叩かれた。暮春は花月の後ろにいるし、桃井は暮春の隣にいる。じゃあこの手は。 「ひっ……!?」  悲鳴を上げそうになった暮春に、ひと差し指で「しぃー……」と言っていたのは、風呂敷を持ち、巫女装束に身を包んだ、今ちょうど話していた雛、その人であった。
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