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「カワイソ」
私は愛されている。そんな自信の滲む声を受け、子供相手に張り合って“可哀想”と、内心で馬鹿にする。していることはお互い様でも、視線を上げられない潤のほうが“カワイソウ”であることは、間違いなかった。
「ねえ、親に愛されないってどんな気持ち?」
好奇心に揶揄を混ぜた悪意だらけのそれに、潤は聞こえないふりをしてリビングへ入る。父親という肩書きだけの男と、下品な女に荒らされた家のなか。そこだけは、まだ寝起きのように空気が澄んでいた。
さて、朝ごはんはどうしよう。朝から料理なんてする気にもならないし、出来るような腕も持ち合わせていない。ゼリー飲料や菓子パンの類も在庫切れ。
いつもはどうしていたっけ、と。そこまで考えて、潤は昨夜買ったコンビニ弁当を見ていないことに気がついた。あれは、どこに置いたのだったか。
「──ねえってば!」
なんだか不明瞭な思考の中を彷徨っていた潤を、そのヒステリックな声が現実へと引き戻す。驚き、目を瞬かせる潤に、女はネイルの綺麗な手を振り上げた。
「可愛くないガキ」
皮膚を打つ乾いた音が消え、静寂が満ちる。女は興奮したように息を荒げ、何も言わない潤の髪を掴み上げた。「いいことを教えてあげる」と、憎悪と侮蔑色の瞳が愉悦に歪む。
「あの人、あんたのこと家族だなんて思ってないよ。息子がいるなんて誰も知らないし、結婚してたことすら、多分誰にも言ってない。この意味、分かる?あんたの母親も、あんた自身もいない事になってんの」
髪が抜ける勢いで引っ掴まれたまま、がくんと頭が揺れる。痛みはどこか遠く、投げられる毒もなんだかぼやけていて、他人事のように何も感じない。
慣れというのは、こうやって人を壊すのだろうか。
「いい加減、消えたら?いる意味ないでしょ」
ゴミを見るように潤を見下ろし、女はそう吐き捨てる。母親でもない彼女にそんなことを言われてなお、潤は顔色ひとつ変えなかった。
気味悪そうに、女が舌を打って潤の頭を離す。
「一華」
見計らったようなタイミングで、低い男の声がリビングに響いた。女と一緒に視線を動かし、扉から向こうに立つ“父親”の姿を目に映す。
「用は済んだ。行くぞ」
「はーい」
頬を打たれ、髪を引っ張られている様を、あの男は見ていただろうか。潤は、ちらりとも合わなかった視線を思い、ゆっくりと頬に触れた。
「……腹減ったな……」
ヒールの音が遠ざかり、ガチャリと鍵のかかる音がしたら元の通り。家にいるのは、潤だけになった。
夢じゃなければ、よかったのに。
父親には認識すらされず。母親にも捨てられ。他人からでさえ、憎悪しか与えられないのに。生にしがみつく理由なんて、どこにあるというんだろう。
潤は疲れたように息を吐き、乱れた髪をくしゃりと掴んだ。腹が鳴る。なんだかとても、面倒だった。
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