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「なんか親に捨てられたって聞いたけど」
「まじかよ、ウケる」
「昴もあんなやつ、相手すんなよな」
「……、うん……」
つかつかと彼らから離れる潤の耳は、嘘とも真とも言えないその悪評をちゃんと聞き取っていた。
相手にはしない。時間の無駄であることと、結局勝ち目がないことを知っているから。
「……もう少し、優しく接したほうがいいのでは?」
教室のある3階を過ぎ、昇降口から職員室側の廊下を歩く潤の背に、ぽつりとそんな声がかかる。潤は、連れられているはずなのに身軽な航を、ちらりと振り向いてみた。赤い目が、じっと潤を射抜く。
「優しくして。どうなんの」
「少なくとも、さっきのようなことはなくなります」
「……っは。あれがなくなったからって、俺とあいつらが親しくなれるわけじゃない。親に捨てられた俺を、赤の他人が、欲しがるわけない。意味ねえよ」
乾いた笑みと自ら吐いた毒が、じくじくと己が身を蝕んでいく。潤は赤を見ているのが怖くなって、視線を戻し、何も考えずに足を進めた。
職員室の前を過ぎ、保健室も通り過ぎる。管理員室の手前、職員用トイレの脇でようやく、潤はその足を止めた。
「……よく知ってましたね、こんなところ」
するりと、まるで煙にでもなったように潤の手から腕を抜いた航が、おかしそうにそう言って笑う。
校舎の端に位置しているうえ、階段の影になっているせいでほとんどの人はここに手洗いがあることを知らない。人目を避けるにはうってつけの場所だった。
「あいにく、教室に居場所がないもんで」
「そんな感じでしたね」
親しさという仮面を剥いだ航の敬語に、潤は、真実であれと願った夢の景色を思い出した。
細い月を映す、揺れる水面。背筋が凍るような赤と、夜よりも暗い漆黒の翼。そして、目の前の男。
「昨日のあれは……夢じゃ、ないのか」
尋ねる声が期待に震える。
航の赤い瞳が、やんわりと弧を描いた。
「残念ながら」
穏やかな声は、いとも簡単にこれが現実であることを認めた。心臓が、どくんと強く脈打つ。
夢じゃなかった。胸に膨らむ期待のまま、静かに瞳をきらめかせ喜ぶ潤の頭の奥で、自然のざわめく音と耳鳴りが遠く響いていた──。
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