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此処は街の中心部からやや外れた場所にある保育所。
この頃はキルスイッチが頻繁に出没する影響で、敷地外でのお散歩を控えている。今日も園庭の遊具で遊ばせたあと絵本の読み聞かせをし、今さっき全員お昼寝させたところであった。
この道五十年、芝原喜美子先生は毎日のことながら安堵の溜め息を落とし、この春採用になったばかりの若い保育士森川穣(もりかわみのる)に笑いかけた。
「いったいいつまでこんなことが続くのでしょうね」
こんな事とは当然、キルスイッチの猛威のことを云っている。奇態な格好をし街で暴れる怪人。その破壊の理由、彼らが何処からやって来るのか。何もわからない。
「なんでしたか、あの、ブラックなにやらさん」
「ブラックタイドですか?」
「それ。その方に頑張っていただいて。警察ではどうも、ああした犯罪者は相手にしにくいのだろうと思います」
ひたすら破壊を欲する。痛撃を忌避する、身を守る、安全に逃げる、それら在って然るべき概念の欠如。
穣も大きく頷いた。
喜美子先生は立ち上がり、
「ちょっと事務室行ってきます」
そう云ってスリッパを鳴らして立ち去った。
取り残された穣は見るともなしに園庭越しの街の様子を眺めた。静かなものだ。元々この街は小さな山の上に作られた大学病院を中心に計画的に造成された都市。人口は一万人ほど。
「トイレぇ」
英語の歌を諳じることが自慢のらいむちゃんが穣に寄ってきた。穣と結婚してあげてもいいと常日頃云っているおませな女の子だ。
「はい、行ってきてください」
自分でできる子は自分でさせる、これがこの園のモットー。
物音。
「なんだ?」
引き戸が開きらいむちゃんが戻ってきた、後ろを気にしている。
「どうしたの、なにかあった?」
首を傾げるらいむちゃん。
「モッフ」
「毛布?」
「モッフがいた」
「も、ああ」
それは朝八時からやっている幼児向け番組に出てくる、ベージュのモップのようなキャラクター。「モッフが?」
いるわけがない、寝ぼけているのだと穣は判じた。
「お昼寝しよ」
らいむちゃんは廊下を見つめたまま動かない。
「本当にいたの?」
「らいむ嘘つかないって、おかあさんと約束した」
「らいむちゃん、モッフはどっち行ったの?」
らいむちゃんは事務室を指差した。穣はらいむちゃんに再度昼寝をするよう云い、事務室に向かった。
妙な吐息と物音。
穣は事務室を覗いて固まってしまった。
そこには確かに、テレビで見たそのままのキャラクターがいた。
ふさふさの体毛、プラスチックで出来た眼球、虚ろな口、
「え、待てよっ」
モッフは喜美子先生の首を締め上げていた。穣は事務室に躍り込むと、躊躇せず体当たりした。モッフは体勢を崩し喜美子先生を手放した。
「なんだお前はッ」
尚も不穏な動きを見せる毛むくじゃらに、穣は腰が引けながらも何とか喜美子先生を助けようとする。警察に電話か、救急か。
穣は手近にあった事務椅子を振り上げ、モッフを打ち据えようとする。
人が、中に、
いくら暴行犯であろうと生身の人間を鉄製の椅子で殴るのは躊躇われた。それは至極全うな感情なのだが、結局勢いが殺しきれず、椅子は着ぐるみの足を打った。
モッフは呻き声を上げた。
女?
穣は事務室の壁に立て掛けてある防犯用のさすまたを手に身構え、片手で警察に連絡した。
あー! モッフだぁ!
物音に目を覚ました子供らが騒ぎだす。
「みんな来ちゃ駄目だ!」
モッフは足を引き摺りながら事務室を出た。痛みのせいか、分厚い衣装の奥から絶えず荒い息遣いと唸り声が聞こえる。
警察のサイレンが近づいてくる。
モッフは不格好に逃亡した。
※
「使えなかったね、ゴミだ」
「廃棄するか」
「短絡的。擦りきれるまで使えばいいだけ。それよりブラックタイドでしょ、あのヒーロー気取り。何の目的で私らに楯突いてるのか。兎に角邪魔で目障り、だからゴミ廃棄する前に、一個お使いさせようと思うの」
「シルバーマウンテンでは荷が重すぎる」
「あ、あのモップそんな立派な名前だったんだ。でもそうじゃなくて。調べたらさ、ブラックタイドがブラックタイドになる前、実験体にされた人間がいるの。そいつは今昏睡状態らしいけど、またぞろヒーローもどきに登場されても嫌でしょ。杞憂の芽はさっさと摘むのよ。相手が昏睡状態ならゴミ差し向けても処理できるでしょって話」
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