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「へえ、群衆に興奮する」  心療内科医沓形の許には今日も多くの患者が訪れる。  沓形は患者を見つめた。少女と云っても差し支えない、地味で冴えない女の子が黙然と丸椅子に座っている。  恥だと思っている。  普通ならば同級生に恋をしたりアイドルや俳優に憧れたりしていればいい筈が、人とは違うものに感応してしまう、当惑するほど激しく。性的感興を覚えてしまう。  有り体に云えば、変態。  この事実は少女には重い。耐え難いものがあるはずだ。ただでさえ脆く、酷く危うい精神バランスでなりたっている年頃、中にはそうした状況を楽しんだり、敢えて利用している強かな女子もいようが、目の前の少女は違った。  大勢の人間が群れている状況に性的興奮を覚えるなど、汚らわしい以外の何物でもないと苦悩している。  少女は悩み、医師は面白いと感じた。  まずは彼女に内在するものが何かを確定させなくてはなるまいと、沓形は改めて少女を見た。  秋坂万葉(あきさかまよ)、郊外にある私立高校に通う十七歳。  群衆に性的興奮を覚えることに煩悶しながら、動画配信アプリを使って所謂ネットアイドルのような活動もしているらしい。 「オクロフィリア?」 「群衆性愛と云うんだが、何れにしても聞きなれない言葉だと思う」  群衆を見る、触れることで彼女の脳内に興奮物質が爆発的に増加する。  万葉は思い詰めているようで、虚ろな目を何もない床に向けていた。  失礼と断って、沓形は席を外した。鍵を開け隣室に入り、静かにまた施錠する。  其処は、黒いゴムの衣服がずらりとぶら下がった暗い部屋だった。  部屋の真ん中に設えられた事務机の上のパソコンモニターの前に女が座っていた。モニターに映し出されているのは、今まさに診察を受けている万葉だ。 「どうだろう」 「なんだか使い勝手悪そうな子。だってあれでしょ、いっぱい人がいないと力が発揮できないんでしょ?」  その点あんたは簡単だもんねと女は吊るされたゴムスーツを見た。 「あれを着るだけで準備完了。何ならゴムの臭いを嗅ぐだけでもいいものね」 「それで」 「まあ、好きにしたら? 今は兎に角数を増やすことが大事だから」  女はマニキュアを塗っている。  ドアを開け、沓形は診察に戻った。 「失礼」  万葉は不安そうに沓形医師を見つめる。  沓形はその淀んだ目線を堂々と受け止め、鼻を鳴らした。  強い暗示をかけて、彼女の心に巣食った陰獣を解き放つ。  呪物を目にすることで、触れることで、感じることで、自分でも御しきれない魔物に飲み込まれそして、強い高揚と息が詰まるほどの興奮に脳から大量の麻薬が迸る。瞬間的に筋力は増し、視覚聴覚嗅覚触覚味覚が研ぎ澄まされる。  沓形は万葉から聞き出したURLで、彼女が嫌がるのも気にせずに“○○やってみた”だの、“○○歌ってみた”だの云った動画を見つめ続け、やがて口を開いた。 「秋坂さん、動画作りに参加してもいいかな」 「なんの話ですか? 私は治療をしてほしくて」 「病じゃない。治すんじゃなく、使いこなす。巧く乗りこなせたなら、あんたは化ける」  沓形は人差し指を万葉の眉間に差し向けた。  その後の万葉の動画、“まよねーずちゃんねる”に起こった変化と云えば、既成の曲ばかりを歌っていたものが、その大半がオリジナルの曲になったこと。決していい出来の曲ではなかったが、反響は大きくなった。  秋坂万葉。  ずば抜けて可愛いわけでもなく、歌が上手かったり声が良かったり受け答えが面白かったり色気があるわけでもない。しかし万葉の動画はあっという間に登録者数百万を数えるまでに成長した。実に万倍以上。  その仕組みは単純だ。  心療内科医にして能力のある催眠術師でもある沓形が、万葉の配信する動画に細工を施したのだ。  彼女の動画を見た人間、若干なりとも万葉に興味を抱いた者は強く暗示にかけられる。  万葉を愛せ、万葉に集え、万葉を守れ、  万葉を愛せ、万葉に集え、万葉を守れ、  万葉を愛せ、万葉に集え、万葉を守れ、            「イベントやるよー」  動画アプリのコメント欄が歓喜の声を上げた。
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