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19
人を殺したい。
少女は確かにそう云った。
診察室の壁を隔てた待合室には兄。
付き添いを親には頼めず、とは云え一人で訪れる気にもなれず、煩悶した結果、平素ほとんど会話のない兄に頼んだそうだ。
「人を」
はい、落ち込んだ暗い声で少女は返事をした。
「夢にまで見ます。動画も探せば見つかるので、そう云ったものも、見ます」
「動画ってのは、殺人の?」
「はい」
「それを見ると、どう、ああええと、何も気にしないで答えてほしいんだが、興奮したりする?」
「興奮、なのか、どきどきはします。見たくて見ているものなので、嬉しいわけじゃないですけど、見てすぐは満足します」
「その満足は長続きしない?」
「クラスの男子でも、どこそこのサイトがヤバイとか出回ったりして、それとなく教えてもらったり」
グロテスクなものを見てみたい。それは一種の肝試しや、悪趣味な度胸試しのようなものに近い感覚だろうか。
沓形が多感な時期、その当時はまだレンタルビデオの時代だったが、当時は信じられないほどそうしたものの規制が緩く、少年であろうと惨たらしい死体を撮影したものや暴力動画のビデオソフトを借りることができた。沓形自身は好んで見た記憶はないが、その内容を大声で吹聴している輩は確かにいた。ただそれは一過性の流行のようなもので、その後彼らが殺人を犯したなどという話は今以て聞かない。
少女は訥々と語る。
「時間が経てば満足感は薄れます。だから私はまた別の動画を探します」
落ち着いている。思い悩んでいるようだが取り乱すことはない。
「それ以前に空想します。好きな男子を殺す様、殺される様」
「殺される」
願望は表裏一体であるという。深層心理の欲求が表層に現れた途端逆転することは珍しいことではない。
「首を絞めたい? 心臓を刺したい? それとも火を」
「なんでもいいです、ただ」
殺意。
「殺意を抱くのは好きな人にだけ?」
「どう、なんでしょう。動画は外国のものがほとんどですが、年取っていようと子供だろうと男の人でも女の人でも、かっこいいとか、あでも、かっこいい人がいいな」
高校生ははにかんだ。
沓形はぞくりとした。
羞じらっている。
それは本当に純粋に好きなものを告白するときの気恥ずかしさに近い感情なのかも知れない。
「そんなことばかり考えていると目が冴えて。眠ることもできませんし、勉強しようにも集中できないし」
「ゲームしたりして気を紛らせたりはしない?」
「ゲームはしないです、時間の無駄のような気がして」
「なるほど」
この世に無駄なものはない、それは沓形の持論だ。無駄に思えるのは活用できていないだけである。
エロトフォノフィリア、殺人性愛。
殺人に触れること、思い描くことで彼女とともに今生に生まれ出でた魔物が覚醒する。
決めつけるのは早計、しかしその一方で間違いないようにも思えた。
「治したい?」
「病気なんですか?」
「病気じゃないが厄介だと思う。君が本当に殺人を犯したいなら、治したほうがいい。もう一回聞く、人を殺したい?」
はい。女子高生はどこか他人事のように返答した。
「どんな動画を見るんだ?」
沓形はノートパソコンのインターネットブラウザを開き、少女が普段閲覧している動画を検索するよう促した。
「それは」秘すべきこと、明かすべきではない事柄。
「嫌です、」
沓形は笑って見せた。
「俺も見てみたい」
「え、本当に」
沓形が頷くと、少女は戸惑いながらも検索エンジンに不穏な単語を幾つか並べ、検索を掛けた。
動画が再生され、沓形は生唾を飲む。
こんなものが誰でも見ることの出来る状況で存在していることに戦慄しつつも、動画を見つめる女子高生を観察するのを忘れない。
明らかに快楽を覚えている。
怖いもの見たさではない、彼女は純粋に殺人を嗜好している。
この、強く深い情動を利用する手段はないだろうか。
これまで沓形は治療の観点から人の精神世界の研究に励んできた。しかしこの時を境に、それは明確な分岐として、その情動を活かす方法を模索することをはじめた。
「その子は今何処に?」
女は当然の質問をする。
「殺された」
「え?」
「泥太宮太持の手で」
付き添っていた兄とは太持のこと。太持は妹を含めた養父養母を惨殺し、家に火を放った、とされている。
運び込まれた病院で緊急手術が行われ、皮膚移植に絡んで免疫の専門家であるところの武郷ロキに声が掛かった。
ロキと沓形は同じ病院に勤めている。
「大した交流はないがな」
そしてロキは、沓形とは全く別の、自らの研究の実験に太持を使った。
一家惨殺の極悪人ならば。
「実験で死んでも心は痛まないとでも思ったんじゃねえかな、恐らく」
それは沓形の預かり知らぬところ。
女は生欠伸のような声を上げて立ち上がった。
「誰が死のうと生きようとどうでもいいけど、今じゃその免疫のお医者様が正義の味方ブラックタイドなわけで、私らの邪魔をしてる。どうにかなさい」
「どにかするさ、どうにか」
そして沓形も立ち上がり、シャツのボタンを外した。
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