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「まさかお前、ただ待っていればいいカードが回ってくるとか思っているのか」
「金を払えば、運が良ければ、優しい誰かが、素敵なアイテムをくれるとでも」
「兎に角外に出なさい、パソコンやスマホの中は世界の一部分でしかないんだ」
つまらない日常、苦痛な毎日、つらい人生。
何もない空や、流れていく風景や、嫌いな顔や退屈な顔。思いもよらない事でも起こらないかと夢想する。
よもやのハプニングに、八面六臂の活躍をする自分を思い描く。虚しい想像だ、脳内自慰だ、現実逃避だ。
自分の頭脳を知れ。
機先を制する知識はあるか?
他を圧する情報が蓄えられているか?
自分の筋力を知れ。
先手を取ることができる走力があるか?
他者を捩じ伏せるだけの腕力があるか?
何も持たず何も鍛えず、偏った知識と虚勢を張るばかりの魂と貧弱な肉体で一体何が出来る、現実を直視しろ。
それでも、人は特別になりたがる。
目に見えて、わかり易い形で、“幸運”を“才能”を手に入れたがる。
天から授かる幸運など極限られた僅少なものであるのに、まるで金塊でも空から降ってくるとでも思っているのか。
後光差す宝剣が、
女神が、魔神が、スーパーヒーローが。
取るに足らない粗品が当たるか、それなりに珍しい貴重品が当たるか、空前絶後の絶品が当たるか。運試し度胸試しに人は熱狂する。何度屑を掴まされても一度でも絶品を手にしたことのある者なら、否それを手にした時の感動を想像出来得る者ならば、その高揚を得んが為、享楽の扉を開ける。
人生にそれほど分かりやすい展開はない。だから代用品で疑似体験をする。
遊戯や賭け事に近しい感覚を求める。
人生にそんなものは無いから。
つまらない。
辛い日常から出られない。窮屈だ、苦痛だ。
だから人は誤魔化す為に本を読む、映画を見る、ゲームに興じる。
わかっているから。そんなもの望んでも、いくら恋い焦がれても手に入らない現実が、わかっているから。
本当にそんな展開は望めないか?
そのことを思うだけで気分が高揚するような、力がみなぎるような、どんな苦難も乗り越えられるような物や状況はないか? それがあるだけで満たされる、満たされながらも追い詰められているような削られているような、不均等な感覚。
窒息寸前の充足感、溶けては甦る焦燥感。
それはまるで泥に咲く花。性嗜好異常、パラフィリア。
人ならば人と慈しみ合い、人に対して性の欲求を覚えるものが、其処から逸れたものを愛してしまう、欲してしまう。
どうして自分はそんなものが好きなのだろう。何故好きなのだろう。愛しても愛してもひたすら不毛。
その人生は幸不幸が何倍にもなって押し寄せる。
ただ息を吸うだけで多幸感を得られることもある。
罪を重ねることでしか実現できない現実に苛まれるかもしれない。
どう転ぶかはわからない。
何が出るかはわからない。
どんな魔物を喚び出すか。
※
絶えず煙の上る皮膚に青白い皹のような紋様。
獣のような構え。
瞳孔の分かりにくい双眸。
形はほぼ人。
その表皮は黒。褐色の濃度の高さゆえの黒ではない、変色の果ての混沌を煮詰めた果てにある黒色だ。
慄然とする様相。
人型でこそあるが人ではない、その隆々とした四肢から発散されているのはあからさまな暴の匂い。バイオレンス臭。
大気を引き剥がすかのような恐ろしい轟き。その生物の咆哮のようにも聞こえる。荒れ果てた街中に、逃げ遅れた群衆が固唾を飲んで、その一挙手一投足を見守っていた。逃げた方がいいのは火を見るよりも明らかで、居残って得は万にひとつもない。
だが。
ヒーローが、
黒い魔人が疾駆する。
新聞記者真島涼花(まじまりょうか)に襲い掛かる。
鉄の爪が付いたような鋭い指先が、彼女の美しい顔に、
ヒーローが。
虹色に変化するチタンの装甲を身に纏った男。
まるで未来から来た騎士のようだと陳腐な表現をよくされる。確かにその外見を的確に云い表せるような単語はない。強いて云うなら、寺門に屹立する阿形吽形の力士像に近いかもしれない。鋼鉄に覆われた外装は、鎧や装甲と云うより、人の筋骨それがそのままチタン化したように見えた。丸い頭部は頭蓋骨を、四角く張り出た胸部は大胸筋を、その素地となっている人体が窺える。
そして、人体その正体を、戦いを見守る市民は知っている。
武郷(たけさと)ロキ。
自らの手で開発した特殊装甲ブラックタイドを身に纏い、世の秩序を乱す輩を成敗する。報酬を受けとることはなく、賛辞も称賛も彼の頬を綻ばせることはない。
瞬間的に特殊鋼鉄製の装備を身に纏うこの技術の開発ノウハウすらも、詳びらかにするに吝かではないとしている、稀有な人物。
高潔なのだと涼花は思っている。
身辺調査を彼女なりにしてみたが、思想的に偏っていたり特定の宗教に入れ込んでいる様子もない。ならば真実武郷ロキは正義の人なのだ。
ヒーローがいる。
だから暴力の魔人が現れても怖くない。
ヒーローが守ってくれる。
ブラックタイドは魔人をぶん殴った。魔人は吹っ飛び、揉んどり打って地面を転がる。
魔人は血を吐く。攻撃が効いている。
ブラックタイドは追撃の手を緩めない、魔人に隙は見せられない。
市民の信頼をその背に受けている。
ブラックタイドは右手の甲から剣を突出させた。ジャマダハル、北インド伝統の刺突剣に近い形をしている。
ブラックタイドは冷静に魔人の動きを見て取り、一気呵成に攻勢を強めた。
右手の剣を魔人の胸に突き刺した。魔人は吠えて身体を捻る。剣の切っ先ごと転がり致命傷を免れた。
「お前は殺さなくてはいけない」
感情を露にすることが珍しい人間だ、ブラックタイドの中で、ロキは表情を硬くした。
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