穀雨②

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穀雨②

 駄目だ。もう駄目なんだ。僕は存在を消される。カピバラが僕を戻るよう呼んだ。僕は うなだれながら、死刑執行場にとぼとぼと歩いて行く。 「稲田佑。よく聞いて。言葉を大事に、大切に使いなさい。古来、暦を守ってきた一族達はそうしてきたわ。言葉にはアンタが信じられないような力があるのよ」  僕の後ろから、彼女の声が聞こえてきた。何が言いたいのか全く分からない。僕は死刑執行を行うボタンを、自ら押す気分でコントローラーを手にした。  三試合目が始まった。ニノ下さんの攻勢は激しく、僕のチームはいつ失点してもおかしくない状況だ。  ······言葉を大事に使う?何の事だよ全く。僕は段々と孤独感に苛まれていく。もうすぐ僕はこの世から消される。そう考えると、無言でいるのが耐えられなくなってきた。 「······ニノ下さんの仕事って、楽しいですか?」  僕は考えがあって、この言葉を発した訳では無かった。ただ、誰かと話でもしないと、正気でいられなかったのだ。しかし、この僕の何気ない一言が、この決闘の行方を激変させた。 「······仕事が、楽しいかだって?」  ニノ下さんの両手が止まり、口からタバコが落ちた。彼のチームの選手の足動きが止まる。それまで無表情だったニノ下さんの顔が 、鬼の形相に変わり僕を睨む。  それは、僕のチームがシュートを打った時だった。動きが停止した無防備な守備は、そのシュートを止められなかった。  僕のチームは初めて先制点を取った。僕は嬉しい半分、驚き半分だった。試合が再開されてもニノ下さんは僕を睨んでる。  ······なんだろ、この雰囲気。ひょっとして聴いて欲しいのかな?僕に? 「あの、システムエンジニアって、忙しいイメージがあるんですが。ニノ下さんも?」  僕は恐る恐るニノ下さんに質問する。その途端、彼の表情は鬼の形相から、それはとても悲しそうな顔に変わった。 「忙しいなんてモンじゃないよ······毎日。毎日。終電に乗れるかどうかの日々でさ」 「ま、毎日ですか?」 「ああそうさ。規模が大きいプロジェクトが始まれば、土日祝日もタダ働きさ」  ひ、酷いなそれ。言わいるブラック企業って奴かな。僕等の会話のやり取りはゆっくりで、いつの間にか試合は終わり、僕が初白星を獲得した。 「それって大変ですね。身体とか大丈夫なんですか?」  四試合目が始まっても、ニノ下さんはテレビ画面ではなく、僕の方を見ている。ニノ下さんの話は、聴くに耐えない内容だった。  クタクタに疲れる日々。土日の休みは外出もせず、ひたすら寝ているか、ゲームをしている。友人との交友も遠ざかり、髪を切る暇も、髭を剃る元気もない。    彼女には三年前に振られて以来、新しい恋人を作る時間も気力も無い。毎朝、通勤電車に飛び込めば楽になれるかもと妄想する始末 。  ニノ下さんは堰を切ったように話し出した 。ひ、酷いな。システムエンジニアって、そこまで大変なのか。ずっと家でゲームって。通りで強い筈だよ。  四試合目もニノ下さんはコントローラーを動かさず、僕が勝利した。い、いいのかな。これって。  双方ニ勝ニ敗で並び、決着は最終戦に持ち込まれた。五試合目が始まる時、彼女が僕の耳元でささやいた。 「いいわね。このまま相手を喋らせ続け、試合に勝つのよ」  彼女は僕をけしかける。助言でも応援でも無い。それは、悪魔のささやきの様だった。せ、性格悪いなこの娘。最終戦に入っても、ニノ下さんは自分の不幸話を続ける。  仕方ないよな。これしか僕が勝てる方法無いし。狙ってやってる訳でも無いし。命が掛かってるんだ。やむ終えないよ······ 「ニノ下さん!!」  気づくと、僕は大声を張り上げていた。ニノ下さんは、驚いた表情で僕を見直す。 「この試合に負けた方が、地上から存在を消されます。だからせめて、お互いベストを尽くしましょう」  ニノ下さんは数秒時間を置いた後、眠気から覚めたような顔になり僕に言った。 「······ああ。そうだったな。稲田君だっけ?最後の試合。全力でやろう」  何を言ってんだ僕は!!馬鹿か?馬鹿なのか僕は?何を格好つけた事を言ってんだ。後ろから殺気を感じる。僕の後ろで立っている彼女の顔を、怖くて確認出来なかった。
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