穀雨③

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穀雨③

 テレビ画面を見ると、試合時間は残り僅かだった。こうなったらやるしか無い。最初のニ試合で、僕なりにニノ下さんの戦術を分析した。  ニノ下さんは堅守からボールを奪い、速攻カウンターが得意だ。守備力の高い選手、足の早い選手を、守りと攻めの要に配置している。  困難極まりないが、そのシステムを逆手に取るしかなかった。カウンター攻撃をさせない。つまり、難攻不落の守備陣を突破する。  僕は守りを薄くして、攻撃に人数をかけた 。片道燃料。一か八かの特攻だった。ニノ下さんは僕の意図を察知しているだろう。  お互い最後の勝負所と分かっていた。僕が攻める。ニノ下さんが守る。どれくらいの時間が経過したか分からなかった。気づくと 、試合終了の笛が鳴った。  試合は引き分けになり、決着はPK戦になった。僕はこの時、脳裏にある閃きが起こった。隣のニノ下さんにそれを小声で伝える。  僕はこのPK戦を延々と続けようと提案した。ずっと決着がつかなければ、あのカピパラが決闘を引き分けにして、僕とニノ下さんを元の世界に戻してくれるかもしれない。 「······ああ。そうだな。やってみようか」  ニノ下さんも賛成してくれた。僕等はシュートをキーパーの正面に蹴り、双方0対0のまま、最後の五人目になった。僕のチームが後攻のキッカー。ニノ下さんがキーパーだ。  僕は約束通り、キーパーの正面に蹴る。だが、なぜかニノ下さん操るキーパーは右に飛び僕のシュートはネットを揺らした。  え?な、なんで?ニノ下さん、もしかして操作ミスったのか? 「稲田くん。この決闘は引き分けは無いんだ 。故意に長引かせれば、二人とも存在を消される事になっている」  へ?き、聞いてないぞ、そんな事!僕は猛然と後ろを振り返り、彼女を見る。純白のセーラー服の少女は、あれ?言って無かったっけ?······みたいな顔をしている。こ、この女! 「でも、なんでニノ下さんが自分から負けるですか?」  負けたら命消されるんだぞ?なんで? 「俺もよく分からないんだ。ただ、君は俺の 話を聞いてくれた。聞いた上で、俺の健康の心配までしてくれた。そんな相手、最近ずっと居なかったんだ」  ニノ下さんは痩けた頬を緩ませ、穏やかな笑みを浮かべた。 「だから、君の方が相応しいと思ったんだ。暦の歪みを正す。その一族達を導く役目ってヤツがね」  後で知ったが、もし僕が敗れれば、僕に勝った一族の代表が、他の一族をまとめる役目を担う事になっていたらしい。これも聞いて無かったぞ!あの女! 「勝者。清明一族」  審判のカピバラが僕の勝利を宣言した。ニノ下さんはいつのまにか現れた着ぐるみと一緒にいる。なんだ、また妙な着ぐるみが出てきたぞ。  黒いネズミに見えたが、大きい耳が赤い。 あれは、タスマニアデビルと彼女が教えてくれた。カピパラにタスマニアデビル。理の外の存在とやらは、ゆるキャラが好みなのか? 「稲田君。君の言葉は、人の心に刺さる暖かみがある。それを大事にして行くといい」  ニノ下さんはそう言い残し、タスマニアデビルと共に消えた。僕はホッとしたのも柄の間。ニノ下さんを殺してしまった罪に、震え始めた。 「ま、あの不健康そうな人も、第二の人生で 頑張る事でしょう」  ······ん?今この娘何て言った?第二の人生とな?血の気が引いた僕の顔に、彼女は思い出したように話す。 「ああ。言って無かったっけ?」  決闘に負けた一族の代表は、地上から存在を消される。だが、命を取られる訳では無い 。記憶が消されるのだ。ニノ下さんの家族、友人、職場は、ニノ下の記憶を全て失い、誰もニノ下さんの事を覚えていない。  ニノ下さんは、そんな世界で一から生活を始めなくてはならなかったのだ。あのタスマニアデビルが、ニノ下さんを監督指導して、暦の歪みを正す能力を鍛えるという。  本来だったらその仕事は春分一族と清明一族が担う筈だが、一族達が務めから遠ざかっている為の緊急措置らしい。確かに、僕にそれをやれって言われても無理だし。  取り敢えず僕の役目は決闘を続け、勝ち続ける事。そして相手の一族に務めを再開するよう命ずる事。そうらしい。  ······って、説明不足が多すぎるだろう! 「稲田佑。さっきの勝利は偶然に見えるけど 、そうじゃない。アンタの言葉の力がアンタを勝たせたのよ」  彼女はまた言葉の力がどうのこうの言っている。ニノ下さんにも言われたけど、サッパリ解らないよ。そんなもの。 「何よ。不満そうな顔して。まだ何か聞いときたい事でもあるの?」  ぬけぬけと彼女が言う。言いたい事は山程あったが、僕は何故か思っている事と違う事を聞いてしまった。 「君は一体何者なんだ?僕と何の関係があって僕と一緒にいるの?」  彼女は沈黙している。さっきまで無風だったのに、弱い風が吹いた。彼女は頬にかかった髪をかきあげ、僕の目を見る。 「······私は、アンタと運命共同体よ。アンタが決闘で負ければ、さっきの不健康そうな人と同じで済むけど、私は文字通り命を失うのよ」  運命共同体?命を失う?僕は質問する前より、頭が混乱してきた。彼女は踵を返しカピバラの元へ歩いて行く。 「ま、待ってよ!名前、君の名前は?」  彼女は立ち止まり、動かなくなった。そうかと思うと突然振り返り両手を腰に当て、僕に答える。 「······かなた。彼方よ」  彼方······彼方って言うんだ······ 「稲田佑。あんたのさっきの台詞。ベストを尽くしましょうって言った時の顔、ちょっとだけ格好良かったわよ。ちょっとだけね」  僕はこの時、彼方の笑顔を初めて見た。僕は何故かボーッとしたまま動けない。 「何してんの。さっさとカピパラの所に来ないと、元の世界に戻れないわよ」  は?いや、だからもっと早く言ってくれよ !そう言う重要事項は!  焦って駆け出した僕は、砂に足を取られ転倒してしまった。身体が砂まみれになり、鼻や口にも砂が入った。  倒れた僕を、彼方が上から見下ろしてきた 。彼方は意地が悪い笑顔で言った。 「アンタって、本当に鈍くさいわね」  彼方の後ろに見えたこの世界の空は、気のせいかさっきまでの薄雲が少し晴れてきた。砂塗まみれの僕は、そんな気がした。
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