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立夏②
「え?ええ?ど、どうしたの彼方!?」
慌てふためく僕に、彼方は手のひらを差し出した。いいからちょっと黙ってて。なぜか僕は、そう言われているような気がした。
「······美味しい。お米って、こんなに美味しいのね」
彼方の小声を、僕は聞き取れなかった。とにかく理由を聞くと、彼方は事情があってお米を食べた事がないらしい。
もしかして、彼方は外国育ちなのか?詳しく聞きたがったが、これ以上聞くなという空気を感じる。
「とにかく沢山食べなよ。おかわりする?」
僕の言葉に彼方はうつむいていた顔を、すごい勢いで上げる。彼女の顔は思いっきり、おかわりしたいって表情をしていた。
しかし彼方は首を振り、一杯で十分だと謝絶する。この時の彼方の小声も、僕には聞こえなかった。
「私一人だけ、こんないい思いはできないよ
······」
今日の空は快晴で、正に五月晴れだった。世間は連休の後半で、皆忙しくしているのだろうか。僕は特に予定も無く、ゲームをしながらゴロゴロと過ごしていた。
僕と彼方は朝食を済ました後、近所の公園に来ていた。閑静な住宅街の中にある公園は
、休日にしては珍しく誰も居なかった。
彼方が朝食のお礼に、暦の歪みを正す技術の一端を教えてくれるという。しかし、何分のんびりと教える余裕はないと彼女は言う。
「稲田佑。悲痛コース。激痛コース。どっちのコースがいい?」
······ぜ、絶対どっちも嫌だ。しかし、彼方の据わった目が僕の拒否権を認めなかった。
「人生は多かれ少なかれ、大概が二択よ。前に進むか。後ろに戻るか。右か左か。こし餡か。つぶ餡か」
ん?最後のは関係あるのか?僕はどっちかと言うとつぶ餡派かな。僕がよもぎ大福を想像していると、彼方が破滅の言葉を発した。
「はい時間切れ。悲痛激痛セットコースに決定」
はあああ!?まさかのセットコース!?
彼方は僕の腕を掴み、この公園でも背の高い木の前に連れて行く。そして僕の額をナンキンハゼという名の木に押し付けた。
「いたたた。痛いよ彼方!」
「稲田佑。一度しか言わないから死ぬ気で聞きなさい。自然界に存在している物には、全て意味があって存在しているの。無駄な物なんて何一つ無いのよ」
彼女は続ける。大きく言えば、森羅万象に耳を傾け、その声達の言葉を聞き、生じた歪みを是正するのが一族の務めらしい。
医者も患者に症状を説明してもらわないと
治療が出来ない。それと同じだと言う。生物、植物、果ては大気と、声なき声に耳を傾ける。そこから全ては始まる。彼方はそう言った。
「目を閉じて、この木の言葉を聞いて。耳で聞くんじゃないの。心の耳を澄まして感じるのよ」
僕は目を閉じる。とにかく、この木の声を聞かないと、この拷問は終わらないらしい。
一刻も早く開放を望む僕は、全力でこのナンキンハゼに語りかけた。人助けだと思って、なんか喋って!
しかし、僕の熱意は伝わらず、木は何も語りかけて来ない。僕等以外、無人の公園は静寂に包まれていた。感じるのは木に押しつけられた額の痛みだけだ。
「稲田佑!何か言いなさいよ」
「そ、そんな事言ったって分かんないよ!なんかザワザワって感じしか、しないし」
「······ザワザワ?」
彼方は僕の頭から手を離し、僕の隣に座り
突然僕の左手を握ってきた。な、なな、何?
女の子と手を繋いだ事など無い僕は焦った。
彼方の手は小さくて柔らかく。そしてとても温かかった。
「もう一度額を木につけて。心を鎮めて落ち着いてね」
彼方が額を木につける。僕は心臓の鼓動が聞かれるんじゃないかと思う程、ドキドキしていた。
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