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立冬⑫
······病室の一室に、二人の男女がいた。季節は夏で、開けられた窓の外には、一面のひまわり畑が広がっている。
二人がベットに腰掛けている。一人は郡山。もう一人は細身の男だ。血色は良くないが、とても穏やかな顔をしている。
······病室の入り口の名札には、波照間と名前があった。この細身の男は、波照間隼人か
?
二人はとても楽しそうに話し込んでいる。
郡山の表情は、見た事がないくらい幸せそうだ。そうか。二人は恋人同士だったんだ。
場面が切り換わり、波照間隼人はベットに
伏していた。郡山は波照間隼人の左手を握りしめている。
再び場面が変わる。ベットには誰もいなかった。郡山は無人のベットを、立ち尽くしたまま見つめていた。郡山が何か呟いている。
······隼人。あなたの想いは、私が継ぐわ
僕の中に流れ込んできたイメージは、そこで途切れた。現実の僕の目の前に現れたのは
、人の形をした黒い闇だった。
合計六体の精霊が一つになったその姿は、雲とも霧とも言い難い、不気味な形容をしていた。
黒い闇の精霊は、足元にいた爽雲に右腕を伸ばす。黒い手が地面にぶつかり、砂埃が舞う。
爽雲は回避したが、黒い手が触れた地面が
、消失していた。な、なんだあれは!?
「黒炎刀演舞!」
月炎が空から半月状の炎の刃を放つ。その刃は黒い闇の頭部を直撃したが、炎の刃は闇に吸い込まれ消えた。
その光景を見た僕は、紅華、爽雲、月炎に距離を取るよう指示した。あれは、あの闇に触れたら大変な事になる!
僕は、力が入らない両足を引きずりながら歩き出した。
「······これが、あんたの千里眼が見た結末なの?」
血の気が失せた表情で、彼方が郡山に問いかける。
「······言った筈よ。出雲彼方さん。千里眼は厄介で面倒だって。知りたい未来は見えなくても、大切な人の死は見えてしまうの」
僕は朦朧とする意識を必死で保ち、郡山の前に辿り着いた。
「郡山!波照間隼人は、自分の代わりに暦の歪みを正す事を君に託した。これは、こんな事は彼は望んでいない!」
無気力な瞳を僕に向ける郡山の頭髪が、次
々の抜け落ちて行く。鼻と口からは血を流し
、顔は急速にやつれて行った。これが、六終収斂の代償なのか?
「······世界を一度大掃除する。私は隼人の遺志を違えていないわ。ただやり方が違うだけ。隼人の居ないこの世界の人間なんて、私にはどうでもいいの」
······郡山の絶望した感情が、僕の中に流れ込んでくる。郡山は、波照間隼人の元へ行きたがっている。でも、彼の遺言が郡山を縛り
、それを許さない。
「郡山!波照間隼人は望んでいた。君が幸せになる事を!君は今、波照間隼人が願った未来の姿なのか!?」
「······私の心を覗いたのね。稲田君。私もいい事を教えであげるわ。何故、終候の極の領域にいるあなたが、初歩の声が聞けないか」
郡山は起伏した砂の上から、僕を見下ろした。僕は何故か、断罪される罪人のような気分になる。
「あなたが自ら心の耳を塞いでいるからよ。
無意識にね。あなたは異常に恐れている。
相手の声を聞くことを。それによって、自分が傷つく事を」
······そうだ。僕は自分の殻に籠もり、自分を守っていた。それが、木々の声が聞こえない理由だったのか。
誰かが僕の右手を握った。その手の主を見ると、彼方がそこに居た。彼方はゆっくりと頷く。僕も同じ事をする。
「郡山。僕はきっとこれからも、人との関係を上手く築いて行けないと思う。それに自己嫌悪し、直そうとして、また上手く行かなくて落ち込む。ずっと、それを繰り返して行くと思う」
僕は無意識に、彼方の手を強く握っていた
。
「でも、それでも僕は。大切な人が一人いるだけで頑張れる。勇気を貰える。何でもない草木が。空が。世界が。愛おしく思える。こんな僕でも、暦の歪みを正そうと思えるんだ
」
黒い闇は不吉な足音と共に、郡山の背後に迫って来た。
「だから郡山!君がいるこの世界に絶望しないで!君が大切に想える人が、きっとまた現れる!波照間隼人も、それを望んでいる」
黒い闇の人の形が、急激に崩れ始めた。その闇は四方に広がり、僕達を、この砂漠の世界すら覆い尽くすと思わせた。
「······稲田君。私、もう疲れたの」
郡山がその場に膝を着き倒れた。その時、彼方の母が僕達に叫ぶ。
「彼方!稲田君!言霊権を使いなさい!それしか助かる方法はないわ」
僕と彼方は互いに顔を突き合わせる。僕は以前、カピバラに質問した。言霊権は、ただの交渉権だけじゃない。何か大きな力ではないのかと。
「······彼方、言霊権の使い方しってる?」
「し、しってる訳ないでしょ」
「だよね」
僕は何故か、場違いな笑いが込み上げてきた。
「なんで笑ってるのよ。こんな時に」
そう言う彼方も笑っていた。やっぱり彼方は笑った時、素顔の何倍も可愛く見える。
「彼方。目を閉じて。二人で言霊権の使い方を聞こう。僕達が生きた世界の全てに。この世界は僕達より長生きしているから、きっと方法を僕らに教えてくれる」
彼方が、澄んだ瞳を僕に向ける。
「······声を聞く事が怖くない?稲田祐」
「怖くないよ。彼方が一緒にいるからね」
彼方は微笑んだ。それは、今までの見た彼方の笑顔の中でも、とびきり一番に可愛かった。
僕らは手を繋ぎながら、両目を閉じた。
僕は意識の扉を開放する。瞬く間に、世界中のありとあらゆる声と心が流れ込んできた。
僕はそれに逆らわず身を委ねた。膨大な意識の洪水の中で、僕は何故か窒息しなかった。以前の僕は、パンクしそうになる意識をすぐに閉じていた。
だが、今は閉じなくてもそこに居られる
······そうか。自ら飛び込んて行けば、居場所って見つかるのかもしれない。
暗い不吉な闇は、僕と彼方を飲み込もうし
た。
「言霊開放!!」
僕と彼方は、同時に叫んだ。
僕と彼方の周囲から、白い光が輝き、広がっていく。その光は黒い闇を消し去り、この砂漠世界の隅々までに届いていった。
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