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ついこの間まで強烈な熱を帯びて教室を貫いていたはずの西日は、気付けば心地よい温度になっていた。オレンジ色に染まる教室で、俺と弘也は机を挟むようにして座っている。 机の上に並べられた何枚もの写真の風景は夏のままで、その全ては、橋の下で撮られたものだった。
「家にある写真を全部探したけど、この夏あの場所で撮ったものはこれだけだ」
あれから俺たちは、安藤小春について調べている。そうは言っても、俺たちができるのはこうして手元にある写真を眺める程度だ。生徒記録や住民記録などの公的な記録は、国が一定期間保有した後に廃棄される決まりになっていて、一介の高校生である俺たちが手の届くものではない。
程度の低い詮索だと分かっていても、こうして写真を眺めているのは、やはり好奇心からだろう。
故人の詮索が社会的にも倫理的にも法的にもアウトであることはもちろん理解している。しかし、あんな写真を見つけ、故人が仲の良い友達だったと知る機会など滅多にないのだ。
なるほど記録法はこのような好奇心を抑止する為に制定されたのだな、と体験を通して学んでいると開き直っておく。
雑多に並ぶ写真の一枚を指差して、俺は弘也に尋ねた。
「これ、どういう基準で撮ったの」
その写真は、橋の下から河川敷を写したものだった。整備された芝の向こうを穏やかな川が流れている。 蒼々とした芝に空の入道雲が夏らしくて鮮やかだった。
「うーん、覚えてないな。あんまり上手く撮れてないし」
弘也は自分の写真の出来に納得いかない様子だった。構図が気にいらない、などとブツブツ言っている。
「それがだめならこれはどうなんだよ」
次に指した写真は、橋の真下から橋の裏側を移したものだ。 薄暗い影の奥に錆びた鉄骨が佇んでいる。
「それもひどいな。真っ暗じゃん。撮影ミスだろ」
なんでそんなの現像したんだろう、と弘也は呟いた。
他の写真も橋の下から川をズームして撮ったものや、地面の砂を写したものなどばかりで、素人の俺が見ても価値の無い写真だった。安藤小春との繋がりはまるで見つけられない。
「そもそも写真を撮った記憶があまりないんだよな。安藤と一緒にいたか、安藤が俺のカメラを使ったか、どっちかだろう」
結局それらの写真は『撮影時の記憶を思い出せない』という事実を俺たちに示しただけだった。安藤小春と一緒にいた、という確信が深まっただけで、それ以上何も分からなかった。
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