第4話 Disturbance

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第4話 Disturbance

 月彦の顔が瞬く間に紅潮する。常夜はその反応が面白くなかったので、顔を苦くした。 「は、初めてをって……確かに初めてだけどさ」 「なんだその反応は。まんざらでもなかったのか」 「そんなことはない! 正直困るよあんな強引に!」 「そいつの上着……」  月彦の傍らに、持って帰ってきたという鉈宮の上着がある。常夜はそれを手に取り、広げてじっくりと見つめた。 「上着がどうかしたの、ジョーヤ」 「……渡しに行ってこよう」 「今から?」 「そいつと和解する機会を得るつもりで持って帰ったんだろ」 「うん、まあね……」 「じゃあ行こう。そいつの家知ってるんだろ」  常夜は上着を月彦に押し付ける。立ち上がって、寝台に放りっぱなしの黒い羽織りを無駄のない動きで身にまとった。 「なんで君まで行くんだ」 「間もなく夜になる。人狼探しのついでだよ」  ふたりはマンションを出た。赤黒い世界に影は長く伸びている。西の空が藍色で、月はそこで満ちきっている。 「満月だ」常夜は仰ぎ呟く。 「狂うのに最適の夜」  月彦の案内で鉈宮の住むマンションに着いた頃には、夕日も沈んでいた。 「ここだよ、ナタミヤ先輩が一人暮らししてるマンション」  ふたりはエレベーターを待つ。  常夜は月彦の横顔をちらりと見た。  小牧月彦は真面目な人物──常夜が彼を一言で評するならそうだ。大きな目に黒縁の眼鏡を掛けた、可愛い系寄りの顔立ち。中肉中背。どこにでもいそうな青年。  常夜は彼のことが、どちらかといえば愛おしい。と同時に今は面白くない。真面目ゆえに、誰にでも正面から真摯に当たってしまう月彦が、あまく危ういお人好しにしか見えない。  唇を奪ってきた男を、拒絶するよりも事情を聞きたい、話してできれば和解したい。そう冷静に努めているところなどまさにそうだ。  自分のような人間と付き合ってることからも、真面目の皮を被った変人なんじゃないかという疑惑が抜けない。なんでも高校時代からの縁らしい。  常夜はそんな月彦から向けられる友愛が嬉しくもあり、複雑でもあった。  降りてきたエレベーターにふたりは乗り込む。 「ナタミヤ先輩はさあ」  月彦がおもむろに口を開く。 「どうも孤高の人みたいなんだよ。最低限の人付き合いはしても、群れようとなんてしない。だからかな、なにか悩んでても、それを人に打ち明けるのを嫌がるのかもしれない」 「……和解できるといいな」  口ではそう言っておきながら、その鉈宮とやらのことも、常夜は気に食わなかった。強引に唇を奪っておきながら逃げた男。衝動で自壊する、硝子のような脆さ。それに苛立つ。  夜は常夜の血を静かに滾らせる。彼はこの先に待つものに期待した。  目的の四階で、エレベーターは開いた。 「ここだよ」  とある一室のドアの前にふたりは立ち止まる。  月彦がインターホンを押す。 「ナタミヤ先輩、僕です。忘れた上着を渡しに来ました」  月彦が上着を手にしばらく待つが、なにも起きない。常夜が試しにドアノブを握ると、開いた。 「あれ? 開いてる?」 「入るぞ」 「ちょ、ちょっと、勝手はまずいよ」  月彦が止めるが、従う常夜ではない。ドアが全開される。  惨憺たる光景が広がっていた。  玄関は靴が揃わずめちゃくちゃに散らばり、すぐ伸びる廊下にも物が散乱している。 「なんだよこれ。前行ったときはこんなんじゃ……ナタミヤ先輩……」  掃除をしていないから、というのではない。  暴れた形跡。そう言ったほうが適切に思えた。  真っ暗の廊下の突き当りに、部屋がある。 「上がるぞ」  常夜は黒い編み上げブーツを脱ぐこともなく上がり込む。 「ちょっとジョーヤ、土足!」  ふたりは突き進んで、部屋に踏み入った。  室内の隅でぼんやりと、小さな四角い光が浮かび上がっている。常夜はそれよりも明瞭に、あるものをそこに感じ取った。肌に程よい緊張が走り、思わず口元が緩む。  無論そこにいるのは、スマートフォンを手に背を向け蹲った鉈宮だ。 「ナタミヤ先輩」  常夜は月彦を遮って前に出る。 「小牧ィ……」  苦しげな吐息混じりに、鉈宮は後輩を呼んだ。 「どこもオレの噂で持ち切りだ。はなんもわかっちゃいねぇ。こっちの苦しみも知らないで、好き放題言いやがって……」 「先輩、なんの話をして……」 「お前は」常夜は口を挟もうとしたが、鉈宮が声を張り上げた。 「オレは苦しんだよ!!」  月彦の肩が跳ねる。彼は一歩だけ退いた。 「なのに、なのになのに、どうにもできなくなった。なんでこんなことになっちまったんだよ、なあ!?」 「先輩、落ち着いて」  鉈宮が首だけ動かして、こちらを見た。表情の全体は闇に没して伺えない。スマートフォン光に顔の右半分が照らされている。見開いた片目が不気味に睨んでいた。 「そっちのは、例の友人君か?」 「そうだ」 「なあ友人君、オレは小牧を愛してんだ。誰にでもある感情なんだよ。それなのにオレはどこかで間違えてしまった」  鉈宮の湿った荒い息遣いが、はっきりと聞こえる。 「先輩、僕はあなたを拒絶しに来たんじゃないんです。話を聞いて、和解できないかと思って来たんです」  見開かれた鉈宮の片目が一瞬、穏やかになった。 「和解……そうかありがとな。でも小牧」 「はい」  常夜は相手を見据え、身構えた。 「どんなオレでも好きかって、聞いたよな」 「ええ、僕は先輩がです。だから話を聞かずに短絡的に絶交なんてできない」  鉈宮という闇が、部屋の片隅で動いた。立ち上がりこちらを向く。スマートフォンの光にその顔が照らされる。 「こんなオレでも好きでいてくれるか」  そこにいた鉈宮は、顔の左半分が獣となっていた。赤い瞳、黒い毛並み。凶暴なパーツに侵食されていた。
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