タクシードライバー幻想奇譚

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三島が自決した昭和45年11月25日正午、それ以降、叔父には「それ」が見えるようになってしまったのだという。タクシーで町を流している時信号待ちをしていたサラリーマン、キャバレーで隣に座ったホステス、ナイター中継でバッターボックスの背後の観客席に座る若者、様々な場所で彼らと同じ顔をした白い影を見た。 みんな連れていかれたーー いわば死神のようなものなのだろう。そいつは顔のない状態でただ彷徨(うろつ)いている事もあるが、誰かに「憑いている」時には、その人と同じ顔になっている。憑かれた人間には、もう死期が迫っている。叔父が言うにはそういう存在らしく、叔父が極度に「病院」を嫌うようになった理由は「それが常に彷徨いている」からだったのだ。 結果的にそれが癌の発見を遅らせ、早すぎる死に繋がってしまったのだが。 初めて叔父から聞かされる、大好きだったエピソードの、別の顔ーー。 恐ろしかった。だが最後に僕の腕にすがり、ぐしゃぐしゃに泣きじゃくる叔父から更に語られた話はそれを遥かに上回る恐怖だった。 「もう、東京さ居られねえって…、おっかねくて…」 どんなに辛くても都会暮らしに耐えてきた叔父が故郷へ戻った理由、それは実家の父親が亡くなっていた事だけではなくーー。 その日、 羽田空港まで乗せた若い男の背後に、叔父はいつものように白い影を見た。だがそれで終わらなかった。辿り着いた空港には今まで見た事がないほど(おびただ)しい数の白い影が、ターミナルへと続く通路に列を成して入っていくのを、叔父は見てしまった。 昭和60年8月12日。羽田空港発、伊丹空港行き、日本航空123便、群馬県の高天原山(通称御巣鷹山(おすたかやま)の尾根)に墜落。乗客乗員524名のうち、520名が死亡。 「みんな連れていかれた」のだ。あの白い影の群れにーー。 叔父は次の日に辞表を出し、故郷へ戻る。
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