タクシードライバー幻想奇譚

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あれから二週間以上が過ぎ、そろそろあの男の記憶も薄れかけていたその日ーー、11月25日。 昼飯時も近づき、叔父は混雑し始めた行きつけの定食屋に何とか潜り込み、作業着姿の労働者と相席しながら、注文した定食が来るまでの手持ち無沙汰を、油の染み付いた新聞を広げて待っていると、これまた油で黒くギトギトになった天井に備え付けたテレビが、臨時速報を告げた。 店内皆の視線がそのテレビへと集中する。 「あ」 映し出されたのは、ついこの間、大田区馬込の洋館まで乗せたあの男。だがその()()ちは異様だった。 日の丸を染め抜いた白鉢巻に白手袋。軍隊の儀礼服を思わせる、金ボタンが並ぶ詰襟(つめえり)の服。どこかの建物のバルコニーに立ち、声を枯らして絶叫しながら、何かを訴えているようだが、現場の周囲は騒然としているらしく聞き取れない。 (近藤勇ーー) やはり、似ていた。しかし同じ人物を連想しながら、叔父が感じていた印象はタクシーに乗せた紳士とはまるで真逆のものだった。数日前の男を包んでいた、快活で爽やかな好漢といったイメージでは無く、新撰組(しんせんぐみ)局長の「人斬り」の側面、刃向かう者を容赦無く斬る剣鬼(けんき)のような鬼気迫(ききせま)る形相と、その奥に漂う悲愴(ひそう)な決意のような何かから発せられる負のイメージであった。 (ああ、この人はもう死ぬ気なんだな) 叔父は何故か唐突にそう思い、無性に悲しくなった、という。 「今考えれば、この時男の顔に貼り付いていたのは、『死相』だったんだ」 叔父は僕と酒を飲むと必ずこの話をし、当時をそう振り返った。 食堂の客はおろか、厨房の親爺(おやじ)女将(おかみ)でさえ、注文の料理を作ることも忘れて茫然(ぼうぜん)とテレビを見ていたが、ほどなく男はブラウン管から消えた。
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