第四話 全力疾走は危険! (その2)

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第四話 全力疾走は危険! (その2)

 横倒しになっている自転車の脇には、ビニール袋が転がっていた。袋の口から盗んだ定規がはみ出している。さて、どうしたものか。 「無茶なことをするな」  振り返ると声の主が立っていた。小学生くらいの女の子だった。上下とも、緑色のジャージに包んでいる。それも、スポーツメーカーの物ではなく、厚手の無地ジャージだ。 「こういう方法しか思いつかなかった」  少女は手にしたデジタル・カメラを顔の前にかざして言った。なるほど、あの閃光はカメラのフラッシュか。少女の背後にはやはり子供用の自転車が停められていた。少女が乗ってきたものだろう。 「置いていった物の後片付けをしなくては。手伝ってくれ」  少女は子供には似つかわしくない、武骨な口調で言った。身長は百三十センチくらいだろうか。昔の子供がよくしていたような横分けのおかっぱで、分け目をこれまたクラシックなヘアピンで留めている。顔の半分近くある黒縁眼鏡の奥から、黒目勝ちの鋭いまなざしが覗いていた。 「ずっと一緒に追いかけていたのか?あの子の知り合いか?」 「そうだ。君がちょうどいい距離を保ってくれたので楽に追跡できた。ご苦労だった」  ご苦労……僕は口をあんぐりさせた。どう見ても小学校四、五年生くらいの女の子がいい大人に対し目上のような口を利くとは。 「ちょっと、その言葉遣いは……」  苦言を呈しようとする僕を無視するかのように少女は、素早く自転車を立て直し、ビニール袋を拾い上げた。 「悪いが、当人の代わりに返してきておいてくれ」 「僕が?なんでまた。あの子を知っているのなら、本人が返しに行けばいいじゃないか。第一、盗んだ本人でもない僕が商品をもって顔を出したらおかしいだろう。」 「それはそうだが……そこはそれ、君の演技力の見せ所だ」 「演技力?僕に芝居をしろってのか」 「そうだ。娘が間違って袋に入れたまま店を出たんですとか、色々言いようはあるはずだ。その辺は君に任せる。演技は苦手か?」 「いや、そういう問題じゃなくて、お店に嘘をつくってことだろう。君が言っているのは。なんでわざわざそんなことをするんだ」 「今、店に引き渡せば彼女につかなくてもいい傷が残ってしまう。それは避けたいのだ」 「そんなことをしても結局、ズルを覚えることになるだけだろう」 「いや、そんなことはない。彼女は反省しているはずだ」 「まるで事情を知っているみたいだな」 「大体のところは。では、頼んだぞ」  少女は僕が返しに行くと信じて疑わないようだった。だが、こんな理解不能の状態で、子供の言いなりになるわけにはいかない。 「説明しろよ。君は何者だ?あの子の友達か?いつ万引きに気づいた?」 「万引きに気づいたのは君と同じ、店の中でだ。あの子は塾の友達。私は何者でもない。ただの小学生だ」 「あの子は僕の名前を呼んだ。だから追いかけた。なぜ、僕のことを知っているんだろう」 「それは君のことを知っていたからだ。だから見つかったと思い、逃げたのだ」 「僕を知っていた……じゃあ、僕もあの子のことを知っていると?」 「おそらくな。詳しいことはあとで説明する。とにかくそいつを返してきてくれ」  少女はそう言い残すと自転車に跨り、走り出した。僕はあっけにとられたまま、立ち尽くした。あとでと言ったが、どうやって連絡を取るつもりなのか。こちらは少女の電話番号もアドレスも、本名すら確認していない。そしてそれは少女も同様のはずだった。  僕は定規の入った袋をまじまじと見つめた。気が付くと片手にステッキを握りしめたままだった。僕はステッキを袋に入れると深く息を吐いた。 「おかしなのと関っちまったな」
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