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夕飯の後、ソファーに転がってまったりしていると、テーブルの上に無造作に置かれたチラシが目にとまった。
紙は千代紙のような艶やかな柄の入った和紙で、アンティークっぽい和小物や、日本家具の写真が散りばめてある。チラシと言っていいものかと悩むほど洒落たもので、まるでおしゃれなカフェに置いてあるフライヤーみたいだ。右下に「葛城金物店」と書かれていなければ、航の実家と結びつける事はできなかった。
「航んちって、改装したの?」
「はあ? 今更何言ってんのよ、あんた。もう何か月も前から改装工事中って貼り紙してたでしょうが」
梨一の呟きを聞きつけ、子連れで実家に遊びに来ている姉の花梨が柳眉を吊り上げる。
三つ年上の花梨は、二十六で広告代理店に勤める今の夫と結婚し、二十七で一児の母となった。美人と言えなくもないが、いかんせん気が強く、その上航の信奉者でもあった。
「この広告もお店の内装も航くんが請け負ったんだって。しかも費用は全額自分持ち! 孝行息子だよねえ、ほんと」
「でもあいつの会社って外国製のインテリアしか扱ってないだろ。金物屋の内装なんて全然関係ないじゃん」
航が勤めている「i・SOMETRIC」は、英国に本社を持つ家具の一流プロダクトメーカーだ。
英国製ファニチャーと言えば、連想するのはアンティーク家具だが、「i・SOMETRIC」の商品は、木材本来の模様と曲線を活かしたシンプルかつモダンなデザインが特徴で、個人向け販売はもちろんの事、近頃では国内外のホテルや商業施設などで扱われる事も多く、流行に敏感な若者の間で注目を集めている。
流行りものに目がない梨一にとっても憧れのメーカーではあるのだが、イス一脚が一月の給料に相当すると知ってからはすっかり敬遠するようになってしまった。
「仕事絡みで工務店とかデザイナーとか、たくさん伝手ができたって言ってたから、会社は通さないで個人的にお願いしたんじゃないの?」
「ふうん。つーか姉ちゃん、やけに詳しいな」
なぜほぼ毎日顔を合わせている自分よりも、たまに帰ってくる花梨の方が航の事を知っているのだろう。不思議に思って訊ねると、花梨は少し戸惑った様子を見せた後、バチンと梨一の背中を叩いた。
「いてっ!」
「あんたが知らなさ過ぎるだけじゃない。まったく、幼なじみのくせに薄情なんだから」
「はあ? あいつがなんも言わないからじゃん。それなのに、なんで俺が叩かれるんだよ」
「あんたがバカだからでしょ。悔しかったら店番以外で父さんの役に立ってみたら?」
「そんな事、今は関係ないだろ!」
テーブルを挟んで睨み合っていると、下から伸びてきた小さな手に、部屋着のスウェットパンツをクイと引かれた。
「みて、りいち。ひこーき!」
そう言って、甥の千尋が紙飛行機を掲げてみせる。キャッキャとはしゃぐ無邪気な声に、苛立ちがぱっと霧散した。
「また飛行機かよ。飽きねーなあ、ちー」
小さな体を抱き上げ、ふくふくとしたほっぺに鼻先を擦りつける。先日四歳になったばかりの千尋は、最近紙飛行機に嵌まっているらしく、目につく紙は手当たり次第飛行機に変えられてしまう。
「じょうずにできたよ、ほら」
「おう、見せてみろよ」
満面の笑みを浮かべた千尋が手にしていたのは、不恰好な紙飛行機と化した葛城金物店のチラシだった。
「こらっ、ダメじゃないの千尋! あーあ、記念にとっておこうと思ってたのに」
花梨が声を荒らげ、腕の中の小さな体がびくりと反応する。大きな瞳がうるうると揺れ出し、梨一は内心で舌打ちをした。
「別にこのままとっておけばいいだろ。かっこいい飛行機ができたな、ちー?」
丸い頭をよしよしと撫でてやると、ようやくえへへと笑ってくれた。頭を撫でられると、何もかも許されたような気がしてホッとする。梨一はそれをよく知っていた。
「……うん。よく見たらこの方がかっこいいかも。ありがとね、千尋」
弟には容赦がない姉も、我が子の涙には弱いらしい。母子の微笑ましい姿を横目に見ながら、ふと、航の目には自分の姿が千尋のように映っているのかもしれないと思った。
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