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 両親がリニューアルオープン祝いに送った胡蝶蘭は、A5ランクの特選神戸牛となって返ってきた。ちなみにご近所の清水精肉店で扱っている肉の中でも最上級の逸品だ。 「はー、久々の肉うめえ。母さん、もっと肉投入して」 「ちょっと梨一! お肉ばっかり食べないでよ。お花送ったの、あんたじゃないでしょ」  いつになく豪勢なすき焼きを前に、みっともない言い争いを始めた姉弟を、両親が苦笑しながら見つめている。隣ではまだ小さな甥っ子が、行儀よく座って白菜を咀嚼していた。 「ほら、ちーも肉食えよ」  かわいい絵入りのボウル皿に肉を放り込んでやると、ありがとうとにっこり微笑む。母よりも叔父よりも、四歳児の方がよほど大人だ。 「葛城さん、思い切って改装して本当によかったわねえ」 「航くんがいれば、葛城さんちは安泰よね。同じ年のくせにうちの梨一とはえらい違い」  口の悪い姉を、温厚な父がよしなさいと窘める。いつもなら猛然と言い返すところだが、この時ばかりは耳に痛い言葉を甘んじて受け入れた。  残念な事に、葛城金物店リニューアルバブルは、そう長くは続かなかった。正しくは「周辺の店にとってのバブル」であり、航の実家はその後も売り上げを伸ばし続けている。それも当然の話で、安くはない投資をして起死回生の改装を成功させたのは葛城金物店であって、同じ商店街に軒を連ねているというだけの他の店ではない。 「そう滅多なことを言うもんじゃない。航くんがお店を継ぐかどうかはまだわからないだろう? 葛城さんも当てにはしてないと言っていたしな。何も親と同じ道を進まなくちゃならないなんて事はないんだ」 「っ……、でも――」  父の言葉が意外だったのか、花梨がハッとして言葉を詰まらせる。  姉同様、梨一もあの店はいずれ航が継ぐのだろうと、なんの根拠もなく思い込んでいた。だけど、一流の会社に就職し、若くして役職まで与えられている航が、実家の金物屋を継ぐなんて普通では考えにくい。 「今日は花梨もいるし、いい機会かもしれないな。……実は二人に大事な話があるんだよ」  父がそう切り出すと、鍋に肉を追加していた母も、箸を置いて居住まいを正す。やけに神妙な面持ちをした両親を前にして、心臓が嫌な具合に逸り出した。 「何よ、二人して真面目な顔して……」  動揺しているのか、花梨の声が少し上擦っている。対する両親は、怖いくらいに落ち着いた目をしていた。 「来年、駅向かいの空き地に大型ショッピングモールができるらしいんだ。テナントでル・ディバンが入る事が決まってるそうだよ」 「は? ル・ディバンって、あのル・ディバン?」  ル・ディバンは、全国に複数の店舗を持つ、超メジャー洋菓子店だ。味もこだわりも一流で、パティシエになるならまずル・ディバンで修業をしろと言われるほどの名店だった。  予想だにしなかった展開に、賑やかだった食卓が瞬く間に凍りつく。怯えた千尋の手から箸が転げ、カラカラと乾いた音を立てた。  駅前の空き地は、かつては巨大な立体駐車場だった。だが都市部に住人が流れ利用者が激減したことで一昨年取り壊しになり、今は雑草が生い茂っている。そのうちまた駐車場ができるのだろうと呑気に構えていたが、人口の減少を憂う街側としては、ファミリー向けのショッピングモールで人を呼び込もうと考えるのはごく当たり前の事だ。 「な、なんだってそんな大事な事、今まで黙ってたんだよ⁉」 「先月、お父さんと組合の会合に参加した時議題に上がって、そこで私たちも初めて聞かされたのよ」 「……ただでさえお客さんが減ってきてるのに、そんなのができたら一段と客足が遠のいちゃうわね」  姉の言う通りだ。駅前になんでも揃うショッピングモールがあるのに、わざわざ椿森商店街まで足を伸ばしてくれる物好きがそうそういるとは思えない。今いる常連さんだって、ある程度はショッピングモールに流れてしまうだろう。 「本格的にヤバいじゃん。今だって売り上げ厳しいのに、この先どうすんだよ⁈」 「仕方がない。顔と顔を見合わせて商売するのは難しい時代になったっていう事なんだろうな」 「仕方がないって、そんな他人事みたいに……」  父がぱちりと箸を置き、物言いたげにこちらを見据えてくる。なぜか、ザワリと胸が騒いだ。 「父さん――?」 「近いうちに、店を畳もうと思ってる」  硬くて重い何かで頭を殴られたみたいな、強烈な衝撃だった。  自分があの店を継ぐのが当たり前の事だなんて、どうして信じ込んでいたんだろう。
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