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九度山にて
十月、そう、十月に入ったばかりの頃でした。駅裏のうどん屋の店主は、復員してきてから片耳が聞こえないことに気付いたそうで、注文を紙に書くように言われました。
国中が焼けて疲弊して綻びがわからないほど滅茶滅茶になった、その傷が元通りになるのにはどれ程かかるのでしょうか。終戦は終わりではなく、長い長い戦後の始まりでした。
私は幼く、大人の興奮や恐怖をわからないまま書物に逃げていたようなものですから、なぜ自分のようなものが生き残り、国のため人のために心を砕いた立派な人びとが死んだのだろうと、ぼんやりと灰色の気持ちで年月が過ぎるのを待っておりました。
そんな折に、和歌山を訪ねました。
和歌の浦で万葉集を思い、自然は変わらないのかと安易に感動し、高野山にまで足を伸ばしたのでした。信仰心からではありません。
今のように整えられた参道もなく、人を拒んでいるかのように思われました。
聖域というのは多かれ少なかれそうである、と本にもありました。
紀伊は紀の国、木の国だといいます。雨が多く恵まれたこの地は古来より豊かな森を育んでいました。
雨脚が強くなるなか、今日は無理でしょう、と九度山の茶屋で女性が申します。
かといってバスは行ってしまったし次に来るまで戻る手段もない。
(このような間の悪い旅こそ自分らしいのではないか)
暗い空を自嘲めいた気分で見上げておりましたら、気を使わせたのか茶屋の奥へ招かれました。
その招く手が存外に白いこと、化粧っけもない肌が若いことに、靴を脱ぎかけて気付きました。さりとて、今さら遠慮するには自分に下心があると打ち明けるようなもの。
内心まごまごしているうちに、座敷に着きました。
店主に話す様子を聞くと、この女性は娘ではないようでした。
何か訳ありで手伝っているらしく、もう今日は上がっていいとのことでした。
「ここから、お大師様の母親がお山を見つめ、お大師様は月に九度、下りてきたそうです。それで九度山と」
手拭いを外しながら、髪を耳にかける女性は、確かに山深いこの地には似合わないような美人でした。
もしかしたら都会の育ちではないのだろうか。
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