九度山にて

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女性は間借りしているという二階に私を通し、再び降り鉄瓶を持ってきて置きました。華奢なつるが鉄瓶にしては珍しいと思いました。 戸棚から滑らかな白い急須と茶碗を取り出し、銅の茶托を重ねました。カシャリ、と薄い音がしました。 雨はガラスに模様を描き、山は霞んでいよいよ遠く ああ、こんなところで何をしているのだろうと私は次第に滑稽な気持ちになってまいりました。 茶葉を入れ、トン、と竹の平たい匙に残った茶葉を払いました。 鉄瓶を高く持ち、湯が落ちます。 透明な紐がゆるゆると伸びるかのようでした。 黄色みを帯びた茶が注がれ、薫ります。 茶碗の縁に三日月のような光がありました。 全く、美しい所作で。これまでに見たどの女人よりも自然でした。 もうどうにでもなれ、と一礼して茶碗を頂きました。 文字通り私はその一杯を額の高さにまでおし頂いてしまったのでした。 まるで、神道の儀式のように。 お茶を口に含むと、苦味がありました。 「少し違った味でしょう」 女性が言いました。 「はい」 「お水の味が、この辺りは濃いので。本来のお水の味が。合わない茶もあります」 「いえ、これはこれで……」 二口目、本当に味が変わりました。甘味が立ち上がったのです。これはこれで本当に美味しいと思いました。 二杯目を勧められるままもらい、お腹の中までじんわりと温まりました。 「兄を探しているんです」 女性は山を見ました。 「昔は女人禁制でしたでしょう。兄はお山に修行に上がり、そのまま。北方から帰って来て人が変わったようになってしまって」 じっと、目を覗きこまれていました。 「私の友人にも、何人かそういう者がおります」 戦争が友人を変えたのか。 残った自分が勝手に負い目を持っているのか。 「待っているのですか、探しに行かないのですか」 「行ってくれますか」 手を重ねられた。 驚いて、見たら黒髪がさらりと触れた。 女性の親指の付け根に、黒子があった。 いつのまにこんなに近くに。 耳元で、ふふっと空気が揺れ。 吐息が、不思議なお茶の薫りがしました。 「ありがとう」 唇は苦く、すぐに舌は甘くなりました。 雨の音は消えていました。
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